先生、結婚してください!
こちらは「先生、ずっとずっと好きでした」の後日譚ですが、設定がかなり変わっております。
別物としてお読みいただけたら幸いです。
「たーくんは大きくなったら何になりたい?」
子供の頃、幼稚園の先生に聞かれて僕はこう答えた。
「せんせーのだんなさんになりたい!」
「私の? どうして?」
「だってせんせーのだんなさんになれたら、ずーっと一緒にいられるから!」
子どもの頃の単純な答えだと思ったのだろう。
先生はふふふ、と笑いながら「なれたらいいね」と言ってくれた。
「せんせーは? せんせーは僕のおよめさんになりたい?」
今思えば、なんて恥ずかしいことを聞いてしまったんだろうと思う。
プロポーズした相手に「僕の嫁になりたいか」なんて、自信過剰もいいとこだ。
けれども、先生はこう答えてくれた。
「そうね。相手がたーくんだったら、先生お嫁さんになりたいな」
「えへへー」
僕は笑ってその先生の胸に抱きついた。
先生は優しく慈しむように僕の頭をなでてくれた。
その手の温もりを、僕は今でもずっと覚えている。
あれから20年、今ではすっかり立場は逆転している。
「先生、紅葉がきれいだね」
公園のベンチに座りながら、僕は言った。
隣には当時僕の頭をなでてくれた先生がいる。
僕の憧れの人であり、初恋の人であり、そして最愛の恋人だ。
そんな先生が僕の胸に顏をうずめながら「そうね」と言った。
「とてもきれい」
その瞳は閉じていて、本当に見ているのか疑わしい。
けれども、その透き通るような横顔は、何にも増して美しかった。
「ねえ、先生」
「なに? たーくん」
先生は、いまだに僕のことをたーくんと呼ぶ。
恋人なのに。彼氏なのに。
僕だってもう25だ。
そろそろ本当の名前を呼んでほしい。
とはいえ、僕も先生のことを「先生」としか呼ばないのだからおあいこといえばおあいこなのだが。
「先生は今、幸せ?」
「幸せよ。どうして?」
「迷惑じゃない? こんな年端もいかない僕が恋人だなんて」
僕の言葉に、先生は顔を離してきょとんとした。
こういうところがまた、可愛くてたまらない。
先生はしばらく僕の顔を眺めていたが、やがてクスクスと笑いだした。
「何を言い出すのかと思ったら。たーくんったら」
「でも……」
僕はなんだか不安だった。
先生は40過ぎてもきれいで美しい。
25の僕なんかより紳士的で大人の男がたくさん言い寄ってきてもおかしくはない。
そんな僕の不安を見越してか、先生は言った。
「たーくん、覚えてる? 幼稚園の頃のこと」
「幼稚園の頃のこと?」
「私がたーくんに何になりたいか聞いた時のこと」
「ああ、先生の旦那さんになりたいって言った時の……」
その言葉に先生は一瞬、顔を赤らめて僕の胸にまた顔をうずめた。
「そう。あれ、すっごく嬉しかった」
「そ、そう?」
「当時、私まだ幼稚園の先生になり立てで、いろんなことに必死になってた時期で……。いろいろ空回りしてたくさん怒られて、失敗ばかりして。もしかしたら先生に向いてないんじゃないかって思ってて……」
「そうなの?」
初耳だった。
当時、子どもだった僕には先生の大変さなど微塵も感じていなかった。
「でもね。私、たーくんの言葉で救われたの。たーくんが一緒にいたいって言ってくれてすっごく救われた。私が必要とされてるんだって。一緒にいたいと思ってもらえてるんだって。今日まで頑張ってこれたのは、たーくんのおかげよ」
それは嘘でもなんでもない、本心だとすぐにわかった。
そもそも、先生は嘘をつくのがすごく下手だ。
「ねえ、たーくん」
先生は僕の胸に顏をうずめながら、ささやくように言った。
「たーくんは、大きくなったら何になりたい?」
「僕は……先生の旦那さんになりたい」
「私の? どうして?」
「だって、先生の旦那さんになれたら……ずっと一緒にいられるから」
答えながら、気づけば僕は先生の肩をギュッと抱きしめていた。
トクン、トクンと先生の心音が聞こえてきそうな、そんな気がした。
「先生は? 先生は、僕のお嫁さんになりたい?」
そう尋ねると、先生は顔を離して僕の唇に一気に口づけをかわした。
「そうね。相手が高俊だったら、私お嫁さんになりたいな」
はじめて。
はじめて先生が本名を呼んでくれた。
それも、口づけまでしてくれてお嫁さんになりたいと言ってくれた。
そのことが、僕のモヤモヤのすべてを吹き飛ばさせた。
僕は思わず先生を抱きしめて、溢れんばかりの想いで叫んだ。
「先生、結婚してください!」
僕の渾身のプロポーズ。
こんな場所でアレだけど。
ちょっとロマンスに欠けるけど。
けれども、ここでプロポーズをしないという選択肢は僕にはなかった。
「うふふ、こんな時でも先生って呼ぶんだね、高俊は」
「あ……」
しまったと思った。
なんで先生って言ってしまったんだろう。
「ご、ごめん……」
「でもいいわ。いきなり名前で呼ばれたら照れちゃうから」
「そ、そう?」
「だから、結婚したら名前で呼んでね」
そう言って、先生は再び僕の唇にキスをした。
濃厚で甘くて大人のキス。
結婚したら、絶対下の名前で呼ぼう。
僕はそう誓った。
お読みいただき、ありがとうございました!