220話 負けていられない
「セリアちゃん! ただいまぁ!」
「セリア、戻ったぞ」
「ええ、お帰りなさい」
プラチナドラゴンを討伐してモンド王国の宿に戻って来ると、セレナが一直線に駆けていってセリアに抱きついて甘えていた。
セリアとしばらく離れていたから寂しかったのだろう。
部屋に戻って荷物を降ろして来ると、宿の共有スペースにあるソファに腰を掛ける。
「なあセリア、モンド王国に支援を要請するとかの用件はまだ終わりそうにないのか?」
「うーん、そうね。協力体制はすでに取り付けているから目的は達成したようなものなのだけど……モンド王国が大手を振って協力できるような大義名分がなかなか無いのよね」
「大義名分?」
「要するに、お金をもらったから協力しますでは大国としては体裁が悪いってことよ」
「なんだそりゃ? 大国ってのはめんどくせえな」
「まったくよね。ただ、ロックドラゴンが定期的にモンド王国に襲撃してきているらしくてね、そのドラゴンをグルニカから派遣された雷帝ミストが倒すってことで落ち着きそうなのよ」
「ロックドラゴン? 定期的に襲ってくるなら多少の被害が出てもモンド王国で軍を動かして倒せばいいんじゃないのか?」
「それがね、そのドラゴンは鱗が相当硬いらしくて倒すには上級魔法が必要らしいのよ。だから、レックス殿下が雷帝ミストをグルニカから呼んでくるといった話になってるの」
「なるほど。グルニカから派遣されたミストが倒して、それでモンド王国が協力する大義名分が成り立つと。じゃあ、もうグルニカへと向かうのか?」
「ええ。私の後の仕事は引継ぎくらいかしら」
セリアが未だ抱きついたまま甘えているセレナの頭を愛おしそうに撫でながら答える。
「そうか、じゃあ俺は用事を片付けてくるかな。セリア、俺は今からちょっと出かけてくる。2~3日で帰ってくると思うから」
「ええ!? さっき戻ってきたばかりでしょ? 少しくらいのんびりして行きなさいよ」
「悪い。まあ、いろいろとやる事があるんだよ。セレナはどうする? 久しぶりだしセリアと一緒に居るか?」
「うーんとぅ、セレナ、セリアちゃんと一緒に居るのぅ」
セレナが俺とセリアの顔を交互に見た後、セリアにぎゅっと抱きついてごろごろと猫のように甘えていた。
「あらあら。もう、セレナは甘えん坊さんなんだから」
「うー、セレナ甘えん坊さんなのぅ」
「はは、じゃあ、姉妹水入らずで過ごしてくれ」
「ええ、達也も用事を済ませたら早く戻ってきなさいよ」
「たっつん、早く帰ってくるのぅ」
「ああ、なるべく急いで用事を済ませてくるよ」
セリアとセレナの仲睦まじい姿に癒されると宿を後にした。
用事の1つを片付けるためにリムルの店を訪れる。
店に入ると、オーシャンレイクで採取した水の入った瓶をカウンターの上に置く。
「リムル、こいつを調べて欲しいんだが?」
「むっ、これは……ただの水? これを調べるとは?」
「うどんを販売している店の新しい名物を作るのに必要な物なんだよ」
「むっ、新たな名物? まさか、また蕎麦に代わる新作が出るのですか?」
最初は首を傾げて水の入った瓶をぼんやりと見つめていたリムルだったが、名物と話した瞬間に体がピクリと揺すれる。
相変わらずの無表情で分かり難いのだが、どうやらリムルも麺類の魅力に取り憑かれた一人のようだ。
「まあ、そんな感じだ。で、この水を飲食に使いたいから安全なのか調べて欲しいってわけなんだが?」
「わかった。むっ、問題ない。この水は安全」
水の入った瓶をちらりと一瞥したリムルが即座に答える。
「え? おいおい、口に入れるもんなんだからしっかりと調べてくれよ」
「むっ、心外。詳しい成分の分析なら時間が掛かる。だけど、安全かの確認程度なら見ればわかる」
「そうなのか?」
「そう、それがエンチャンター」
リムルが相変わらずの無表情のまま無い胸を反らして答える。
胸と同じように乏しい表情の変化からは分かり難いが、どうやら自慢しているみたいだ。
「まあ、リムルのお墨付きをもらったなら安心か。ああ、それとこいつを入手したからポーションにして欲しいんだけど」
肩に掛けていたポシェットを降ろすと、クリスタルドラゴンの鱗が入った袋を取り出して店のカウンターの上にドサンと置く。
袋の口を開いて中身を見せると、リムルが無表情のままいきなりズズイと俺の目と鼻の先まで顔を近づけてきた。
「むっ!? これはクリスタルドラゴンの鱗!? この量をいったいどうやって?」
「まあ、それは企業秘密ってやつだ。それで、これで何本作れる? 作るのに掛る時間はどのくらいだ?」
「むっ、これだけあれば10本は作れる。製造には20日くらいあればできると思う。……達也お願いがある」
「わかってるって。リムルもクリスタルドラゴンの鱗が欲しいんだろ?」
リムルが無表情のままだが、コクコクと激しく頷く。
どうやら、とても欲しがってるようだ。
まあ、リムルが欲しがるのも無理も無い。
なんせクリスタルドラゴンの鱗は湖岸に流れ着くことが稀で、年間でも数枚ほどしか市場に出回らないような代物だからな。
「どのくらい欲しいんだ?」
「むっ、出来れば10……いや、5枚でいい」
「はは、遠慮するなって。大量にあるから10枚くらいかまわないさ」
遠慮気味にお願いしてきたリムルに笑顔で了承すると、次は大将の店に向かった。
「大将、こんにちは」
「おう、達か。ちょうどいい所に来やがった。以前に頼まれていたソースの試作品が出来たぞ」
「え? ほんとですか?」
「おう、ちょっと待ってろよ」
店の厨房に入って挨拶すると、大将がソースが出来たと言ってきて厨房の戸棚をごそごそとやり始めた。
「こいつなんだがな、味の方は似たような形に近づけたんだ。まあ、とりあえず味見してくれ」
「はい。うーん、香りがすばらしいですね。では、味見しますね。おお、これはウスターソースだ」
壷に入っていたサラッとした液体を柄杓で掬い手にたらしてペロリとなめると、スパイシーな香りと芳醇なフルーツの甘味が口の中に広がった。
市販されているソースよりもずいぶんと甘い。
「ウスターソース?」
「ああ、いや、これはこれでりっぱなソースですよ」
「そうか? 前に達が持ってきたソースはもっとドロッとしてたと思うんだが、どうにも上手く行きやがらねえ」
「ええと、あれからちょっとソースを調べてみたんですが、野菜などの果肉を多めにするとドロッとした感じになるようですよ」
「ほう、そうなのか? なら、次の仕込みで試してみるか。おっと、そういえば達は何の用事で来たんでぃ?」
「あ、それはですね、ちょっとこれを試して欲しいんですよ」
肩に掛けていたポシェットを降ろすと、オーシャンレイクで採取してきた水の入った瓶を取り出して店の厨房にある作業台の上にそっと置く。
「ああん? なんでえ? それは水か? その水がどうしたってんだ?」
「この水を使って麺を打って欲しいんですよ」
「はあ? この水を使って? 水が変わると何か変わるのか?」
「ええと、お酒なんかも造った時に使う水によって味が変わりますよね?」
「ほう……つまりこいつを使うと面白い物ができるってことか?」
大将がニヤリと含み笑いをしながら答える。
興味津々と言った感じで心底嬉しそうだ。
「まあ、やってみないとわからないですけどね」
「かっかっか! いいねえ、まだ見ぬ新しい味覚の探求。おう、達、さっさとその水をよこしやがれ」
「はい、お願いします」
水の入った瓶を渡すと大将が威勢よく麺を打ち始める。
麺に水を加えてギッタンバッタンと麺を捏ね始めた辺りで、大将が突然素っ頓狂な声を上げた。
「なんだこりゃ? おい、達! 麺が縮んで黄色くなっちまったぞ?」
「本当ですか? よし! 予想通りだ」
「ああん? どういうことでぇ? 詳しく説明しやがれ」
「あ、はい……ええとですね、それは中華麺と呼ばれるものなんですよ」
「ちゅうかめん? なんだそりゃ?」
「えーと、小麦粉にアルカリ性の炭酸カリウムなどが加わると、小麦に含まれるグルテンが溶けて凝固するんですよ。それで……」
「あーあーあー! 難しいことはわからねえよ。この麺は、具体的にどういう物なんでぇ?」
「そうですね……ゴムのような……いえ、うどんとは違って、弾力があってぷつりと歯ごたえのある食感の麺になるんです」
「ほうほう、そいつはおもしろいな」
「はい、それで大将にはその麺にあったスープを作って欲しいんです」
「ほほう、そいつは俺の領分だな! 任せておけってんだ!」
大将が嬉しそうに自分の厚い胸板をドンと叩きながら答える。
「すいません。醤油の生産工場の件でもいろいろと忙しい所を」
「かまわねえよ。そっちの細けえことはサブのやつが全部やってるからよ」
「え? そうなんですか?」
大将がクイッと首を動かして事務所の方に視線を向けた。
事務所の窓から中を覗いてみると、サブさんが何かの資料を見ながら難しそうな顔でうんうんと唸っていた。
あちゃー。
すいませんサブさん。
「はっはっは、気にするなって。それより、こいつはもう食えるのか?」
「はい、茹でればすぐに食べられますよ。でも、麺が馴染んで固くなるまで……そうですね、2日くらい冷蔵庫に寝かせて待った方が良いみたいですが」
「ほう、そうか。でも、食べられるとなりゃあ、今すぐにでも食いたいってのが職人の性ってもんだが……はあ、生憎とスープの方がまだねえからなあ」
大将が残念そうに溜息を吐く。
「では、焼きそばなんてどうです?」
「あん? なんだそりゃ?」
「大将が作ったソースを使うんですよ」
「はあ? いくらなんでもあれはスープには合わねえだろ?」
「いえ、スープにはしないですよ。鉄板の上で麺を炒めてそこにソースを絡めるんです」
「うお! お前は天才か!? それはかなり旨いんじゃねえのか? おい、達! すぐに作るぞ!」
「はい、あ、ボアの肉とキャベツやタマネギなんかの野菜を一緒に炒めるとさらに美味しいですよ」
「おうおう、わかったぜ! 任せろ」
大将が軽快に返事をすると、鉄板の上に肉と野菜を豪快に乗せて火の通りの遅い物から手際よく炒め始める。
麺も投入してソースを絡めると香ばしい匂いが厨房全体に漂った。
うはあ、これこれ。
このソースの強烈な香りがやばいんだよね。
ソース焼きそばの濃厚な香りを堪能していると、ふと厨房にいた他の料理人達がこちらのようすを遠巻きに窺っている事に気づいた。
どうやら、他の料理人の人達も大将が作っている新しい料理が気になっているようだ。
「よーし、できたぞ。おう達、早速食べるぞ」
「はい、いただきます」
大将が小皿に分けてくれた焼きそばを早速頬張る。
お、おほぉ! うまい!
しゃきしゃきのキャベツの歯ごたえとプツリと歯切れのよい麺の食感、そしてその麺に絡んだ濃厚でスパイシーなソースの香り。
これは文句のつけようの無い完璧なソース焼きそばだ!
「これは完璧ですね」
「ああ、これは感動ものだな。ははは、まいったぜ。この歳になってまた新しい味に出会えるなんてよ」
「大将、サブさんにも食べさせてあげたいんですが?」
「おうおう、持ってけ」
大将が皿に盛ってくれた焼きそばを受け取ると、厨房の奥にある事務所に向かう。
「サブさん、おつかれさまです」
「あ、こりゃあ達也さん。いらしてたんですか?」
「はい。それと、なんだかサブさんに工場の細かい事務を押し付けてしまったみたいで申し訳ないです」
「ああ、そのことは気にしないで下せえ。帝都にある工場を救ってくれた達也さんには感謝のしようがありやせんで、これくらいは何でもねえです」
事務所に入ってサブさんに軽く挨拶をすると、サブさんが恐縮そうに頭を下げながらお礼を言ってくる。
「そう言ってもらうと助かります。それとこれは新作の焼きそばなんですが良かったら食べてみて下さい」
「へえ、さっきからいい匂いがすると思ったら、また新しい料理ですかい? では、喜んでいただきやすね。うぐ!? こりゃあうまい! 絶対に売れやすよ!」
「それは良かったです。それじゃあ頑張って下さい」
ガツガツと頬張るように焼きそばを食べ始めたサブさんに挨拶をして事務所を出る。
事務所から厨房に戻って来ると何やら厨房内が騒々しかった。
「やべえ! これ止まらねえ! めちゃくちゃうまい!」
「おい、お前食いすぎだぞ! ふざけんなよ?」
「ちょっと、あんただけずるいわ! 私はまだ食べてない!」
「てやんでぃ! お前等いいかげんにしろってんで」
どうやら、料理人達の間で大将が作った焼きそばの争奪戦が行われているみたいだった。
うわあ……まさか大の大人が食べ物1つでここまで醜く争うもんなのか?
ソース焼きそば恐るべし。
「おう、達。あの水はもうねえのか? あいつら作った分を残らず食べちまったんだよ……まったく、喧嘩まで始めやがってよ」
呆然と料理人達の争いを傍観していると大将がぶっきら棒な口調で言ってきた。
大将は口ではつっけんどんに文句を言っているのだが、しかし顔の方は何となく嬉しそうである。
自分の作った物を、美味しい美味しいと奪い合うようにして食べているのが嬉しいのだろうな。
大将は素直じゃないね。
「すいません。今日持ってきた水はあれだけなんですよ」
「そうか……そいつは残念だ。それで、水の方はいつから持って来れるんでぇ?」
「そうですね……アニーに聞いてみないとわかりませんが、早ければ明日からでも持って来れると思います」
「おう、相変わらず手際がいいな。まあ、水さえ持って来てくれりゃあ、今からでも焼きそばなら出せるからよ」
「はい、お任せします」
自信とやる気に満ち溢れたような顔をしていた大将に挨拶をすると店を後にした。
さてと、今回の本命の用事を済ませるか。
黒鉄の剣をすらりと抜いて異常がないかチェックする。
「よし、いくぞ!」
ヒュッケがあれだけ頑張っているんだ。
俺だって負けられない。
魔物の前で剣を抜けるようになろうと、一人ダンジョンに向かった。
ダンジョンを進むとすぐにホーンラビットが現れる。
気合を入れてホーンラビットの前で剣を抜こうとするも、だが、予想していた通りすぐに足が竦んできて激しい吐き気が俺を襲い始めた。
ヒュッケだって俺と同じように死に掛けてるのに、それでも臆さずに立ち向かっていったんだ。
俺だって……負けられない。
「うおおお! うぐっ!? おえ、げほ、ごほ」
叫び声を上げながら強引に体を前に移動させると、強烈な吐き気に襲われて思わず嘔吐してしまう。
ゲロを吐きながら、それでも負けるものかと無理やりに歩を前へと進める。
しかし、次第に顔筋が麻痺してきて血の気が失せてくると、目の前が急に暗くなって体の力がストンと抜け落ちてしまった。
ドス、ドカ……ドス、ドカ……
痛……痛い、なんだ?
断続的に走る体の痛みに薄っすらと目を開けると、ホーンラビットが俺に向かって一直線に突進していた。
何だ? 攻撃を受けてるのか? とにかく反撃を!
ベレッタを懐から抜いてる暇は無い。
「うおおお!」
震えていた手を必死に前に突き出してハンドガンのグロッグを出現させると、すでに目の前まで接近していたホーンラビットの眉間に銃口を押し付けるようにして弾丸を放つ。
間髪入れずに放たれた弾丸は、真っ直ぐ突進してきたホーンラビットの眉間に大きな穴を穿った。
「はあはあ……俺は気絶していたのか?」
魔物の前で気絶はまずい。
いくら弱いと言っても目でも突かれれば洒落にならん。
急場を凌いで荒い呼吸が整ってくると、不甲斐ない自分に次第に怒りが込み上げてくる。
「ちきしょう! たかだが一度死に掛けた程度で! …………情けねえ」
ゴスリと怒りのまま地面を拳で叩くと、歯軋りしながらダンジョンを後にした。




