208話 グレートドラゴンの影
「ヒュッケ様、達也殿、大切なお話が御座います」
強行軍を始めてから3日が経過していた。
夕食も終わって、今日もそろそろ宿に帰ろうかなと思っていると、ヒックスさんが真剣な顔で話し掛けて来た。
「ヒックス先生? なんですか?」
ヒュッケが首を傾げながら尋ねる。
「ヒュッケ様と達也殿は、私達がグレートドラゴンに襲われた事はご存知ですよね?」
「はい。それでヒュッケと助けに来たわけですから」
「では、大切な事を話さなければいけません。グレートドラゴンは一度狙った獲物の匂いは決して忘れないのです。前回は何とか振り切ったのですが、そろそろやつらのテリトリーに入ってしまう頃かと思います」
ヒックスさんが神妙な顔で伝えてきた。
「つまり、グレートドラゴンに必ず襲われると言う事ですか?」
「必ずとは申しませんが……かなり高い確率で襲われると思います。ですから、ここまで助けに来て頂いて真に申し訳ないのですが、我々のことにはかまわずに王都に帰還して下さい」
「そんな!? ヒックス先生は? みんなはどうするんですか?」
「我々は一途の希に掛けてみます。運良く奴らの風下を移動できれば……万にひとつもやつらには気づかれないかもしれません。ただ、かなり遠回りする事になってしまうので」
ヒックスさんがまるでこれから死地へと趣く兵士のような顔で答える。
「達也さん!」
ヒュッケが深刻そうな顔をして助けを求めるように俺を見る。
「ヒュッケ、お前はグレートドラゴンを倒せるか?」
「え!? わ、わかりません。今の僕でもさすがにグレートドラゴンが相手となると」
真剣な表情で尋ねるとヒュッケが戸惑ったような顔をして答える。
「ヒックスさん、すいませんがヒュッケと2人で話しをさせて下さい」
「わかりました」
俺がヒュッケと話をさせてくれとお願いすると、ヒックスさんは食事の片付けをしている兵士達のもとへと歩いて行った。
「達也さん! 達也さんならグレートドラゴンなんて簡単に倒せますよね?」
ヒックスさんの姿が遠ざかると、ヒュッケが不安そうな表情で噛み付かんばかりに尋ねてきた。
「まあな。倒すのは簡単だろう」
「はあ~~良かった。もう! 少し不安になっちゃったじゃないですか。でも、じゃあ何で僕にグレートドラゴンを倒せるのかと聞いてくるんですか?」
「あのなあ、少しは考えろよ。俺が倒しますとか言ってみろ? お前は頭がおかしいのかと思われるだけだろ? 大体から、ヒックスさん達の前で銃を使うわけにもいかないんだぞ?」
「ああ、そうでした。これは、確かになかなかに厄介な問題ですね。それで、達也さんはどうするつもりなんですか?」
ヒュッケが何も考えてないような顔で聞いてくる。
まずいな。
ヒュッケのやつ、何でもかんでも俺に答えを求めて自分で考えようとしなくなってる。
これは間違いなく俺の所為だな。
今は緊急時だから仕方ないけど、この件が片付いたらなんとかしないとな。
「達也さん?」
考え事をしているとヒュッケが聞き返してくる。
「ああ、えーとそうだな。できればヒュッケが倒してくれるのが一番いいんだが」
「ええ!? ちょっと、さすがにグレートドラゴンは、まだ……無理ですよ!」
ヒュッケが『絶対に倒せない!』では無くて、まだと言った事に思わず内心で笑みが浮かんでしまう。
「そうだよな……しゃあない。今回はグレートドラゴンの死体を斬りつけて、ヒュッケが倒したように偽装するか」
「……そうですね。それがいいと思います」
ヒュッケが何かためらいでもあるのか、少し逡巡したような仕草をした後に頷く。
「それより、他に問題がある」
「え? 問題? 何の事です?」
「ヒュッケ、何人かの兵士達の体調がおかしくなってる事に気づいているか?」
「へ? わ、わかりません」
ヒュッケが慌てたようにキョロキョロと兵士達の方に視線を彷徨わせる。
「ほれ、あそこを見ろ! ヒックスさんは気づいてるみたいだぞ?」
苦しそうな呼吸をしていた兵士の背中をさすっているヒックスさんを指差す。
「あ!? 本当だ。でも、いったいどうして?」
「塩だ。塩分の補給が出来てないからだよ」
「塩? そういえば、昔から戦いには塩が絶対に必要だと言われてきました。理由は詳しくわからないのですが」
ヒュッケが不思議そうな顔で首を傾げる。
「えーとな、塩分を補給する理由はいろいろあるんだが、血圧を調整したり体温を調節する為にも使われるんだよ。激しい戦闘をすれば体が熱を持つから、汗を掻いて体を冷やさないといけないわけで……。ヒュッケは汗を掻く事によって体が冷える原理を知っているか?」
「え? そんなのわかりませんよ」
「そうか。うーん、発汗のメカニズムを簡単に説明すると、塩の浸透圧の効果を利用して血中に含まれる熱を持った水分を汗として毛穴から体外へと排出することによって熱を逃がすことなんだ。さらに水分が肌で蒸発した時の気化熱による温度低下を利用して体温を下げる効果もある」
「はあ」
「でも、急激に汗を掻くと、その時に毛穴まで水分を運ぶ時に使われていた塩まで一緒に排出されてしまうんだよ。そして、塩は体内で生成できないから失ったら摂取するしかない。つまり、兵士達の体に起きている変調の原因は塩分の不足による熱中症だな」
「うう! 達也さんの言ってる事はほとんどわかりませんでしたが、塩が必要だと言う事はわかりました」
「ああ。それがわかればいい」
「それで、どうすればいいんですか?」
「言っただろ? 塩だ。塩を入手して兵士達に摂取させればいい」
「問題はその塩ですよ! どうやって入手して皆に渡すかです。あっ! いいことを思いつきましたよ。ミリタリーテントから取り出した塩をこっそり食事に混ぜるんですよ!」
ヒュッケがどうだと言わんばかりの顔をして伝えてくる。
「あのなあ、少しは考えろよ。いくらなんでも食事に塩が入っていればみんなおかしいと気づくだろ?」
「じゃあ、どうするんですか?」
「岩塩だよ。ヒックスさんがここらにあると言っていただろ? あれを行軍中に発見して合法的に兵士達に摂取させればいいんだ」
「そういえば……でも、そんなに都合よく見つかるもんでしょうか?」
「俺を誰だと思ってる? すでに進行ルートで岩塩のある場所は確認済みだ」
「さすが、達也さん。頼りになります」
ヒュッケが満面の笑顔で答える。
「まったく、調子がいいやつだな。それじゃあ、俺とセレナはそのまま宿に戻るからヒックスさんには上手い事言っておいてくれ」
「わかりました」
焚き火の前でうつらうつらとしていたセレナをお姫様抱っこで運ぶと、グロウラーを飛ばして街にある宿へと戻った。




