196話 グルニカの王太子レックス
ここはモンド王国にある城の客間。
客間では、セリアと眼鏡を掛けたおさげの女性がモンド王との謁見の時間を待っていた。
「やはり、レックス殿下は間に合いませんでしたか」
「セリアさん、私達だけでもがんばりましょう」
そこに、急いで来たようすの男が数人の従者を連れて入ってくる。
「レックス殿下! 間に合ったのですね」
「殿下! お待ちしておりました」
「はは、本当にぎりぎりでしたが。セリアさんとミーシャにはお手数をおかけしました」
ミーシャと呼ばれた眼鏡を掛けたおさげの女性が、グルニカの王太子であるレックスに嬉しそうに駆け寄ると恭しく臣下の礼をする。
「いつこちらに到着されたのですか?」
「ほんの数時間前だよミーシャ。報告はここに向かう馬車の中で聞いたけど、交渉の方はずいぶんと難儀したようだね」
「申し訳ありません」
ミーシャがしょんぼりと俯く。
「ああ、すまない。責めているわけじゃないんだ。君の働きには満足しているよ」
「本当ですか! 殿下、私頑張ります」
レックスがにっこりと微笑むとミーシャは途端に元気なる。
そこに、コンコンとノックがして客間に兵士が入って来た。
「グラン陛下がお会いになるそうです。謁見の間にどうぞ」
兵士はそれだけ言うとさっさと部屋から出て行く。
「いよいよだね。ぎりぎり、最終交渉の場に間に合って良かったといった所かな」
「そうですね。私達だけではイレギュラーがあった時、どこまでの条件まで呑んで良いか判断が難しい所でしたから」
「セリアさんには本当に申し訳ない。今のグルニカは中堅クラスの外交管すら定員が足りてない状態ですからね。新任のミーシャにも無茶なお願いばかりしてしまって」
「そんな、殿下……わたしは」
ミーシャが感極まったような顔でレックスを見る。
「気になさらないで下さいレックス殿下。特例の命令書の件では多大な迷惑を掛けてしまいましたから」
「その件なら本当に気にしなくてもいいんですよ。父上も確かにそんな許可をしたと、バッカスの事を笑って褒めていたくらいですから」
「バルバトス王は、本当に懐の大きな方なのですね」
「はは、身内の私が言うのはおかしいかもしれませんが、常に父上のようになりたいと心がけていますよ。さて、そろそろ交渉の場に行くとしましょう」
レックス達がグラン王の待っている謁見の間へと移動した。
「グルニカ王国が王太子レックスと申します。このたび、グラン陛下には貴重な時間を割いてまで時間を作って頂き、誠に感謝申し上げます」
「ほう、バルバトス王が直接来るかと思っておったが、その子せがれとはな。余も舐められたものだな」
レックスが片膝をついて礼をもって挨拶すると、グラン王が白くなった長い髭を撫でながら尊大な態度で答える。
「これは申し訳ございません。聡明なグラン王なれば存じられていると思いますが、今のグルニカは先の大戦により慌しい状態です。父上も忙しい身の上なれば、ご容赦のほどなにとぞお願い申し上げます」
「フン! 下らぬ腹の探り合いなどどうでもよいわ。さっさと申せ」
グラン王がまだ若く経験の少ないであろうレックスを怒らせて交渉を有利に進めようと挑発するが、通用しないと判断すると早々に交渉を始める。
「では、我々の要求は竜騎士団の派遣と、勇者ヒュッケの助力です。こちらの見返りとしては、竜騎士団の派遣費用と400億モンドの支度金です」
これは、すでにグルニカ政府とモンド政府との間で根回しは終わっているため、公儀の場においての茶番のような要求である。
「見返りだと? 我らモンド王国は大国ぞ? 見返りなど要求してはいない。大国の義務で貴国に助力を乞われてしかたなく助けてやるだけだ。まあ、どうしてもと言うならもらってやらんことも無いがな。だが、以前の状況に戻るだけじゃな」
「そんな! 失った竜騎士の弁済費用だってすべて支払ったのに!」
「ミーシャ!」
尊大な態度で宣言したグラン王に、俯いていたミーシャが顔を上げて大声で非難する。
レックスが慌て制止しようとするも遅かった。
「無礼者! 王の御前であるぞ」
「話しはここまでじゃ」
グラン王が玉座から立ち上がると、踏ん反り返るような横柄な仕草で謁見の間から退出していった。
「レックス殿下、申し訳ありませんでした」
レックス達が謁見の間から客間へと戻ってくると、ミーシャがレックスに頭を下げて謝罪する。
「うん、交渉は熱くなったら負けだよ。次からは冷静に対処するんだ」
「はい。でも、私はグルニカに多大な損失を……」
ミーシャが返事をするが失敗からかしょんぼりと項垂れて元気はない。
「レックス殿下。交渉は上手くいったようですが、後の問題は口実でしょうか」
「そうですね。グラン王のことだから、ここで急に約束を反故にでもして吹っ掛けてくるかと警戒していたのですが本当に良かったです。口実の方は、お金ではない派遣する理由を何か適当に考えねばなりませんね。大国は面子を重んじるので本当に大変です」
ミーシャの落ち込んだようすを見かねてか、セリアが助け船を出すように質問するとレックスが説明するように答える。
「え? 交渉が上手くいった? どう言う事ですか? 私のせいで失敗したんじゃ?」
ミーシャだけが状況を理解できていないようで、セリアとレックスの二人の顔をきょろきょろと交互に見る。
「ミーシャさん。グラン王は以前の状態に戻ると言いました。それは、竜騎士を派遣していた昔の状態になったということです。それと、この話しは無かったことにとは一言も言っていません」
「え? え?」
「ははは。つまり、ミーシャは何もグルニカに損失など出していないってことだよ。だから、そんなに落ち込まないで」
「本当ですか? 良かった」
ミーシャが心からほっとしたような顔になる。
「それよりミーシャ。咽が乾いたんだけど、何か飲み物をもらってきてくれないか?」
「はい、もらってきます。殿下、少々お待ち下さいね」
ミーシャが有頂天になって客間から出て行った。
「レックス殿下、私に何かお話があるのでしょうか?」
「さすがはセリアさん。するどいですね」
セリアがちらりとテーブルを見た後にレックスに話し掛けると、レックスが爽やかな笑顔を見せる。
客間のテーブルの上にはしっかりとお茶請けが置いてあった。
「それで、話の方なのですが、今のモンド王国は無理な特効薬の買いつけが祟ってか財政が困窮しているようなのです。なので、少しでも支度金の値段を吊り上げたいはずなのに、大国の見栄のせいで条件をつけて要求もできない。さらに、私のような若輩者をやり込めることができないなど、あのグラン王には絶対に許せないでしょう」
「つまり、グラン王が何か仕掛けてくると」
セリアの目が細くなる。
「恐らくは」
「わかりました。それで、レックス殿下はどのようになさるおつもりなのですか?」
「さっさと負けてしまいます」
「え?」
にっこりと爽やかな笑顔で答えるレックスに、セリアは驚いたような顔をする。
「下らない意地の張り合いなど何の役にも立ちませんからね。ですから、さっさと負けてしまって、なるべく速やかに支援を取り付けます。ただ、何処を狙われるのか、何をされるのかを把握できないのは怖いですからね」
「どうするのです?」
「相手を攻撃するとしたら、セリアさんでしたら何処を狙いますか?」
「そうですね。私ならば相手の弱い部分を、弱点を狙います……まさか!?」
「はい、恐らくはミーシャを狙って来ると思います。そこで、セリアさんにはそれとなくミーシャを見ていて欲しいのですよ。相手もグルニカの大使であるミーシャに無茶な事はしないと思いますが、念のためです。それと、恐らくはお金を要求してくるでしょうから、50億モンドくらいまでなら即決で支払って頂いてかまいません」
レックスが爽やかな笑顔のまま答える。
セリアはなぜミーシャのような経験の浅い新米大使が、魔窟と揶揄されるようなモンド王国の大使に任命されたのかを薄々感づく。
「レックス殿下、狙って来るとわかっていてミーシャさんを1人で行かせたのは? ……その、やはり」
「はい。私はこのあとすぐにでもグルニカに戻らねばなりません。ここで仕掛けてきてくれれば良いのですが……」
爽やかな笑顔のまま答えたレックスにセリアが何とも言えない顔になる。
「レックス殿下は……その、本当は怖い人なのでしょうか?」
「さあ、どうでしょう? ただ、グルニカの明るい未来のためにも、ミーシャには早く成長してもらいたいなと」
目を細めるセリアに、にこりと爽やかな笑顔を見せるレックス。
そして、何かを割ったような音とミーシャの謝罪するような声が渡り廊下の方から聞こえてきていた。




