185話 達也がオーナー?
「さてと、ここか?」
「おいしそうな、においなのぅ」
魔法ショップから出た俺とセレナは醤油を製造販売している店の本店の前に来ていた。
醤油のこんがりと焼けたような香ばしい匂いが店の外まで漂ってくる。
うへへへ、金ならたんまりと持ってきたから樽ごと大量に購入してやる。
大人買いならぬ富豪買いでヒャッハーしてやるぜ。
意気揚々と店の暖簾をくぐる。
「てやんでぃ! この、ばかやろう! そんな条件飲めるわけねえだろ!」
「そうは申されましてもねえ」
「うるせえ! さっさと出て行きやがれ! このすっとこどっこいがぁ!」
店内に入るとスーツを着た銀行マンのような人と、江戸っ子のような威勢のいい爺さんが喧嘩腰で言い争いをしていた。
うーん、せっかくの爽快な気分がぶち壊し。
何やら騒々しいと言うか、何事だ?
「えーと? お客さまですか? 申し訳ないです。今、立て込んでまして」
爺さんと銀行マンのやりとりに唖然としていると、店の奥から前掛けをつけた職人さんらしき人が慌てたように出てきた。
「ええと、醤油が欲しいんですけど?」
「すいやせん。お売りできないんですよ」
「え? ここ本店でしょ?」
思いもしなかった売れないと言う言葉に、首を傾げて職人さんに理由を尋ねる。
「あ、販売して頂いてかまいませんよ。少しでも現金で回収したいですからね」
前掛けをつけた職人さんを遮って、横から銀行マンが口出しをしてきた。
今、何と言った?
現金で回収したいだって?
銀行マンの言った不穏な言葉に思わず眉間にしわが寄る。
何だか潰れるみたいな……って、これは閉店待ったなしか!?
冗談じゃねえぞ!
俺は醤油の造り方なんて知らないんだ。
なんとしても阻止しなければ!
銀行マンに詰め寄る。
「すいません! このお店が無くなるんですか?」
「な、何ですか? 貴方には関係ないでしょ? 買う物を買ったらさっさと出て行って下さい」
シッシとあしらうように手を振ってきた銀行マンの態度に思わずカチンとくる。
「おい、債務はどのくらいだ?」
「だから、貴方には関係ない事だと言ってるでしょう?」
「いくら払えばいいのか聞いてるんだ」
「ほう? 貴方がお金を払うとでもいうのですか? 8000万エルですよ? 貴方に払えるんですかねえ?」
銀行マンが卑しい顔を作ると馬鹿にしたように挑発してくる。
袋から10枚ごとにまとめてある8つの金貨の束を握ると、無言のまま突き出す。
「これでいいか?」
「へ? ちょ、ちょっと貴方正気ですか? この店はすでに債務超過に陥ってるんですよ?」
呆然としたような顔で反応の無かった銀行マンに声を掛けると、完全に予想外だったのか銀行マンは間の抜けたような顔をしておどおどとしていた。
「俺に債権を売るのか? 売らないのか? どっちだ!」
「し、少々お待ちを」
態度のはっきりとしない銀行マンに苛立って声を荒げると、銀行マンがおろおろと落ち着かないようすで金貨を確認しだした。
「確かに本物のようですね。では、債権譲渡の契約書の作成をしますので少々お待ち下さい」
金貨の確認を終えた銀行マンは、まるでこちらの考えが変わらないうちに急げと言わんばかりにせっせと債権譲渡の契約書を作り始めた。
まったく、物の価値のわからない馬鹿が。
こんなやつに大切な醤油を潰させるわけにはいかない。
「最後にもう一度だけ確認しますが、この店は債務超過になっていて債務の回収は絶対に不可能ですからね? こちらとして願ったり叶ったりですが、後になって無かった事にしてくれと言っても通用しませんよ? 本当にいいんですね?」
黙ってコクリと頷くと契約書にお互いにサインする。
そんな俺達のやり取りに、江戸っ子気質の爺さんは呆然としたような顔でずっと黙ったままだった。
「では、こちらがお店の債権証書になります。それでは、私はこれで失礼します」
銀行マンが爽やかな笑顔で軽く会釈すると、スキップでもするかのような軽やかな足取りでお店から出て行った。
「こりゃあ、いったいどういう事でえ?」
銀行マンが居なくなった後、江戸っ子気質の爺さんが憮然とした表情でぶっきらぼうに尋ねてくる。
「どうもこうも、今日から俺がこの店の債権者になっただけです。もう、店をよこせと言って来るうるさい人はいませんよ」
「意味がわからねえ。てめえも金儲けのために、店をよこせと言ってくるんじゃねえのか?」
「違いますよ。さっきの銀行マンですか? 言ってましたよね? すでにこの店は債務超過だと。お金が目的ならそんな頭の悪い事はしません」
「債務超過だあ? てやんでえ! 難しい事はわからねえ」
「ええと、つまり、借金の多寡の方がお店の資産をすべて売却した時の金額を越えてしまっている状態です」
「なんだと? じゃあ、てめえは損しかしねえじゃねえか? てめえの目的はなんだ?」
「そんなの決まってるじゃないですか。ただ、醤油が欲しいだけです」
訝しげな顔で尋ねてくる江戸っ子気質の爺さんに、微塵の迷いも無く即答する。
そう、俺にはお店が潰れてかわいそうだとか、そんな頭の悪い偽善的な考えなどは微塵も無いんだ。
商売をしているのだから、儲けるも儲からないも当人次第。
店が潰れるのであれば、それはその人に商売の才覚が無かっただけですべてそいつの責任。
それによって生じた責務を負うのは当たり前なんだ。
俺が助けるのは、俺にとってそれだけの価値があるからだ。
いや、助けるなどと言うのはおこがましいな。
助かるのは、それだけの価値を生み出した、紛れも無いこの爺さんの実力なのだから。
俺の真意が伝わったのか、江戸っ子気質の爺さんが一瞬呆けたような顔を見せると口元がにやりと笑う。
含み笑いをすると、間髪入れず俺の肩をバシバシと豪快に叩きだした。
「くっくっく。てやんでえ! 嬉しい事言ってくれるじゃねえか! 気に入ったぜこんちくしょうが! 俺はゴンゾだ。俺の事は大将と呼びやがれ! おう、てめえの名前は何だ?」
「達也です」
「そうかよ、じゃあ達だな」
「大将、これからよろしくお願いします」
「おう、こっちこそよろしく頼むぜ達!」
大将と固く握手する。
「大将、早速で悪いのですが、どういった経営をしているのか確認したいので財務諸表を見せてもらえますか? 最悪、儲けは出なくてもいいのですが、さすがに赤字は困るので」
「あん? 財務なんだって? なんだそりゃあ?」
「お店の収支が書いてある決算表の事です。帳簿でもかまいません」
「それでしたら、店の奥にあります」
首を傾げていた大将の後ろから、最初に応対してくれた前掛けをした職人さんが答える。
「そうか、おう、サブ持ってこい」
「へい、大将」
サブと呼ばれた職人は、威勢良く返事をすると店の奥に消える。
「それじゃあ達、サブのやつが帳簿を持ってくるまで醤油の生産工場を案内してやるからこっちにこい」
「え!? まさか……帝都で販売しているだけではなくて、ここで醤油を製造しているんですか?」
「ああん? おかしな事を聞くやつだな? ここで造らなくて何処で造るってんでえ? おっと、そっちの連れの嬢ちゃんはどうするんだ?」
嫌な予想に頭を搔きながらセレナを見ると、お店に置いてある巨大な樽に興味津々なようすだった。
うーうーと唸りながら目を爛々とさせている。
「セレナはどうする? ここに居るか?」
「セレナ、ここで見てるよぉ」
「奥に行けば、もっと面白い物が見れるかもしれないぞ?」
「ほんとぅ? じゃあセレナもいくのぅ」
セレナの元気な答えを聞くと、大将に醤油の製造工場を案内してもらうために店の奥へと向かった。
「たっつん、あれ何してるのぅ?」
「うん? どれだ?」
工場に入ると、大きな樽の上で職人さんが櫂のような木の板で中を掻き混ぜているのが目に入った。
どうやら、醤油を攪拌しているようだ。
「はっはっは。嬢ちゃん、ありゃあな、空気を入れて醤油に呼吸をさせてるんだ。どういう原理かはわからんが、まあ、醤油も生きてるんだろうよ」
「えー!? 醤油が生きてるのぅ?」
セレナが驚いた顔を見せると、その後は醤油をかき混ぜる職人さんが面白いのか『すごい、すごい』と大はしゃぎだった。
セレナの一喜一憂にほっこりしていると、不意に視界の端を職人さんが通り過ぎて行った。
職人さんに何かの違和感を覚える。
何だ? 何か変だぞ?
違和感の正体を探るために、職人さん達のようすを注意深く観察する。
すると……
燻した小麦を混ぜて小部屋の中に運んでいる職人さんが俯いていた。
大豆を砕いて煮ている職人さんが深い溜息を吐いていた。
なぜだかみんな元気が無い。
お店が潰れるのではと心配しているのだろうか?
でも、それにしちゃあずいぶんと深刻な状態だよな?
どうしたんだろうと思っていると、サブと呼ばれていた職人さんが帳簿を持ってきた。
「達也さん。おまたせしやした。こちらが帳簿です」
「どうも。早速拝見させていただきます」
帳簿を受け取ると、ざっと流し読みでお金が何に使われているか簡単な経費の確認を行う。
そして、長期負債の欄まで目を通すと思わず顔が渋くなる。
やっぱり借地か。
危惧していた通り工場は借地で、借りている土地代だけで儲けに対して足が出てしまっている状態だった。
ここは皇帝ナインスのお膝元で、帝都の都心部の一等地である。
そんな場所に生産工場を作っていれば、土地代だけでマイナスになってしまうのは無理もない話しだ。
うーん、それでも売り上げの高い月の収支はプラスになってるのか……
醤油はやっぱりすごいな。
これなら、生産工場を移転すれば何とかなるかな?
幸いにも帝都は水運が発達している。
輸送コストはそんなに高くないはずだ。
「大将! 醤油は原材料からどのくらいの期間で製造できるんですか?」
「そうだな、物によって多少変わるが、まあ、概ね早くて半年といった所か?」
やっぱり、そのくらいの期間は掛かるのか。
生産工場の変更はすぐには無理か?
まあ、すぐに移転先が見つかるとも限らないしね。
しかし、時間が経てば経つほど赤字は膨らんでいくんだ。
急いで移転先を探さないと。
でも、大将にどうやって説明しようか?
いきなり言って、はいそうですかと納得してはもらえないかもしれないからな。
「……ふぅ」
思わず溜息が漏れてしまう。
まあ、それはとりあえず置いておくとして……
それよりも問題はこっちだ。
帳簿を見ると、従業員の給料が未払いになっていた。
だめだろこれは!
職人さんの元気が無かった理由はこれかよ。
給料未払いは絶対にまずい。
従業員が居なくなれば速攻で詰む。
この問題は、火急的速やかに解決しなければいけない。
ええと、いくらだ?
ひのふのみ……と2000万エルくらいか?
後は、当座の運転資金で1000万エルあればいけるか?
「大将、このお金で職人さんに給料を払ってやって下さい」
「なっ!? くっ! 達、す、すまねえ。うう、これで……やっとあいつらに払える」
少し大きな声を出して大将に金貨を30枚渡すと、普段は涙を決して見せないような男がその時だけは流してしまう、所謂男泣きを大将がしていた。
「大将、これから頑張っていきましょう」
大将を励ましつつ、さっきから大将の後ろでさりげなく作業の振りをして聞き耳を立てているようすの職人さんを盗み見る。
職人さんの目の端からは、大将と同じようにキラリと光る眩しいものが零れていた。
感動に打ち震えているのか肩がぷるぷると震えている。
よーし、伝わったな。
後は勝手に話しを広めてくれるだろう。
大将が後で皆に話すだろうけど、こういった事は少しでも早く伝わった方がいいからね。
工場からお店に戻ると、大将と工場の移転について話をする。
だが、大将は移転には納得がいかないようだった。
「駄目だ達。それだけはいくら達の願いでも聞けねえ」
「赤字の原因は、あきらかにここで醤油を生産している事です」
「べらんめい! この店は何百年もの間この場所で続いてきた伝統ある店なんでえ!」
「サブさんの方からも説得して下さい」
「すいやせん。大将にはあっしの方からも何度か言ったんですが……頑として聞き入れてはもらえなくて」
「馬鹿野郎! この店はなあ、100年前に帝都が焼け野原になった時も先代が汗水垂らして必死になって再建したんだ。それがおめえ、その店の場所を俺の代で、はい、そうですかと簡単に変えられるわけねえだろうがよ!」
「大将、帳簿を見た限りでは当時とは地価の価格がまったく変わってしまっています。その当時はそれで良かったかもしれませんが現在では駄目なんです。社会の変化に応じてこちらも変わっていかないと」
「すまねえ達、それだけは……先祖に顔向けができなくなっちまう」
大将が『それだけは譲れない』と何度も繰り返しながら目を瞑って腕を組んでいた。
親方や親父もそうだったけど、職人さんは頑固な人が多いよな。
そこに理がまったく無くても形の無い情に偏執的なまでに固執する。
まあ、その妄執にも似た狂った信念こそが、時として常軌を逸した素晴らしい物を生み出すわけなんだが。
理屈では通らないか……
となると、赤字を相殺するために儲けを増やすしか道はないわけなんだが……
どうするかな?
腕を組んで思考を巡らせる。
ここはセオリー通り、生産性を伸ばして利益率を上げる方向で行くか?
うーん、でも、それだけじゃちょっと足りないかな。
帝都の繁栄の具合から、地価がまだまだ上がる可能性が高いんだよね。
だから、もっとこう、売り上げを爆発的に増やす方向で行かないとジリ貧になるかもしれない。
うん、販路の拡大が課題だな。
そうなると広告や宣伝が必要になってくるんだけど、それには長い時間と莫大なお金が掛かるんだよね。
醤油という調味料の使い方の方が伝わってないから、レシピ本なんかを出してしっかり宣伝すればワンチャンあるかもしれないんだけど醤油の単価が高すぎるから難しいかもしれない。
なんだかな……
方向性は販路の拡大で、もっと違うアイディアはないだろうか?
えーと、確か醤油はエル大陸でしか販売してなかったよな?
なら、いっそのこと他の大陸で売ってみるか?
うん、それがいい。
でも、そうすると船で運ぶことになるのか?
それだとさすがに輸送費用の方が馬鹿にならないぞ?
そうなると、その大陸で製造するべきだな。
グルニカ大陸とモンド大陸のどっちがいいかな?
グルニカならサムソンさんでモンドならアニーがいる。
この後にモンド大陸に行くのだから、モンド大陸で決まりだな。
よし! 決めた。
「大将! この店はこのままでいいので、その代わりにモンド大陸に新しく醤油の製造工場を建設したいのですが」
「あん? どういうことでい?」
「この店を続けるには、もっと売り上げを伸ばして儲けを増やす必要があります。そのために、他の大陸でも醤油を販売するんですよ」
「なんだって? 他の大陸って……おめえ、売る場所に当てはあるのか? それに輸送費は大した金額じゃねえんだろ? だったら、ここで造ったやつを運べばいいじゃねえか」
「モンド大陸に知り合いの商人がいますから、販売の方は問題ありません。輸送の方ですが、さすがに船を使って海を渡るとなると輸送費が跳ね上がるので駄目です。嵐に巻き込まれて沈没するリスクも考えれば現地で製造するべきです」
「なるほどな……話しはわかったぜ。俺が直接現地に行って監督するのはいいとしてよお……肝心の工場を建設する資金はどうするんでえ?」
「それは俺が何とかします」
「まじか? おめえ費用がいくらかわかってるのか? 5億、10億エルじゃきかねえかもしれねえぞ?」
「大丈夫です。当てはありますから」
唖然としたような顔の大将に、にっこりと笑顔で答える。
まあ、いざとなったら特効薬を売ればなんとかなる。
もっとも、あれは親方がロイドさんのために作った物だから、なるべくお金のためには使いたくないんだよね。
「達、おめえいったい何者なんだ?」
「ただのしがない冒険者ですよ」
大将と話しをつけると、モンド大陸にあるアニー商会で会う約束をして宿へと戻った。




