156話 愚かなる狂宴
達也が迷子になって6日目
「先生、セレナの具合はどうなんですか?」
「命に別条はありませんが、しばらく安静が必要です」
街へ戻った2人だったが、セレナが高熱を出して寝込んでいた。
「たっつん、た、たすけうのぅ」
セレナが高熱にうなされながらうわごとを言う。
「傷のある状態で山野を動き回ると、このような状態になる事があるのです。この薬を1日1回必ず飲ませて下さい。いいですか? 安静にしていなければ死ぬ事もあるのですからね?」
セレナのうわごとにただならぬ気配を感じたのか、医者が念を押すようにセリアに警告する。
「わかりました」
深刻な表情をしたセリアがお礼を言うと医者は帰って行った。
「達也……ごめんなさい。こんな状態のセレナを1人置いて探しには行けない」
宿屋のベットで、セリアがセレナに寄り添うようにして泣いていた。
今日もレイクウッドの森では、レミングス隊がゴブリン達と向かい合うように陣を構えていた。
戦いが始まると昨日と同じ様な展開になっていたのだが、リュカがゴブリンの動きを見ると何やら不思議そうな顔をして訝しんでいた。
「ゴブリン達の動きが変です。これは、何かあったようですね」
「はあ、動きが変なのですか? わしにはさっぱりなのですが……それと何かとはなんですじゃ?」
リュカが怪訝な表情を見せて呟くと、まったく状況がわからないようすのエバンスがすかさず聞き返す。
「まだわかりませんが、恐らく。いえ、念のため確認した方がいいですね。一旦部隊を後退させます。あと、どなたか殲滅力のある部隊をお願いしたいのですが」
「はあ、ならば、トニーの部隊が適任ですじゃ」
状況がいまいち飲み込めていないエバンスが首を傾げながら近くにいた兵士に指示を出すと、すぐに前線で戦っていたトニーが部下と騒ぎながらやって来た。
「隊長、調子はどうすか?」
「今日も斬りまくってるぜ? この戦場はいい! さいっっこうに、ハイな気分だ!」
ご機嫌なトニーが大声で愉快そうに笑う。
「これ! トニー! 静かにせんか! リュカ元帥の前だぞ! 申し訳ない、どうにも、うちの部隊は粗野で血の気が多い連中が集まってくるようで、ですが、腕は申し分ないですじゃ」
エバンスが慌てたようにトニーを叱るとリュカに非礼を詫びていた。
「ごちゃごちゃうるせえんだよ爺! 俺は魔物が斬れりゃあ、それでいいんだよ。何だったら、人間でもいいんだぜ?」
先程までご機嫌だったトニーが不快感を隠そうともせず顔をしかめる。
怒りの形相でエバンスを睨みつけると眉間にしわを寄せて威嚇していた。
「団長、私がサポートに回りましょうか?」
そんなトニーの様子に眉をひそめたタッカートがすかさず申し出る。
「すまんなタッカート。本陣の指揮はワシが執るから、タッカートはトニーの部隊をサポートしてくれ。アイラは姫様の護衛に徹してくれるかのう?」
「団長、私も突撃部隊に加わりたい」
「アイラ」
数々の命令違反の前に、さすがに堪忍袋の尾が切れそうになっているエバンスが感情の篭らない声でアイラの名前を呼ぶ。
「わかった。私に任せるといい」
エバンスのただならぬ様子にアイラがびくりと硬直すると、さすがにまずいと判断したのかすごすごと了承していた。
「まったく、しょうがないやつらじゃわい」
連日の苦労に、疲れ果てたような顔のエバンスが溜息を吐くように嘆息していた。
力任せになぎ払われた大剣の一撃が入ると、千切れたゴブリンの上半身が勢いよく転がり跳ね上がる。
「死ね死ね死ね! 皆殺しだ!」
まるで先ほどの鬱憤を晴らすかのように、トニーが大剣をめちゃくちゃに振り回していた。
トニーはゴブリンをまったく視認していない。
しかし、闇雲に投げ出されたかのような大剣は、なぜか次に殺すゴブリンへと確実に向けられていた。
これは、トニーが何度も生き物を殺し続けた事によって自然と身についた特技だった。
トニーは生き物を殺すのが好きだった。
殺すのが好きで好きで、虫を殺し、動物を殺し、魔物を殺し、そして、ついに人へと向けられた狂刃は、エバンスによって直前で阻止された。
そして、逮捕されたトニーが罪人として突き出されて取り調べが行われると、厄介な事実が判明する。
トニーは生き物を殺す事が好きなだけで、そこにはまったくと言っていいほど悪意が無かったのである。
唯、純粋に、生き物を殺すと言う行為が好きなだけの大きな子供だったのだ。
困ったエバンスは思い悩み、ナインスにトニーの助命を懇願する。
ナインスはトニーを処刑する事を良しとせず、トニーの凶行を抑えたエバンスに預けて道理を教えるよう命令した。
そして、現在に至る。
もし、その才能が何の罪も無い人へと向けられていたら……
少しでも方向が違っていたのなら、それはただの悪だっただろう。
戦場において、その殺しのセンスが燦然と輝いていた。
トニーに続くようにして、あのいかれたレミングス隊の中でも、もっとも過酷と噂される特攻部隊も奮戦していた。
ゴブリン達の数の方が圧倒的に多くあきらかに不利な戦場なのだが、戦っている兵士達の顔には笑顔があった。
過酷な戦場を潜り抜けてきた彼らにとっては、ここは有利とすら言ってよい戦場だったからだ。
ゴブリン達の数は目に見える速度ではっきりと減っていた。
「見事なものですね。しかし、正直な話、ここまでの戦力だと部隊の運用に支障をきたしてしまうでしょうね」
「どういう事ですかのう? 強ければその方が良いのではないのですか?」
「いいえ、部隊の強さに差があると、その部隊だけ前線から突出してしまって各個撃破されてしまうのですよ。ですから、足並みを揃えなければいけないのです。弱い者が強い者に合わせる事はできませんから、強い者が弱い者に合わせる事になります。しかし、その指示の調整がなかなかに困難なのです」
「さすがはリュカ元帥ですじゃ。大軍を指揮した事が無いワシでは、理解の及ばない所ですじゃ」
意味がわからなかったのか、エバンスが感心した振りをして遠まわしに誤魔化していた。
リュカが困ったような顔をして咳払いをする。
「オホン、それより、どうやら間違いないようですね」
「どういうことですかのう?」
最初から作戦の意図がわからないエバンスが、首を傾げて説明を求める。
「左翼にいたゴブリンの集団は1024匹でしたが、現在は312匹です。今までは、1000の部隊は800を割ったのなら即座に撤退していました。これは、誤差にしては多すぎます。最初は誘い込むための罠かと疑いましたが、今までのように、すぐに撤退できるように部隊が動けていません」
「ちょっと待ってくだされ。リュカ元帥は、戦場にいるゴブリンの数を一桁単位で把握しておるのですか?」
「そうですが? もちろん、視認できる範囲ですけど」
「どうやって、数を把握しておるのですか?」
「どういう事です? 見ればわかるではありませんか?」
「……………………」
リュカが質問の意味がわからないと、きょとんとした顔で首を傾げるとエバンスが口を開けて間抜けな顔をしていた。
「つまり、ゴブリンロードから命令が来ていない。何らかの理由でゴブリンロードと連絡が取れないと判断するのが妥当でしょう。いえ、このタイミングなら倒されたと考えるべきでしょうか? でも、一体誰が?」
リュカは呆けていたエバンスを気にしたふうもなく、淡々と解説を続行する。
説明を終えると、いつものように何時の間にかずれていた眼鏡を直して何処を見るでもなく虚空をぼんやりと眺めていた。
達也が迷子になって7日目
今日もレイクウッドの森ではレミングス隊がゴブリン達と睨み合っていた。
しかし、今日はレミングス隊だけではない。
ゴブリン討伐が簡単にできるとの噂を聞いて、すでに総勢50万もの冒険者達がリュカの指揮下に加わっていた。
「ゴリガン様! 大変です。帝国軍第1軍団が! 奇術師リュカが! 西の都の冒険者達が指揮下に」
「何事だ!? ええい! 要点を言わんか! この愚図が!」
報告がもたらされると、西の都の評議会は一瞬でパニックに陥っていた。
状況を詳しく聞いたゴリガンが途端に真っ青な顔になる。
「ナインスの若造め! これが狙いだったのか!」
「リュカが奇術を使うと言う話しは本当だった。ご、ゴリガン様、我々はどうしたら?」
評議会議員が、ガタガタと震えながらゴリガンに縋るように尋ねる。
「兵を集めろ! こうなれば、ナインスの首を押さえてやる。くそぅ! どうやって西の都の冒険者達を……どんな奇術を使った?」
額に脂汗を滲ませながら、ゴリガンがびくびくと怯えたように指示を出していた。
「貴様ら! ここを何処だと思っている!」
「黙れ! だまし討ちを仕掛けようとしたのはお前達だろうが!」
ゴリガンはすぐに動かせる私兵1万を集めると、即座にナインスの居る帝国官邸に押し入っていた。
門を挟んで、帝国兵のロイヤルガードとゴリガンの私兵の小競り合いが始まる。
そして、すでに数を頼みに何百かのゴリガンの私兵が官邸内に雪崩れ込むようにして突入していた。
官邸内の異変に剣聖ノヴァークが駆けつける。
戦闘の只中に身を躍らせると、刹那の神剣、閃光剣を放っていた。
戦場に光の軌跡が乱舞する。
数瞬後には、官邸内に押し入っていた数百の兵士達はすべて絶命していた。
「これは何事だ!?」
ノヴァークが応戦していた衛兵に状況を確認する。
「報告します。相手は西の都の軍隊のようです。少数ですが突如として攻め込んできました」
「なんだと!? なんと愚かな……こんな馬鹿なまねをすればこの国は終わりだろうに。はっ!? 陛下」
ノヴァークが首を振るようにして嘆いていると、ナインスが最低限の護衛を伴って戦闘が行われている門の前へと向かって悠然と歩いていた。
「陛下、ここは危険です。お下がり下さい」
ノヴァークが慌てたようにナインスに駆け寄る。
「駄目だ。このままだと両者に多大な死者が出る。どちらも守るべき同じ帝国民だ。それに、どうやらゴリガンもいるようだから理由を問い質さないといけない」
「陛下、お待ち下され」
ナインスは笑顔のままノヴァークの制止を遮ると、兵士の後ろに隠れるように佇んでいたゴリガンの前に悠然と歩んで行った。
ゴリガンの命令を受けた私兵数百がナインスに一斉に襲い掛かる。
しかし、ナインスの歩みは止まらない。
笑みを浮かべたまま、真っ直ぐにゴリガンのいる方へと歩んでいた。
ノヴァークがナインスを一瞥すると無言で前に出る。
閃光剣が再び戦場で煌くと、瞬きほどの時間すら掛からずにゴリガンの前に立ち塞がっていた私兵数百は一瞬で全滅していた。
剣聖ノヴァークの常識の外にある戦闘力を目の当たりにして、ゴリガンはがたがたと震えて呆然と立ち竦んでいた。
戦場に空白の時間ができる。
「双方、剣を引けー!」
ナインスの澄んだ声が朗々と官邸に響き渡ると、戦闘が一時中断する。
しばらくすると、剣を打ち鳴らしていた1万のゴリガンの私兵と、百にも満たないロイヤルガードが門を挟んで睨み合うようにして分かれていた。
ゴリガンが多数の護衛を伴って出てくると、ナインスが冷酷な視線をゴリガンに向ける。
「これは、何事だ?」
「惚けるな! レイクウッドの森に50万もの部隊を待機させているだろうが! あいつらに西の都を襲わせるつもりだろう!」
ナインスが感情の篭らない声で問い質すと、ゴリガンが額に青筋を立てて切羽詰ったかのような金切り声を出して非難する。
「何の事だ?」
状況がわからないとナインスが怪訝な顔をしていると、何時の間に来ていたのかジェペが駆け寄り耳打ちをしていた。
「まさか、そんな事になっていたとはな」
ナインスがジェペを見ながら驚いていた。
「申し訳ありません、情報が遅れました。まさか、事実関係を確認する事もせずいきなり兵を挙げるとは……くっ、陛下の御身を危険にさらし、死罪は覚悟しております。ですが、せめてこの身が果てるまでは盾となりお守りさせて下さい」
ジェペが膝を付き苦渋の顔で覚悟を決めたかのようにナインスに謝罪する。
「やれやれ、密偵がこんな目立つ所に出てきては駄目じゃないか」
「陛下……」
ナインスが小声で諭すように囁くと、ジェペが声を殺して泣いていた。
「さて、評議会代表のゴリガン殿に質問だ。西の都の冒険者達はなぜ我が帝国軍に従っているのだ?」
「そんなもの知るか! 貴様らが金か何かで買収したんだろう!」
ナインスが両手を広げて劇のお芝居のようにゴリガンに問いかけると、ゴリガンは馬鹿にされたと勘違いして怒鳴り散らす。
「それは異な事だ。50万近くの冒険者達を買収だと? 西の都の密偵に気づかれずにか?」
「な、何だ? 何が言いたい?」
ナインスがそんな事もわからないのかと失望したような顔で首を振ると、薄々は疑問を感じていたゴリガンが焦ったように目をきょろきょろと泳がせていた。
「ご、ゴリガン様」
眼鏡を掛けた評議会議員がおずおずと近づき耳打ちすると、ゴリガンの顔が急に青くなる。
「こ、この、馬鹿もんが! 貴様が早く言わないからこうなった。貴様の所為だ!」
「ひっ!? お止め下さい、ゴリガン様」
ゴリガンが怒り狂い、眼鏡を掛けた評議会議員を力任せに何度も殴りつける。
「止めないか! 見苦しい」
「ひぃ! お、俺は悪くない。こうなったのは無能な役員どものせいだ」
ナインスが一喝すると、ゴリガンが怯えたように身を竦め開き直って言い訳を始めていた。
「どうやら誤解は解けたようだ。ならば、お引取り願おう」
「俺は悪くないんだ。あいつらが……」
「さっさと兵を引け! ここは帝国領だ!」
尚も言い訳を続けようとしていたゴリガンに、ナインスが怒気を含んだ声で威嚇をする。
ゴリガンは恐怖で腰を抜かしのけぞるようにして尻餅をつくと、口をぱくぱくとしながら這いずり逃げるように官邸から姿を消した。




