155話 進撃のアイラ
達也が迷子になって5日目
今日もゴブリン討伐のために出陣したレミングス隊が、レイクウッドの森の入り口付近に集結していたゴブリン達と睨み合うように対峙していた。
「さて、試してみましょう」
ゴブリンをぼんやりと眺めていたリュカが、何時の間にかずれていた眼鏡を直しながらぼそりと呟く。
「エバンス殿、誰か突破力のある部隊をお願いしたいのですが。ただ、私の予想が外れたならばかなり危険な状態になってしまいますが……」
リュカが申し訳無さそうな顔で尋ねると、エバンスは一瞬だけ怪訝な表情を見せる。
そして、恐る恐るといった感じで背後にいたアイラを盗み見て絶句したようなうめき声を上げる。
リュカの話しを聞いていたアイラがエバンスを凝視するように見て、突撃したい! 突撃したい! と無言の圧力を向けていた。
「突破力があって、危険ですとな?」
エバンスは額に汗を流しつつ、アイラの視線に気づかなかった振りをしながらリュカに聞き直して確認する。
「はい、ゴブリンロードが戦況を予想できないように、強引にゴブリンの戦列を突破する必要があります」
「団長! 私に任せるといい」
アイラは我慢出来なかったのか、エバンスが何か言葉を発する前に名乗りを上げる。
すでに無駄と悟っているのか、エバンスはあきらめたように首を左右に振ると、余計な事は何も言わずにアイラに突撃するよう指示を出していた。
「エバンス殿? アイラ殿に何か問題があるのですか?」
エバンスの様子がおかしい事に疑問を感じたのか、リュカが怪訝な顔をして質問する。
「腕の方は文句無しですじゃ。しかし、アイラは命令違反をして行ける所まで行こうとする癖が……いや、何でもないですじゃ。はあ」
エバンスはゆっくりと言葉を吐き出すように答えると、しかし、途中で言い淀んで首を左右に振り眉間にしわを寄せてため息を吐く。
最後には難しい顔をしたまま黙り込んでしまっていた。
そんなエバンスの苦労など露ほどにも感じていないアイラは、危険な任務に小躍りしそうなほど喜んでいそいそと出撃準備をしていた。
「アイラ隊長! おいら、また隊長と一緒に突撃できる日が来るなんて思ってなかったっすよ」
危険な突撃前だというのに、アイラの元部下達が和気あいあいと集まってくる。
そして、その様子はまるでこれから遊園地にでも遊びに行くかのように楽しげである。
「うん、私もだ。さあ、血湧き肉踊る命を掛けた戦いを楽しもう」
アイラが薄っすらとした笑みを浮かべて嬉しそうに答えていた。
白銀のプレートメイルに身を包んだ重装備のアイラが、騎兵が使うような大きなランスを構えてゴブリンの集団に突撃して行く。
そして、アイラの後を追うようにアイラの率いる約1千の右翼の部隊も突撃して行った。
ランスを突き出すように突進していたアイラの体から、パリパリとイナズマのような電流が迸る。
ゴブリンの直前まで来ると、ジェット機が離陸する時のような甲高い音を出してアイラの体が放電したように輝いた。
直後、アイラが爆発したかのように急加速する。
アイラのランスの矛先がゴブリンの集団に衝突すると、金属がひしゃげるような鈍い音を出してゴブリン達がピンボールの玉のように派手に弾かれていた。
弾き飛ばされたゴブリンは、まるで悪い冗談かのように空を泳ぐようにして飛んでいた。
戦車のようなアイラの勢いは止まらず、そのままゴブリンの集団を貫くと杭を打ち込んだかのようにゴブリン達を分断する。
そこにアイラの後方から追従してきた左翼部隊がさらに傷口を引き裂くように開いた穴を広げると、たったの1合で1万はいるであろうゴブリン達の厚い前衛を見事に突破していた。
「ライトニングアサルト。錆びついてはおらんようじゃな」
アイラの見事な敵陣突破にエバンスが感心したように頷く。
そんなエバンスとは対照的に、リュカはきょろきょろと戦場を見渡してゴブリンの動きを観察していた。
「さて、どうなりますか。ここで強引に突破して来るとは、さすがのゴブリンロードも予測できないはずです」
リュカとエバンスが固唾を呑んで経過を見守る。
突破されたゴブリン達の前衛はパニック状態になり、右往左往して逃げ回っていた。
「やはり、何処からも指示が出ている気配がありませんね。そして、ゴブリン達はどうしたらいいのかわからないみたいです」
リュカが納得したように頷いていた。
「やはり、戦場はいいな」
ゴブリンの前衛部隊を突破したアイラは、感慨にふけりながらゴブリンの後衛部隊を眺めていた。
アイラの口元に笑みが浮かぶと、命令にないゴブリンの後衛部隊にまで突撃を敢行する。
「ばかもの! 戻らんか! アイラ!」
先程までアイラの敵陣突破にしきりに感心していたエバンスは、相変わらずだったアイラの命令違反に青筋を立てて怒鳴り散らす。
アイラは単騎でやすやすとゴブリンの後衛部隊まで突破すると、突破したゴブリンの後衛部隊を突破し直して戻って来て、自分の指揮する右翼の部隊と素知らぬ顔で合流していた。
「はあ、まったく」
エバンスが深い溜息を吐く。
「ふむ、ここまでされているのにゴブリンには動きがありませんね。やはり、そうですか。ゴブリン達には指揮官がいないようです」
落胆しているエバンスとは対照的に、リュカの方はアイラの命令違反による突破で自分の考えに確信を持ったようだった。
「ど、どういう事ですかのう? ワシにはさっぱりですじゃ。この愚息めにもわかるように説明して下さらぬか?」
リュカの突拍子も無い推論に、エバンスが驚いたように反応するとわけがわからないと質問する。
「ゴブリン達の戦い方が少々非効率的だったのです。それなのに特定の条件では恐ろしく判断が早いため、指揮官を配置せずに決められた条件で動いているのではないかと推測していたのですよ。そこで、意図的にイレギュラーを発生させたのです。本来ならば、指揮官からすぐに指示が出るはずなのですが、予想通り何処からも出ていませんでした」
「おお、さすがはリュカ元帥ですじゃ。それならば、この戦いは楽勝ですな」
「いえ、事はそう単純ではありません。おそらくは長期戦になります」
リュカの顔が険しくなる。
「どういう事ですかいのう?」
エバンスが怪訝な顔をしてリュカに尋ねる。
「ゴブリンロードは、ある程度ゴブリン達の数が減るとすぐに撤退するように命令をしているようです。三十六計逃げるに如かず、逃げる相手を殲滅するのは困難です。ましてや、大軍の移動や追撃に不利な森の中、地の利もゴブリンにあります」
「では、どうされるおつもりですじゃ?」
「困りましたね。最終的には勝利するでしょうが、このままでは消耗戦になってしまいます。ゴブリンロードを倒す事ができれば話しは簡単なのですが。しかし、本人は安全な場所から作戦と指示だけ出して戦場には決して出て来ないでしょう」
「リュカ元帥、なんとか、そのゴブリンロードとやらを倒す事はできんのですか?」
エバンスの問いにリュカは何かを思い出すように目を瞑る。
「昔、Aランクの冒険者達が討伐に向かった事があるそうですが、どれがゴブリンロードかわからなかったそうです。手当たり次第にゴブリンを倒したそうですがゴブリンロードは最後まで隠れたままだったそうで、昼夜を問わず襲撃を受け続けて最後には堪らずに撤退したそうです」
「なんともはや、仲間が殺されていると言うのにゴブリンロードとやらは騎士の風上にも置けぬ奴じゃわい」
「まあ、ゴブリンロードは騎士ではありませんが、そうとう狡猾な相手のようです。それでも倒そうとするならば、気づかれないよう単独で行動して、明かりも無しで暗闇の森を隠れて移動し、夜襲による不意打ちでも仕掛ければ……あるいは倒せるかもしれません。もっとも、そんな事ができるとは思えませんが」
「現状では、打つ手は無しという事ですかのう?」
「そうなります。下手に兵を動かせば、ゴブリンロードはその隙を必ず突いてくるでしょう。ここは、正攻法で腰をすえて相手が崩れるのを待つのが上策です」
リュカの指示を受けたエバンスは、後方部隊の指揮はリュカとタッカートに完全に任せてエリスの護衛をするために前線へと向かって行った。
リュカの適切な指示によりゴブリン達が面白いように倒され始めていた。
ゴブリンの集団が蹴散らされ次々と戦場から撤退して行く。
「だいたいのパターンはわかりました。次の攻撃でゴブリン達は西へと移動を開始します。冒険者達にも指示を出して下さい」
「リュカ元帥? 冒険者達は指示に従わないのではないですか?」
タッカートが怪訝な顔をしてリュカにすかさず質問する。
「はい、今は従わないでしょう。ですが、彼らの目的はゴブリン討伐です。私の指示に従った方が効率が良いと判断されれば、目端の利く者から順に私の指示に従うようになります。集団を統率するには目的を同じにする事です。ならば逆に、目的が同じならばその集団を統率する事も可能なのですよ」
「なんと!? 勉強になります!」
タッカートは我が師を得たりと尊敬の念を込めてリュカに敬礼していた。
「ギャワー!」
エリスの炎剣が触れるとゴブリンが一瞬で灰になる。
ゴブリン達が一目散に逃げ出していた。
最前戦では、ふて腐れ気味のエリスが淡々とゴブリンを討伐していた。
リュカとタッカートに指揮を任せたエバンスもエリスの護衛で追従する。
「ああ、いらいらしてしまいますわ。少し戦うとすぐに逃げてしまいます。もう、いっその事」
リュカにやり込められてから、黙って指示に従っていたエリスだったのだが、さすがに鬱憤が溜まってきたのか爆発しそうになっていた。
エリスの目が怪しく煌く。
「姫様! なりませぬぞ? レイクウッドの森での上級魔法の使用は国際法で固く禁じられております。皇帝陛下、ナインス様の国際的なお立場が悪くなってしまいますぞ」
エリスのぼやきにエバンスが冷や汗を搔きながら必死に諌める。
部下に姫様にと、今日もエバンスの気苦労は絶え無いのであった。




