154話 奇術師リュカ
豪華絢爛な調度品が所狭しと立ち並ぶ部屋で、ナインスとゴリガンによる会談が秘密裏に行われていた。
「これなど、どうですかな? キラーパンサーの敷物で極上品ですぞ? 毛並みがまったく違うのがわかりますかな? これを入手する時はそれはもう大変でしたなあ」
ゴリガンが下卑た笑みを浮かべて、豪華な調度品の数々をナインスに自慢するように解説する。
「俗物が」
興味が無さそうに聞いていたナインスがぼそりと呟く。
「これを持ち込んだ商人が強欲なやつでしてな、はっはっは、結構な金額を吹っかけられました。陛下はなかなかの目利きだと聞いておりますが、これがおいくらだかわかりますかな?」
「下らない話しはどうでもいい。現在、我が領土を不法占拠しているお前達には即刻退去してもらいたい。勧告はすでに散々したはずだ」
いまだ講釈を続けようとしていたゴリガンをナインスがピシャリと止めると、無表情のまま定型文を読み上げるように警告していた。
「フン! 何をおっしゃいますやら、我々は独立しております。西の都は帝国領土ではございませんでな」
ゴリガンは豪華な調度品の数々を見せつけ、ナインスを萎縮させようと小細工を労していたのだが、それはまったく通用してはいなかった。
策が上手くいかなかったことに忌々しそうに鼻息を荒くすると、不遜な態度で意に沿わないと反論する。
「盗人猛々しいとはお前のような恥知らずの事を言うのだな。100年前に帝都が焼け野原になった混乱時に、火事場泥棒のように不法占拠しただけではないか」
「これは皇帝陛下とは言え、聞き捨てなりませんな。我が国の生い立ちを冒涜なされるおつもりか? それとも、まさか戦争でもなさるおつもりですかな? 知っているとは思いますが、我が国の背後にはエルフ達が住んでおります。下手に帝国の大軍を動かしては、いらぬ誤解を与えかねないのではないですかな?」
醜悪な顔をしたゴリガンが下卑た笑みを浮かべて、鬼の首でも取ったかのような不遜な態度でナインスに語り掛ける。
そんなゴリガン相手に、ナインスはまるで物でも見るような冷めた視線を向けていた。
達也が迷子になって4日目
帝国軍第1軍団に、奇術師リュカと進撃のアイラが合流していた。
「おお、これはリュカ元帥、お久しぶりですじゃ」
「はい、お久しぶりですね。エバンス殿」
リュカがこくりと一礼すると、大きな胸がぶるんと震えて掛けていた眼鏡が少しだけずれる。
リュカがずれた眼鏡を人差し指で押して直すと、目を見張るような大きな胸が零れ出さんばかりに揺すれていた。
「団長、久しぶりだ」
「アイラも元気にしておったか? 陛下とは上手くやれておるか?」
「うん、陛下は良くしてくれた。……だけど、あそこにいると腕が鈍るんだ。私は、常に焼け付くような……ちりちりとした生死の境を彷徨うような……そんなぎりぎりの戦場に身を置いておきたい」
アイラが笑顔で答えると、その後は少し俯いてこぶしを握りしめる。
アイラの心情を代弁するかのように、後ろで無造作に結んだだけの腰まで垂れた漆黒の髪が風も無いのにゆらゆらと揺れていた。
「やれやれ、難儀な事じゃ。せっかく器量が良いのじゃから女として幸せに生きればいいのにのう」
「女はとうに捨てている。最強を目指すために戦場で死ぬのなら本望だ」
固い信念を持ったアイラの言葉にエバンスが半分あきらめたような顔をして首を振る。
「エリス様、お久しぶりでございます」
リュカがエリスの傍に歩むようにして近づくと、恭しくお辞儀をして臣下の礼をとる。
「リュカ元帥、休暇中の所申し訳ありません」
「いえ、それより、ゴブリン相手にかなり派手に立ち回ったと伺いました。あまり、陛下に心配を掛けてはいけませんよ」
「それは……お兄様」
エリスは恥じらうような顔をして、しょんぼりと俯く。
「エリス様、1つお伺いしたい事があるのですが?」
「はい、何でしょうか?」
「陛下には、第1軍団の指揮を執れとしか命令は受けておりません。ゴブリンを殲滅する理由が無いのであれば、軽くあしらう程度にしたいと考えているのですが」
「あります。達也様の命が掛かっているのです」
俯いていたエリスが、リュカの質問に弾かれるようにして反応する。
「達也様? その方は重要人物なのですか?」
「はい、魔族を滅ぼす力を持っているかもしれない人なのですわ」
「魔族を?」
リュカが怪訝な顔をしてエリスを見る。
「お願いします」
「エリス様がそこまで……わかりました。では、殲滅を目的として指揮を執ることにします」
エリスが真剣な表情で恭しく頭を下げると、リュカは覚悟を決めたように頷いていた。
「リュカ元帥、感謝いたします」
「しかし、そうなると困りましたね。レイクウッドの森に生息しているゴブリンは、百万匹以上は居ると聞きました。とてもではありませんが第1軍団だけでは戦力が足りません。主力部隊の第2軍団や第3軍団を動かす事ができれば問題ないのですが、それは状況からいって不可能でしょう。冒険者達も私の指示には従ってくれないでしょうね」
「そうですな。昨日も、わしらだけで戦っていたような状態でしたからな」
エバンスが昨日の激戦を思い出したのか、げんなりとした顔をしながら答える。
「来るまでにざっと確認しましたが、冒険者の数は20万くらいでしょうか? 見物なのでしょうか、何か一般人らしき者が多数混ざっていたように感じましたが、誤差の範囲でしょう。第1軍団の総数が3千ですから、冒険者達のサポートに回った方が効率が良さそうですね」
リュカから冒険者のサポートに回るとの言葉が出ると、不満なのかエリスの顔には曇りが差していた。
「セレナ、待ちなさい! エリス様達と合流して一緒に戦うのよ」
「やだ! たっつんを早く助けるのぅ」
レイクウッドの森をセリアとセレナが、ゴブリンの大軍を相手に無謀な前進を続けていた。
セレナは、次々と襲い掛かってくるゴブリンを休む間もなく斬り続ける。
しかし、すでにMPが尽きて疾風の魔法の加護は無く、限界も近いのか足はがくがくと震えていた。
雨のように飛んできた矢が腕に刺さると、ついにセレナの足が止まる。
剣を持ち上げる事すらできないのか、腕もだらりと下がっていた。
ゴブリン達が隙を逃さずセレナに襲い掛かる。
援護のためにセレナの背後を守っていたセリアの姿が瞬時に消えた。
同時に雷鳴のような音が戦場に轟く。
後には、頭の無くなったゴブリンの無残な死体だけが戦場に転がっていた。
セリアは矢を放っていたゴブリン達を瞬時に殲滅すると、下を向いて肩で息をしていたセレナを睨みつける。
「いい加減にしなさい!」
「はあ、はあ、たっつんが、たっつんふぁ、びぃえー」
「ほら、泣かないの。達也なら大丈夫だから。ゴブリン相手でもこの数は無理よ。一旦戻りましょう」
セリアとセレナは達也捜索を断念して街へと戻って行った。
「右翼は広がらずに待機して下さい。左翼はもっと散らばるように広がって下さい」
リュカからの指示で左翼であるトニーの特攻部隊が広がると、兵達は各個で好き放題に戦って暴れ始めた。
「ひゃっはー! おまえら! おどれー! うおおおお! 最高だぜ!」
すき放題に暴れられることでトニーは完全にご機嫌になっていた。
雄たけびを上げながら自慢の大剣をぶんぶんと振り回してはゴブリン達を追い掛け回す。
ゴブリン達は怯えたように左翼の部隊から逃げるように遠ざかっていた。
その姿を、右翼にいて待機を命じられたアイラが羨ましそうに見ていた。
自分も突撃したくてうずうずしているのか、お預けをされている犬のようにリュカを何度も恨めしそうにちらちらと見ては無言の脅迫を繰り返す。
しかし、肝心のリュカの方はそんなアイラの視線などおかまいなしで涼しい顔をして受け流していた。
アイラはやるせなさそうにして待機する。
「リュカ元帥、この布陣にはどういった意図があるのですか? これでは右翼の戦力が遊んでいる状態なのですが」
タッカートがリュカの指揮を理解しようと、しきりに頭を悩ませていた。
我慢ができなかったのか指揮の最中に質問してしまう。
「これ、タッカート、リュカ元帥の指揮の邪魔をするでない」
エバンスがすぐにタッカートを叱責する。
「はっ!? 申し訳ありません。どうしてもわからず、つい」
「向上心を持つのは良い事です。かまいませんよ」
タッカートが慌てて謝罪すると、リュカは何でもない事のように指揮を執りながら解説を始める。
「報告で聞いた話しから、冒険者達は第1軍団を盾として利用して安全な場所でゴブリン達と戦っていたようです。ですが、それではこちらが持ちません。ですから、冒険者達にはしっかりと戦ってもらう必要があるのです」
「あっ!? なるほど、それで……勉強になります」
リュカがほんの少し説明するだけでタッカートは作戦の意図を理解して、背筋を伸ばしてリュカに敬礼する。
「なんと、そんな事になっておったのですか? わしらを盾にするとは、冒険者とは油断のならんやつらじゃわい。ですが、どうされるのですか?」
「戦わないのなら、戦わなければいけないように仕向けるのですよ。現在の作戦行動によって、ゴブリンの進行方向を集まっている冒険者達の方へ誘導しています」
「誘導? わしにはどうなってるのかさっぱりわからんですじゃ、申し訳ないのですが、説明してもらえませんかのう」
「わかりました。まず、冒険者達が広範囲に散らばるようにして戦っている為、ゴブリン達は常に退路を気にしながら戦っている状態です。冒険者達の集団は私達の右翼前方に多くいますから、左翼の部隊を広がらせてゴブリンの進路を塞いで右翼の部隊が広がらなければ、正面から戦わなくとも威圧するだけで自然と兵の少ない右翼前方へ移動するのですよ」
「むむ? どういう事ですか? わしらより、冒険者達の数の方が多いのではないですかのう? ゴブリン共は冒険者達ではなくわしらの方に向かってくるのでは?」
「確かに、全体では冒険者の数の方が多いでしょう。しかし、意志の統一された集団ではないのですよ。しかも、漁夫の利を得ようと冒険者達は後方に下がって様子見状態です。実際に戦闘しなければいけないのは前の方にいる数百だけです。10万人の中の100人と3000人ではどちらが多いと思いますか?」
「3000人ですかな?」
「そうです。戦っているゴブリン達は、実際に前の方にいる数百の冒険者としか戦っていないわけですから自然と弱い方へと流れて行きます。そして、相手は所詮はゴブリンですから戦いが本格的に始まったのなら冒険者達は戦うでしょう。そこで、待機していた右翼を突撃させてゴブリン達の退路を絶ち、冒険者達を盾にしつつ効率良く戦うのです」
「おお、なるほど。納得がいきましたわい。しかし、安全な場所で盾として利用して戦ってるつもりが、何時の間にか逆に盾にされて戦わされているとは、まさに奇術ですな」
エバンスがしきりにリュカを褒めて感服していた。
リュカ本人はさして気にしたようすはなく、違う事に思考を巡らせてるようだった。
「それより、ゴブリンの動きが妙ですね」
「妙とは何ですか?」
リュカの言葉にタッカートが食らいつくように質問する。
「集団での行動がどうにも非効率で歪なのですよ。しかし、そうかと思えば特定の判断と実行までの時間は恐ろしく早いのです。あれは、錬度が低いと言う話しとは別の問題です。これは、何かありますね」
リュカはずれた眼鏡を人差し指で押して直すと、何をするでもなく虚空を見つめて思考を巡らせているようだった。
「報告します。西よりゴブリンの大軍が押し寄せてきました。数はおよそ80万」
「報告します。西より押し寄せてきたゴブリンが撤退しました」
「報告します。北よりゴブリンの大軍が押し寄せてきました。数はおよそ70万」
リュカが思案している最中も、伝令兵により情報が続々と伝えられる。
めまぐるしく戦況が変化していた。
「報告します。南よりゴブリンの大軍が冒険者の集団を強襲しました。完全に不意を突かれたようで、冒険者達が我先にと逃げ出しています」
「ゴブリンの数はどのくらいですか?」
「およそ50万です」
「移動したにしては早すぎですね。ゴブリンの総数が百万ならば、そこにゴブリンがいるはずがありません。それに、誤差にしては多すぎます。最初からそこにいた? ならば、恐らくは……」
「リュカ元帥、わしらはどうすれば良いのですか?」
「これは最初の情報が間違っていますね。今は、闇雲に兵を動かしてはいけません。今日は撤退します」
「了解しました。姫様! 今日は撤退ですじゃ」
「そんな! わたしくしは今日、何も戦っていませんよ? リュカ元帥、これはどういう事なのですか?」
今まで不満を押し殺して指示に従っていたエリスが、納得がいかないような顔をしてリュカに詰め寄る。
「エリス様、指揮官として兵を預かるならば、武力にばかり頼ってはいけませんよ。局地的な戦局ではなく、大局的な視点で戦場を捉えてみて下さい」
リュカがひょうひょうとした顔をして問い掛けるように答えると、エリスは意図が理解できずに沈黙する。
「エバンス!」
「姫様、わしには良くわからんですじゃ。タッカート!」
「はっ! われわれの部隊が局地的にどんなに頑張っても、ゴブリンの討伐数は2万が限界かと思われます。しかし、本日はすでに軽く5万は越えていると思われます」
タッカートが説明するように答えると、エリスはさすがにショックを受けていたようだった。
気難しい顔をして俯いてしまう。
「姫様、元気を出して下され。なまじ強すぎたのが、仇となっただけでございますじゃ」
エバンスがすかさず駆け寄ると、孫を諭すような優しげな顔でエリスを慰め励ましていた。
「これほどゴブリンの数が多いのなら、ゴブリンロードはなぜ数で攻めて来ないのでしょう? 兵力の分散はもっとも愚かな行為なのですが」
そんなエリスの葛藤など気にしたふうもなく、リュカが独り言をぶつぶつと呟く。
「……わかりません。これは、もっとしっかりと情報収集をする必要があるようですね」
リュカは何時の間にかずれ落ちていた眼鏡を無意識に直すと、何処を見るでもなく虚空を見つめてぼんやりとしていた。




