149話 ハイエルフのティア
「ティア様、オーガの進軍が開始されました」
「うむ、準備は整っておるか?」
「はい、すでに全軍出撃準備は整っております」
「全軍はいらぬ、1軍のみでよい」
武装したエルフ達が整列する前で、ティアと呼ばれた一際目立つ銀髪のエルフが面倒そうに答える。
レイクウッドの西にあるオーガのダンジョンでは昔から頻繁にモンスターパニックが発生しているため、これはすでに何百年もの間繰り返されてきた全軍を鼓舞するための儀式のようなものだった。
当然ながら常勝無敗である。
ティアと呼ばれた銀髪の美しいエルフが威風堂々と歩みを進めると、後に付き従うは数万にも及ぶエルフの魔法兵団。
一糸乱れぬその行軍からは錬度の高さが窺えた。
持っている武器はクロスボウではなく扱いの難しい長弓だった。
それは魔法だけでなく弓の達人でもある事を示唆していた。
そして、槍を持っている者は一人もおらず腰に細い小剣を差しているだけである。
エルフ達にとって、近接戦などイレギュラーでしかないのだ。
大半の戦闘は強大な魔法による先制攻撃で殲滅してしまいそれで終わり。
仮に運よく生き残ったとしても、その後には百発百中の矢の雨が待っているだけである。
そのエルフの魔法兵団が、レイクウッドの森にある隠れ里から出陣して行った。
「あれの行方はつかんでおるか?」
戦地へと向かう行軍中、ティアが渋面な顔を作って付き従っていた従者に尋ねていた。
「アーチェ様の事でしょうか? 現在は西の都に戻ってきていると報告がされております。何分にも人間との交流を避けておりますれば、その、詳しい情報は分かりませぬ」
ティアの言葉にエルフの従者が言葉に窮したように答えていた。
500年ほど昔、デットラインの砦を取り戻すため世界中の人達が力を合わせて戦った。
結果は大敗で、人類は逃げるように撤退を余儀なくされた。
そして、その時エルフ達は退却する人間達に盾にされてしまったのだ。
それ以来、エルフと人間は長い間疎遠状態が続いている。
現状を嘆いたアーチェは人間との融和と交流を説いた。
しかし、エルフ達の積年の恨みは予想以上に根深かく、根気強く説得を繰り返していたアーチェは次第にエルフの一族から疎まれるようになってしまった。
普通のエルフなら秩序を守るため処刑される所なのだが、アーチェは強大な魔力を秘めた次代のハイエルフだった。
一族の将来のためにも処刑するわけにはいかず、最終的には里から追放する事になったのである。
そして、里から追放する時、報復を恐れた者達の手によってアーチェの強大な魔力は封印されていた。
「まったく、困ったものじゃ。一族全体の意志を優先できねば、ハイエルフとして一族を束ねることなどできぬと言うのに」
言葉とは裏腹にティアの表情は苦しそうだった。
本心は人と仲良くしたいのだが、族長としての立場との板ばさみで苦しんでいたからだ。
「その、あまり詳しい情報がわからないのですが、アーチェ様が人間達の中で悪行を働いているとか」
ティアのそんな葛藤を察しているエルフの従者は、伝えるべきか迷った末に畏まって答えていた。
「なんじゃと!? あのアーチェが? 何かの間違いではないのかのう?」
「はい、私も信じられないのですが、一緒に行動している赤毛の人間に、その、悪い影響を受けたのかもしれません」
「う~む、信じられんのう。アーチェは、その程度の輩ではないのじゃがな」
ティアの相貌が険しくなる。
悪事を働くような一族の面汚しであれば、仮にハイエルフであろうと長として処刑しなければいけないからだ。
ティアは目を閉じて逡巡するもすぐに首を左右に振る。
答えが出なかったようだ。
しばらくすると、戦場となるオーガのダンジョンが見えてきた。
見えてきた風景はまるで何処かの核実験場のようだった。
何かの爆心地のような空き地がぽっかりと空いていて、その周辺だけ森が完全に消滅してしまっている。
1km四方は完全に荒地になっていて、まるで何か大きな力で強引に削りとったように剥き出しの大地が憐れな姿を晒していた。
「ティア様、オーガの集団を確認しました」
「うむ、では戦闘配置につくのじゃ」
ティアから号令が発せられると、エルフの魔法兵団が横一列に綺麗に戦列を組んだ。
すると、ダンジョンの入り口付近に集まっていたオーガの集団もエルフ達に気がついたようで、雄たけびを上げながらエルフ達に向けて突撃を開始した。
戦端が開かれると、やはりと言うかあきらかにエルフ達の魔法の詠唱の方が早かった。
オーガ達は50mも近づく事ができず、エルフ達の魔法攻撃にさらされて吹き飛ばされて転がっていた。
「ストームテンペスト!」
ティアの放った風の上級魔法が炸裂すると、数百メートルにも及ぶ膨大な範囲を暴風嵐が荒れ狂う。
膨大な量の大気が竜巻のように渦を巻くと、暴風圏内では摩擦で雷のような雷撃が発生していた。
風の嵐が収まった後には、ばらばらになったオーガの部位が大量の血痕と共に大地に撒き散らされていた。
ティアの放った、たった1発の魔法で戦闘の勝敗は決する。
まだ生き残っていたオーガ達は逃げるように後退して、追い討ちを掛けるようにエルフ達が魔法を打ち込んでいた。
「ふん、たわいのない。あとはまかせたのじゃ」
「はっ、お任せ下さい」
ティアが片手間の仕事でも終えたように戦場から下がる。
何百年も繰り返してきた、いつもの見慣れた光景だった。
しかし、今回だけは勝手が違った。
「ティア様! ド、ドラゴンが!」
「なんじゃと!? 馬鹿な! デ、デッドドラゴン?」
ティアが上空を見上げた時にはドラゴンは頭上を通り抜けていた。
一瞬遅れて爆風が発生する。
抉られた土砂と共に、ティアの体が木の葉のように宙を舞っていた。
ドラゴンがすれ違いざまにブレスを放ったのだ。
大地を切り裂くような衝撃破がエルフ達を襲うと同時に、あの強大なエルフの魔法兵団の大半が消し飛んでいた。
ドラゴンはそのまま大地に降り立つと、近くにいた者から無差別に殺戮を始める。
正気を失っているのか、狂ったように目をぎろぎろとさせて口からは涎を垂らしていた。
無謀にもドラゴンを迎撃するエルフもいたが、固い鱗の前には魔法も弓もまったく効果がない。
ただ、爪で引き裂かれ巨大な牙で無残に噛み殺されていた。
生き残ったエルフとオーガ達は両軍入り乱れて混沌とした絶望の戦場を逃げ惑う。
エルフ達だけではなく、オーガ達もまたドラゴンの餌食になっていた。
ドラゴンの前にはオーガもエルフも関係無い。
ただ、平等に蹂躙される。
「何で、モンド大陸のドラゴンがエル大陸まで、ごほっ、全軍退却せよ!」
ティアが血反吐を吐きながら叫ぶと、血まみれの体を引きずるようにしてレイクウッドの森へ退却して行った。




