146話 戦場飯
「ここは、何処だ?」
だが、その問いに答える者はいない。
なぜなら、静かな森の中で音を発しているのは俺だけだからだ。
そこは、数メートル先の視界すら塞がれている緑と静寂が支配する世界だった。
往々と生い茂った樹木で陽の光は遮られ、緑が豊かなはずなのに生物の気配はまるでしない。
緑の匂いが立ち込める薄暗い森の中は、まるでそこだけ時間から隔離されてしまったかのように不気味なほど静まり返っていた。
最初の方は良かったんだ。
冒険者達の波に乗って、ゴブリンをコンスタントに処理しながら居合いの練習をしてさ。
だけど、戦場が右へ行ったり左へ行ったりとだんだんと現在地があやふやになっていって、そこに追い討ちを掛けるようにゴブリンの大群が現れると俺達冒険者は散り散りになってしまったんだ。
立て直そうにも現在地がわからなくて、何処に向かえばいいのかわからなかった。
どうやら、ゴブリンに誘い込まれたようだったんだよな。
俺達が戦っていたゴブリンの集団にゴブリンロードが混ざっていたんだと思う。
必死に逃げ延びたはいいが、このざまと言うわけだ。
とほほ、本当に迷将になってしまうとは。
「はあ、セリアにも深追いするなと言われてたのにな」
でも、何処からが深追いだったのかよくわからなかったんだよね。
大規模な集団戦の経験と言ったら、魔大陸でのグルニカ王国戦だけなんだ。
まあ、しょうがねえか。
暗視ゴーグルを頭に装着してギリースーツで身を包むと、ゴブリンの追撃を警戒しながら森の中を進んで行く。
すでに結構な距離を歩いたはずなのだが、一向に森を抜けられる気配はなかった。
立ち止まると、近くにあった手頃な木によじ登る。
現在地を確認して溜息を吐く。
方向の確認のために時々木に登るのだが、そのたびに目指している方向がずれていた。
森を抜けるには東へ向かわなければいけないのに、なぜか西の方へ移動してしまっている。
森の中は本当に怖い。
似た様な風景がずっと続いているから、歩いている間に方向がわからなくなってしまうんだ。
道路のように道は舗装されておらず、煩雑で迷いそうな場所でも都合良く道標などありはしないからな。
はあ、物事というのは往々にして上手く行かないもんだな。
居合いの出来は上々で、やっと追い風が吹いてきたと思ったのにな。
俯いて溜息を吐く。
いかんいかん。
もたもたしていると、ゴブリンの残党狩りにでも遭遇するかもしれない。
首をぶんぶんと振って気を取り直すと、重い足取りを引きずるようにして森の中を進んでいく。
それにしても、こう、ひっそりと静かな森を1人で歩いてると、嫌でも孤独感に苛まされてしまうよな。
まるで、俺の落ち葉を踏みしめる音だけしか世界に存在していないようだ。
心細くなり、辺りを見回す。
道もわからず、何時ゴブリンに襲撃されるかわからない。
孤独感から悲壮感へとシフトして、ネガティブさんがひょっこりと頭をもたげてきた。
歩みを止めてその場に立ち止まると、森の声に耳を傾ける。
しばらくじっとしていると、忘れたように虫の鳴き声が聞こえてきた。
見えていないだけで1人ではないようだ。
気を取り直すと再び歩き始める。
空を見上げると、時々姿を見せていた森の切れ目からは漆黒の空が顔を覗かせていた。
どうやら、日も完全に落ちてしまったようだ。
セリア達も心配してるだろうな。
「ホウ! ホウホウホウ」
「うおっ! びっくりした」
梟だろうか、近くの暗闇の中で何かが鳴いている。
木に隠れているのか、暗視ゴーグルでも姿を確認できない。
ちょっと怖い。
「そろそろ、野営の場所を決めないといけないんだけどな」
辺りを見渡して、今日何度目かの溜息を吐く。
野営と言っても、何処でも良いわけではない。
確認するべきポイントがいくつかあるんだ。
急に雨が降ってきた時に備えて、雨風を凌げる木の下が望ましい。
ここは森だからその点は問題ないが、大木は雷が落ちるから真下は危険だ。
そして、水場が近ければ便利なんだが、増水の危険があるから近すぎずできれば高台が望ましい。
崩れる危険があるから崖下なども駄目だ。
さらに、俺の場合はこれにゴブリンの襲撃も計算に入れなければいけないんだ。
木の方は問題ないのだが、横になれそうな平らなスペースと緊急時の退路のある場所がなかなか見つからない。
根気よく散策すると進行方向に見晴らしが良い場所が見えてきた。
ここなら、前方は見晴らしが良くてゴブリンが近づいてきたらすぐにわかり、背後は樹木に覆われているから後方から強襲される心配もない。
水場はまったく見当たらないが、ここならゴブリンが襲撃してきてもすぐに対処できる。
「よし、決めた」
もう結構な時間だし、ここで我慢するとしよう。
荷物を下ろして地面に座り込む。
ぐきゅるるぅぅ
腹の虫が盛大に鳴った。
「腹減ったなあ」
そろそろ夕食にするか。
コンバットレーションを全種類取り出すと、地面に綺麗に並べて悦に浸る。
フフフ、これは壮観だなあ。
わざわざ全部取り出して並べる必要は無いのだが、これは仕方が無いよね?
ミリオタだけじゃなくて、すべてのオタクの習性みたいなもんだからな。
いやあ、本当に癒されるぜ。
さて、どれにするかな?
日本の自衛隊に支給されているレーションを食べようかな。
Ⅰ型の缶詰と、Ⅱ型のレトルトパックがある。
どっちにしようか?
味はⅡ型のレトルトパックに軍配が上がるが、保存期間や耐久性はⅠ型が圧勝なんだよね。
そういえば、Ⅰ型の缶詰が廃止されて、Ⅱ型のレトルトパックだけになるとか言ってたな。
Ⅰ型は3年、Ⅱ型は1年で、保存できる期間が3倍も違うんだぞ?
さらに、空からの支援物資の投下に耐えられるのはⅠ型だけなんだ。
Ⅱ型では落下時の衝撃で袋が破けてしまう事があるんだよ。
それとも、耐久テストに合格したのかな?
技術は常に進歩してるからな。
ちなみに、便利なプルトップ式の缶詰が採用されてないのは、外れやすくしてある蓋が落下時の衝撃でずれてしまうからだ。
だから、多少面倒でも耐久性のある缶切りタイプが採用されているんだ。
コンバットレーションにおいては、味だけが評価基準ではないんだよな。
戦略上の運用も考慮しなければいけないんだ。
偉い人にはそれがわからんのですよ。
しかし、現実は隊員からの要請で変更になるんだよな。
美味しい方が良いのと、持ち運びに便利なのと、食べ終わった後の処理が楽なのが主な理由だそうだ。
食べ終わったら、空になった缶詰の数からこちらの兵数を把握されないように地面を掘って埋めて処理するんだ。
よし! 今日は記念にI型の通称カンメシとオカズ缶で行くぞ。
まずは主食だ!
白米、赤飯、五目飯、とり飯と、しいたけ飯がある。
ど、れ、に、し、よ、う、か、な?
今日はとり飯の気分だ。
オカズ缶からは、味付けハンバーグ、牛肉野菜煮、たくあんをチョイスする。
アメリカ軍のビーフシチューも食べたい。
フフフ、日米合作だ。
だが、食べるためには水を沸かし湯煎するなりして温めないといけない。
しかし、ゴブリンに居場所がわかってしまうから、火を起こすわけにはいかないんだ。
ならばどうする?
そんな時は、簡易加熱剤を使うのだ!
簡易加熱剤は、カイロ型と加水型の2種類がある。
今回は何個も温めるので、加水型の強力な方を使うことにする。
専用の袋に加熱剤を入れて目盛りまで水を入れるだけだ。
簡単なんだが、90℃くらいまで熱くなるから火傷に注意が必要だ。
ハイドレーションパックを取り出して専用の袋に水を注ぐ。
これは3L入るから、給水だけでなく水の保存用としても便利なんだよね。
ついでに、イギリス軍の紅茶を淹れるための水も沸かしたい。
こちらは、最新式のエディックスーパーヒートを使う。
今までのモーリアンヒートパックの2倍~5倍という性能で、高温を維持していられる時間が長いのが特徴だ。
小さなペットボトルのような容器に水を入れて間接的に中身を温める。
本当はお茶が飲みたいんだよね。
しかし、自衛隊の戦闘糧食にはお茶が付いてないんだ。
わかめスープとか卵スープとかの汁物が飲み物の代わりになる。
他国みたいに、飲み物も付けるべきだと思うんだけどな。
まあ、少しでも栄養を補給できて、荷物にならないなどの戦略的な効率を考えての事なんだろう。
しかし、ティーバッグや抹茶の粉末でいいからお茶が欲しい。
袋の口を閉めて25分ほど待つ。
缶詰めを取り出すと、アーミーナイフの缶切りを使って缶詰を開ける。
いやあ、やっぱり、どきどきしてしまうな。
迷子になってセリア達に迷惑を掛けているだろうから、どうにも不謹慎なんだけどね。
いただきます!
出来上がると、アーミーナイフのスプーンとフォークを使って食べる。
まずは、とり飯を口いっぱいに頬張る。
「もごもぐ、むまい!」
いやあ、日本人はやっぱり米だよね!
ボリュームも満点だ。
御飯の量が400gと、2合ちょいあるから多いくらいだよ。
レトルトよりまずいと言われてるけど、味の方も問題なく旨いよな?
カンメシの中では、とり飯と赤飯は人気のある当たり缶なんだよね。
とり飯を頬張るとオカズ缶に手を出す。
牛肉野菜煮が美味しい。
レンコンとたけのこがいい味出してるんだよな。
ハンバーグの方は味が少し薄いな、あとグリンピースがいらないんだよな。
そして、有名なたくあんを試食する。
こりこりとした食感と、ちょうど良い塩加減が絶妙なんだ。
たくあんが絶品だというのは、隊員達の中でも有名な話なんだよね。
普通に販売してもいいくらいだ。
最後のアメリカ軍のビーフシチューを食べる。
ビーフシチューはどろっとしていて思っていた物と違ったな。
もっと、さらっとしたスープのような物を想像していた。
これは、クラッカーに合いそうだ。
締め括りに紅茶を飲むと、至福感に満たされる。
う~ん、素晴らしい。
これは、非常食というレベルじゃないな。
めちゃくちゃ旨かったぞ。
ごちそうさまでした。
腹も膨れたし、そろそろ寝るか。
皮のマントを下に敷くと、落ち葉を集めてその中に潜る。
今の俺を見つけるのは、わかっていても至難だぞ?
おやすみなさい。




