143話 皇帝ナインス
そいつは微笑んでいた。
わけがわからず、驚いてそいつを凝視する。
「貴様! 皇帝陛下の恩前なるぞ? 控えろ」
護衛なのか、脇にいた騎士らしき男が声を荒げていた。
「ああ、かまわない。楽にしてくれていいよ。それと護衛はいいから、君は下がっていてくれ」
「しかし、陛下」
護衛の騎士は困ったような顔をして、陛下と呼ばれた美男子の顔色を伺っていた。
「下がれと言っているんだよ? わからないのかい?」
「御意」
陛下と呼ばれていた美男子に笑顔で命令されると、護衛の騎士は怯えるかのように身を竦ませていた。
青い顔をして一礼すると、すごすごと下がっていく。
皇帝陛下?
なぜノイズが?
どういうこと?
いろいろな疑問が頭の中を錯綜して、上手く思考を働かせる事ができない。
状況がわからず、おろおろと狼狽してしまう。
「どうやら、ほんとに僕が誰かわからないみたいだね。自己紹介させて頂くよ。僕の名前はナインス。エル帝国皇帝ナインスと言えばわかるかな?」
戸惑っていると、首をかしげた美男子がにっこりと笑顔で自己紹介をしてきた。
ナインス?
あの紹介状に書いてあった名前の人だよな?
ははは、エル帝国の皇帝陛下?
ちょっとロイドさん、なんでこんなとんでもない人に伝手があるんだよ。
帝国の後ろ盾を得たとか言ってたけど、最高権力者の後ろ盾ですか?
そりゃ紹介状を見せれば、みんなびびるよね?
いやいや、そんな事は些細な問題だ。
俺にとって本当に重要な問題は、何で異世界人だと疑った? なんだよ。
皇帝ナインスを見ると、俺の顔をじっと見ていてまるでこちらの表情の変化を伺っているようだった。
今は状況がわからないのだから不用意に言葉を発するべきではない。
沈黙は金だ。
ぼろが出ないようにだんまりを決め込むと、状況を整理するために思考を巡らせる。
まず、何処で俺の名前を知った?
やっぱり、エリス繋がりかな?
確か、皇帝ナインスの妹だったよな。
そして、ノイズが発生している事から俺の事を異世界人だと疑っていると考えられる。
ただ、俺が消えていない事から、疑っているだけで確信はないはずだ。
次に、どうやって俺の居場所を知ったのか?
それは、ロイドさんに紹介状を書いてもらった時にここに来る事を知ったのだろう。
じゃあ、その事から何が考えられる?
皇帝ナインスが西の都に居たのはさすがに偶然だっただろうけど、ノイズの発生と俺の名前を聞いてきた事から、競売場に来たのは意図的なものであると判断する事ができる。
つまり、異世界人だと疑ってわざわざ俺に会いに来たと考えるべきなんだ。
重要なのは、皇帝陛下ともなれば忙しい身だろうに、その皇帝陛下がわざわざ会いに来てまで自分の目で俺と言う人物を確認しに来たと言う事だ。
異世界人だと何か問題があるのか?
友好的な問題か何かで、異世界の技術提供が目的とかならまだましなんだが。
いや、異世界人とわかった時点でアウトなんだから駄目だな。
う~ん、ナインスの目的は何だろう?
ここを読み間違えると、あっさりと死ぬ事になるかもしれないんだ。
それとも、たまたま競売場に来ていただけなのかなあ。
大体からして、何処でどうなって俺が異世界人だと疑う状態になるんだよ?
普通に考えれば、不思議な魔法でも使うやつくらいだろ?
わけがわかんねえ。
考えが行き詰まり頭が痛くなる。
とりあえず保留だ。
今は、皇帝陛下様の相手をしないといけない。
最低限の考えはまとまったし、当たり障りのない話題でお茶を濁そう。
でも、何を話せばいいんだ?
偉い人に対しての作法なんて知らないし、謙譲語なんてわからないぞ?
対応に困っていると、護衛が何やらナインスに耳打ちをしていた。
「達也君が出品した特効薬が、売れたみたいだよ」
「え? いくらで? いや、いくらでごじゃりますか?」
慌てふためいて、おかしな言葉使いになってしまった。
「くっくくく。達也君は面白い人だね。出品した特効薬は5点で、1億5500万エルになったよ」
うお! すげー!
やったぞ。
これでマネーイズパワー作戦が発動できる。
1個いくらで売れたんだ?
え~と、1個3100万エル? とんでもねえな。
「それでは、そろそろ失礼させてもらうよ」
「あ、はい」
ぺこりとお辞儀をしておく。
どういう対応をすればいいのかわからん。
ナインスは微笑を浮かべて挨拶すると去って行った。
ああ、びっくりした。
現時点では判断するための情報が足りないから、考えても仕方ないんだよな。
落札金を受け取って早くギルドへ行こう。
落札金額の2割を税金込みの手数料で引かれていたが、1億2400万エルの大金を入手できた。
現金を受け取った帰りには、ホテルマンが国賓扱いのように護衛して付き添ってくれる。
ここに初めて来た時とは雲泥の差だ。
ホテルのロビーは人で混雑していたが、俺が通るとまるで海が割れるかのように人垣が開けていった。
皇帝ナインスと親しげに話していたのを目撃したのだろう。
いい気分と言うより、なんか恐れられてるみたいだから申し訳ない気分になる。
さっさと、ギルドに向かおう。
ギルドに着くと緊急クエストを依頼する。
緊急クエストの手数料に1億エルで褒賞に2億エル。
なんだか、金銭感覚が麻痺しそうだ。
ギルドの職員はこの大金を前にしても普通だった。
きっと見慣れてるのだろう。
さすがは西の都だ。
緊急クエストの手続きを始める。
参加条件として、その時だけパーティを組んでもらう事を明示した。
俺が求めたのは、パーティ参加を了承するものはマネーイズパワーと復唱する事である。
ギルド員に首を傾げられていたが、気にせず記入してもらった。
おそらく、これでパーティを組んだ事になるはずだ。
さて、これで準備は整った。
宿屋に戻ったら、セリア達に話してゴブリン退治といきますか。
ゴブリンよ! 震えて眠れ!
フフフ、今度こそ決まったな。
「ぶへっ!」
格好をつけて歩いていると、何かにつまづいて転がってしまった。
「痛いわねえ。ああ! 薄情者!」
聞き覚えのある声に顔を上げると、あの赤髪のレイチェルだった。
「お前は!? いつか文句を言ってやろうと思ってたんだ。何度も魔物を擦り付けやがって、俺じゃなきゃ死んじゃってるんだぞ?」
「うっさいなあ。それより、あんたこそ私の行く先々にいるけど、ストーカーなんじゃないの? ああ気持ち悪い」
ぐぬぬぬ。
ああ、腹が立つぞ。
ぎりぎりと歯軋りをして怒りを抑える。
「レイチェル、止めて。あの、ごめんなさい」
声のした方を見ると、銀髪のエルフがぺこりと頭を下げていた。
確かアーチェと言う名前だったか?
「あの、何度も迷惑を掛けてしまって、ごめんなさい。私はアーチェと言います。その……」
名前を聞きたいのだろう、アーチェが俺の顔を見て困ったように口ごもる。
「俺は達也だ」
話しの通じないレイチェルではなく、アーチェと話しをする。
アーチェから話しを聞くと、どうやら悪名が知れ渡ってモニカで仕事を請ける事ができなくなったので仕方なく古巣である西の都に戻ってきたそうだ。
それで今は、当座の資金のために何かおいしいクエストが無いか探していたとのことだ。
まあ、あれだけめいわくを掛ければ当たり前だな。
むしろ、あれだけやって冒険者資格を取り上げられなかったことを感謝するべきだ。
まったく、しょうがねえな。
まあ、あれは緊急避難的な面が強かったし、アーチェがしっかりと謝ったから許してやるか。
緊急クエストでゴブリン退治が出ているとアーチェに教えてやると、盗み聞きしていたのかレイチェルが嬉々として受付に走っていった。
「アーチェ、ゴブリンは集団になっているみたいだから、気をつけろよ?」
「わかりました。それでは」
アーチェはぺこりと頭を下げると、レイチェルの元に走って行った。




