第三十七話 『 冷凍人間 』 3/3
止血を済ませて眠る夏男
チュリぞうに射撃され、右肩の多量出血により、自室で意識を失った神崎夏男。篠原由香里から受け取った人体冷凍保存計画と篠原の関係性が告白された紙を握り締めている。
篠原は、過去にドン釈が計画する〝不老不死への科学・人体冷凍保存計画〟と呼ばれる人体実験に参加している。6年前、人体実験の被験者に篠原自ら立候補をしたが、実験は失敗に終わり、篠原の命は6年もの間、ある機関の保護によって人体冷凍保存されていた。
しかし、冷凍保存されていた人体に及ぼす副作用が思わぬ障害を起こしているのが現状。本人の生命力では、困難な事に体温が不規則で変化し、それを自力で防ぐ事が出来ない上に命に別状あり。保護されていた専門の機関に貰った薬無しでは2、3日で細胞分裂が行われてしまう。
このフレームデッドゲームの建物内には、必要な体温を保つ薬は見当たらない。篠原には厳しい状況である。篠原の被験者名〝969―8E61専用に製造された薬〟が無ければ、彼女は数日で人間の姿ではなくなっているだろう。
篠原からメッセージを受け取ったまま、気絶している夏男。雑に手当てされた右腕が止血してきた。出血や強打によって身体に大きな負担を抱えたまま気を失う人間は、本能的にその痛みや苦痛を和らげようと思考回路を停止する場合がある。
痛みや傷の具合を痛みで伝える末梢神経の動きとは反対に、そんな激痛メッセージを中枢に伝えないでくれといった防衛本能が働きかけてくる。刺激すると、自然の刺激によって誘発されるのと同様の攻撃行動あるいは防衛行動を誘発するいざという時の緊急経路がある訳だ。
そんな時は痛みを感じる事もなく、不思議な程に気持ち良く眠れたりする。右腕に巻かれた血が染みた布とは裏腹に、唾液を垂らして気持ち良さそうに眠っている夏男。
クライオニクスという単語を聞いた後からなのか、奇妙な夢の世界が広がっていく。
暗くて周りがよく見えない。ぼんやりと見えるのは、目の前でじっとこちらを見ている7歳の女の子。見覚えはない。
女の子に話し掛ける前に思わず手を差し伸べる夏男。しかし、女の子は何の反応も見せずにじっとこちらを見つめたままだ。
「やあ。キミの名前は何て言うのかな」
返事をしてくれない、ただの屍のよう、じゃないとても可愛い女の子だ。まるでこちらの声が届いていないのではないかと思ってしまう程に無反応だった。
「夢の中だっていうのに見た事も会った事もない子が出てくるなんて、不思議な事もあるもんだな。それとも俺がこの子と会った日を忘れているだけか」
「ねぇねぇ。お兄ちゃん」
話し掛けてきた。
「え、何だい」
女の子が夏男に話し掛けてきた直後の事だ。突然目の付近から尋常ではない痛みが生じて思わずまぶたをこすってしまう。無理矢理目を開けてみるが、視界がぼやけて何が何だか分からない。それでも辛うじて見えるのは、こちらを見つめる女の子の足元。
女の子の問いが続く。
「大きなお城って何処にあるの?」
今度は激しい頭痛が肩から後頭部へ向かうように襲ってきた。頭を抱え、その場で倒れ「痛い」と叫んで助けを訴える夏男。
汗が吹き出、顔が不健康にテカり始める。目の前の女の子が、不気味に微笑みながらゆっくりとこちらに近づいてきて、夢の中でも手に持っていた篠原から受け取ったメッセージの紙をサッと取っていく。
本人は此処が夢の中だと分かっている。しかし、このまま紙を奪った女の子を見過ごしてはならない気がした夏男は、取られた紙を取り返そうと立ち上がる。頭痛と目の痛みに襲われながらも、それを堪えて女の子に返事をする。
「大きなお城か。沢山あるぞ。これから一緒に探してみるかい」
「え?」
「お兄ちゃんが協力してあげるからその紙を返してくれ。貴重な手がかりなんだ」
改めて手を差し伸ばす夏男。それに対し、女の子は不気味に微笑んでいた明るみの表情から一変して哀しい表情を見せる。夢が覚める前、彼女が最後に発した言葉は「嘘つき」だった。
女の子の両親が遠くからこちらを見ている気がした。周囲を確認したいが、目の周りに生じる痛みにより視界が奪われていく。結局、奪われた紙を取り返す事も出来ずにこの夢は終わってしまった。
夢が終わった頃、数十秒位か目を覚ました夏男。
意識が朦朧とする中で目を開けると、何者かに操作されているチュリぞうのぞうさんぬいぐるみがこちらに向かって歩いて来ていた。
夏男の右手に握り締められた篠原から受け取った紙を没収して部屋を後にするチュリぞう。
『勝手にヒントを与えて貰っちゃ駄目なんだから。ね、ジョーカー』
声を発する力も残っていなければ、立ち上がる事も出来ないまま、意識を失うように眠る夏男。
始まりの夜……