きっかけ
9月22日(日)晴れ後曇り
さっきまでいい天気だったのに、今は曇り空だ。ただ、秋空に気持ちのいい風が吹いていて、とても清々しい穏やかな日であることは確かである。しかし、そうであるはずなのに、私の心は塞ぎ込んだまま。一歩外へ出てみれば、私の気持ちも少しは変わるのかもしれないが、今はそんな気分ではない。一人回想に耽り、悶々としていたい気分である。どうしようもないことをいつまでもぐずぐずと・・・。
今日は3連休の中日。実家にいれば、お彼岸だとかと言って、顔も覚えていない祖父の墓に連れていかれたであろう。そして、よく分からない般若心経とやらを唱える。祖父の墓は、市内の高台にあって、とても眺望がよい。遠くの方に海が見え、白波の間を色とりどりのヨットが行き来していることさえも分かる。お経は意外に長く、家族は皆瞑目し祈りを捧げている。私の方はというと一人目を開けて、お経をBGMにそうした風景をぼんやりと眺めているのだが、私はこの時間がわりと好きである。ここから100km離れた祖父の墓にもきっと気持ちのいい風が吹いているだろう。たぶん、今、私にその時間が与えられるのであれば、気分の一つでも変わっているのかもしれない。
彼からの最初のメッセージはまことにつまらないものであった。単なる自己紹介に過ぎない。ただ私の関心を示す1点を除いては。彼は医学生であったのである。医学生・・・。たぶん、メッセージを受け取った誰もが同じように反応したのではなかろうか。ご多分に漏れず、私もその言葉の響きを一度声に出して確かめ、語感の余韻に浸ってみた。とても気持ちがいい。友人に紹介した時の反応、親が手放しで喜ぶ姿、そして大邸宅で花や蝶に囲まれ、安穏で贅沢な暮らし。まったく簡単なものである。女なんてものは、結局はそういうことである。男女同権だとか雇用機会均等法だとか、世の活動家が声高に女性の権利を叫んでみたところで、大多数の女は男に依存したいと願っている。確かに能力のある女性の権利は認められて然るべきであろう。しかし、全て女性がそうだと思われても、これはまた困るお話である。どうか皆様、一部の能力ある女性についてのみ、その権利を認めてあげて頂きたい。他の一般女性に対しては今まで通り、特別扱いのままで結構である。
ともあれ、彼と個人的な関係に至るためにはそれなりの努力と才覚が必要であると判断した私は、早速、どのようなメッセージを送ればよいか熟考した。その結果、まず自分自身の状況を整理することが重要なのだということに気が付いた。いわゆる現状把握だ。これが正確に判断できなれば、戦いなどに勝利できるはずもない。私の現状・・・。売りはなんであろう。