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「おはよ」だけで一日幸せになるなんて聞いてない

作者: 瑠璃/風花
掲載日:2026/05/04

「おはよ」だけで、一日幸せになるなんて、その時の私は考えもしなかった。

 

 私は真島友理(ゆり)。友達もいないしニックネームも特にない。

 少しだけ遠くの高校に進学してから、余裕を持って電車に乗っていて、教室ではいつも一番乗りだった。


 席について、授業が始まるまで本を読んでいる。


 同じ中学からの進学者はたったの6人で誰とも接点はなくて。


 だから、出身校でグループが最初からできてしまっている高校では、独りぼっち。でも特に困っていない。


 今日も、教室で本を読んでいた。


「真島? おはよう! 何読んでるの?」


 ジャージ姿の男の子が近づいてきて、声をかけられたのでびっくりして、その拍子に本を落としてしまった。


「あっ。驚かしてごめん!」

「……えっと、おはよ」


 男の子は、めくれたカバーを戻しつつ本を拾ってくれた。


「12 GABEN? 意外! いまアニメでやってるよね!」

「あ……(中を見た?)」


 興奮したように言ったあと、彼はバツが悪そうに続けた。


「ごめん、勝手に見て。ってもしかして、まだ名前覚えてない? 俺は井原(いはら)(ゆずる)、漢字からみんなゲンって呼ぶよ」

「ゲンくん……」

「うん」


 嬉しそうに返事をする、明るい笑顔が眩しかった。


「忘れ物取りに来たんだった、またな!」


 そう言ってバタバタと走り去った後ろ姿を見えなくなるまで見つめたのだった。


 終業時間になれば、さっさと帰る。

 部活の入部が自由な学校で良かったと思う。私は人と話すのがちょっと苦手。だけど嫌いというわけでもない。


 今日はゲンくんと話したな。そんなことを思い返しながら、ひとり微笑んだ。


 それから、毎日ではないけどゲンくんは早朝に話しかけてくるようになった。その日は心がなぜかぽかぽかした。


「真島、おはよう! 今日も読んでるの?」

「おはよ……」


 私はぎこちなく笑う。ゲンくんがバスケ部に入っていて、朝練で早く来ていることを知った。

 170cmくらいという、バスケ部としては小柄な彼が、どんなプレーをしているのか見たことはない。


 彼とは朝以外は話したことがまだなくて。

 その均衡が崩れる日が来るとは思わなかった。


「真島ってさ、スポーツには全く興味ない?」

「え……?」


 どういう意味? って聞こうとしたとき。


「今度の土曜日に練習試合があるんだ。朝早いんだけど、見に来ない?」


 私は予想外の言葉にまばたきをして、ゲンくんを凝視してしまった。


「1年の部で出れることになったんだ」


 誘ってもらえるなんて思ってもみなかった! じわじわと嬉しさが込み上げる。


「……行きたい!」


 ゲンくんは満足そうな顔をしてスマホを出してきた。


「行き先を送るからさ、連絡先交換して」


 そして、私達はSNSで繋がった。夜は部活で疲れきってすぐ寝てしまうという彼は、朝におはようスタンプをくれるようになった。


 スマホを握りしめて、顔が緩むのを止められなくて、お母さんから「やっと友達ができた?」と聞かれた。


 あいさつはするけど、友達でいいのかな?

 


 試合のある高校は、乗り換えもあっていつもとは違う路線の電車だけれど、今日も余裕を持って早く家を出た。

 服装は迷ったけれど、学校に行くのだから制服にした。


 短くしていないチェックのスカートが揺れる。駅からの徒歩はスマホの地図アプリを見ながら歩いた。


「真島! おはよう」


 振り向くとまだ制服姿のゲンくんがいた。


「……おはよ」


 いつも通り小さく挨拶を返す。怪訝そうな顔もせずにゲンくんは話す。


「こんなに早く来るなんてびっくりだよ。俺達の集合時間もまだだよ。アップから見学して」

「……うん、楽しみ」


 早すぎたのか……と思ったけれど、ゲンくんがたくさん見れるならいいかな。たくさん……? 自分の気持ちに驚いた。


 さすがバスケ部、というべきなのか。集合場所に着くと、威圧感があるというか圧倒される背丈の人が多かった。応援席はあっちね、と言われる方に向かうことになった。


 ウォーミングアップを始めたバスケ部の人たちを眺めていたら、グループになった女の子たちがやってきた。

 リップをつけたり、イヤリングをつけたり可愛い子たちだ。制服は試合相手の学校のものだけれど、そういう可愛い子たちを見ると自分が場違いなような気がしてくる。


 おどおどしていたら、その中の人懐っこい子が声をかけてきた。クセのある明るい髪色でとびきり可愛い子だ。


「おはよう。早いね! 目当ての子がいるの?」

「……おはよう……ございます。今日は誘われて……」

「そうなんだ! でもうちのカケルっちは強いから勝てないよ!」


 カケルっちが誰かわからないけど、エースなんだよね? 何年生なんだろう。


「1年の試合を見に来たんです」


 なんとか言葉が、出るようになってきた。おしゃれな姿から警戒してしまったけれど、優しそうでよかった。


「そうなんだ。カケルっちも1年だけどレギュラーだから試合では当たらないかな?」


 得意そうな女の子が可愛くて、だから直接当たらないことにホッとしてしまった。誰に誘われたか聞かれたので、おずおずと指差して、ゲンくんだと伝える。


 そうすると「あれ? ゲンの学校だったんだ」と言って、ゲンくんに向かって手を振った。


「ゲン〜!!!」


 驚いた顔をしたゲンくんは、女の子に向かって声を上げた。


「やよいは黙って見てろ!」


 その親しそうなやり取りに、胸がチクッとした。やよいさんって言うんだ。


「ふぅん?」


 やよいさんは楽しそうに笑っていた。


「もうすぐ試合だから、トイレの場所教えてあげるよ」


 そう言って、連れられたトイレの鏡の前では、リップを塗った私が見えた。やよいさんが『おしゃれして試合を見ようよ』って塗ってくれたのだ。


「ありがとう」


 ほんの少しの違いなのに、私が変わったみたいで不思議な気分。やよいさんの人柄には遠く及ばない自分の劣等感と、優しくしてもらった嬉しさでとても複雑になった。


「そのサラサラの髪ってどんなトリートメント使ってるの?」

「えっと……」


 おしゃれの話を自分がしてるなんて不思議。体育館へ戻る道すがら、女子トークをして、乞われるままに連絡先の交換もした。


 試合は、僅差で負けてしまった。

 けれど、大きな人達を掻い潜って、縦横無尽にコートを駆けるゲンくんはカッコよかった。


「ゲンは、頭も良くて足も速いのずるいよなぁ」


 やよいさんが言葉をこぼす。えっと思って振り向くと、


「でも勝ったのうちらだからさ、慰めてあげなよ」


 って背中を押された。


「ゲン〜!!」


 やよいさんが、声を上げる。振り返ったゲンくんが気まずそうにこちらを向いた。

 目があった気がしたので、小さな声で「カッコよかった」と口を動かした。

 聞こえないと思うと、大胆なことが言える。


 ところが、少し驚いた顔をしたゲンくんは、耳を赤くして手を振ってくれた。小さく手を振り返したけれど、急に恥ずかしくなった。


「さぁ、次は一緒にカケルっちを応援してね!」


 なぜか、やよいさんのペースのままに試合相手の応援をすることになった。

 カケルっちと呼ばれている彼は背が高くて、ボールが吸い込まれるように輪っかの中に入っていく。


 1年生の試合より大きな人が多くて、遥かに迫力があった。体育の授業とは全く違う試合は、とてもスピーディーで、瞬きをすれば点が入ってしまう勢いだ。

 

 ハラハラしながら見守っていたら、無意識で息を止めていたらしくて、ぷはっと音を出してしまった。


 やよいさんが「楽しいよね」って、笑ってくれた。半分くらいの点はカケルっちさんが入れていたので、やよいさんの前情報通りのエースなんだと思った。


 試合のあとは『反省会と打ち上げがあるからごめん』ってゲンくんからSNSで連絡があったので、やよいさんとも別れて、一人で帰った。

 

 電車の中では余韻に浸って呆けていた。楽しかったし、興奮した。次があるなら、もっと分かるようにルールを調べよう。


 顔を見て言わない言葉なら、恥ずかしくても言えるかも、と初めて私からSNSにメッセージを送った。


『今日は誘ってくれてありがとう。それから……』


 そのメッセージはなかなか既読にならなかった。

 いつも夜にメッセージは来ないけれど、その日はそわそわして仕方がないのだった。

 


 

 翌朝、メッセージが来てホッとした。


『寝てしまっていたからごめん、もし元気なら昨日のお礼がしたいから、あさひ駅前に来れる? 矢宵(やよい)達も居たら来やすいかな?』


 やよいさんも誘ったんだ、と気を使ったような使ってないような文面にズキッとしながら、返事をして出かけることにした。


 どういう服がいいか迷って、誕生日に買ってもらった水色のワンピースに白いスニーカーを合わせた。


「ほらね、早く来ると思ったんだ」


 駅前には、朗らかに笑うゲンくんと、


「カケルっちさん……」

「なんだよ、それ。矢宵のせいか?」

「昨日、そう聞いていて」


 三人で笑うことになった。それから15分ほどして、やよいさんが来たけれど困惑していた。


「え? 最後? うち遅刻してないよねぇ?」


 そして改めて、同じ中学だったと二人を紹介してもらった。


「ゆりっち、ワンピース可愛い! もしかして、うちらデートの邪魔だった?」

「……そ、そんな」

「まだ、そんなんじゃねぇ」


 やよいさんの言葉におろおろする。カケルさんは大きな身体を折ってケタケタ笑っている。


「まだ、ねぇ」


 やよいさんの言葉に顔が熱くなるのだった。

 あさひ駅の近くにはショッピングセンターがあって、そこに行くことになった。午後から約束した私達は、お店を見て回る。


「ゆりっちは、リップがいいと思うんだよね」


 私が首を傾げると、ゲンくんが言った。


「お礼。昨日、とても似合ってた」

「お礼なんて! 私も楽しかったし」


 大慌てで手を振ると、カケルさんがまたケタケタ笑った。この人、笑い上戸かもしれない。


「はっきり言わなきゃわかんないタイプだぜ」


 カケルさんは、ゲンくんの肩をバシバシ叩いていた。

 結局、初めてはこういう色がいいよーって、透明度のある薄いピンクのリップをやよいさんが選んでくれて、ゲンくんが買ってくれた。


「ありがとう」


 とても照れくさかったけど、嬉しかった。ゲームセンターに寄ったりしながら、夕方には帰った。塗ったリップは、早速お母さんに気づかれて、さらに照れることになった。

 


 ゲンくんとの関係は、少しだけ変わったと思う。

 月曜日の朝、やはり早く登校して本を読んでいると、ゲンくんが、言う。


「おはよう、ゆり」

「おはよ……。今日も部活?」

「うん、次の試合も来てくれよな」


 私は嬉しくなって頷く。


「また応援に行くね」


 まだ名前のつかない関係だけれど、今日も心がぽかぽかと幸せだ。

 

「おはよ」だけで、こんなに一日が幸せになるなんて聞いてない。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

感謝です!

もし、ブクマやコメント・評価していただけましたら、とっても励みになります。


作中タイトルは初め、○転や転○にしようとしたけれど、思いつくもの全てすでにありましたので、ドイツ語の音を入れてみればとのアドバイスで、選んでみました。ありがとうございます。

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