腐肉の銀竜
ウクライナ戦争の、あまり注目されない部分を小説にしました。
正面に座る若い憲兵が、一通りこの場のルールを説明したあと、こちらに質問してくる。
名前は?
「ウラジーミル・ストレルコフ」
憲兵は、私のロシア語の名乗りに苛立ちを滲ませながら、しかし何もいわずに続ける。
職業は?
「ファンドマネージャー」
ここに連れてこられる途中ずっと考えていた冗談だったのだが、憲兵さんはお気に召さなかったようでさらに不機嫌そうな顔になった。
そんな嫌そうな顔をしないでほしい。もし、私がアメリカやルクセンブルク、シンガポールに生まれていたら、絶対にファンドマネージャーを目指していた。
「医師ですよ、医師。ハリコフ✕✕病院の外科部長です」
病棟に乗り込んできて私に手錠をかけたのは彼なのだから、当然彼はそれを知っている。それどころか…
「君が18さいで虫垂炎になったとき、切ったのは私だと覚えていてくれて嬉しいよ。立派になったね。お父さんは元気かい?」
「わたしのことは関係ないでしょう、あなたがわたしの命の恩人だとしても、わたしが対応を変えることはありません」
さも冷徹な官吏でございますといった風の憲兵殿。関係ない?彼の盲腸と私の関係に、この国のすべてが詰まっているというのに。
彼が担ぎこまれてきたのは、ちょうどクリミアがロシア軍に占領されてドンバスの紛争が始まるかというときで、輸血用血液や抗生剤が不足していた。警察幹部だった彼の父は、下手くそが息子の盲腸を切るのを受け入れられなかったために、私が彼の担当医になった。その代わり、ドンバスに向かうウクライナ軍用車両に轢かれた少女の手術が後回しになって死んだのだ。
一部の国を除いて、医療機関は公共セクターにあたり、政治権力が管理している。また、こちらも一部の国を除いて、共産圏だった地域の公共セクターは腐敗している。そして、ウクライナは旧共産圏と呼ばれていて、私はウクライナ東部、故郷ハリコフの総合病院で外科部長をやっている。よって、私はウクライナを覆う腐敗の一部だ。
戦争は死が取り引きされる。
何人の兵士の死傷と引き換えに、地域を制圧しただとか敵部隊を打倒しただとかいって、実行された軍事行動が評価される。当然支払う死が少なく、得られるものが大きいほうがよい。時として、支払う死がいかほどであっても購わねばならぬとされる結果もあるが。
さて、ここは病院。
戦時という死が取り引きされる時代には、生も取り引きされる。
私の勤めるウクライナ東部の病院では、毎日負傷したロシア兵の捕虜が担ぎ込まれてくる。旧共産圏の腐敗国家、ならず者国家に見境なく兵器を売りさばく死の商人と見られていたわが祖国は、一夜にして西側民主主義の守護者となった。祖国に課された使命は、セイント・ジャベリンや守護天使ハイマースの祝福のもと、ただ、勝利するだけでない。西側民主主義の守護者は、ハーグ陸戦条約やジュネーブ条約を遵守し、世界平和への道のりの先頭に立たなければならない。だから、捕虜は丁重に扱う。虐待や強制労働などは許されない。それどころか、怪我をしていれば我が国の負傷兵と同等の治療を施さねばならない。当然我が祖国にはその能力も意志もある。なぜなら、我が祖国は西側民主主義の守護者だから…というわけではない。
捕虜の治療を行うのは、捕虜交換でこちら側の兵士を取り戻すためだ。死んでしまうと、捕虜交換で使えない。ゆえに、政府は私たち医者に捕虜を公費で治療させる。そして、交換がなされるならば、当然レートがある。捕虜が将校であればこちらの将校と交換できる。二等兵なら何人もかき集めなければ将校とは交換できない。負傷した捕虜という価値の低い資産を、病院で運用して、我が国の兵士という利益を得る。だから私たち外科医は、戦時にはファンドマネージャーなのである。私の運用成績は、なかなかに高いらしいが、今回はそうではないと評価されたようだ。
「あなたが空挺軍の少佐ではなく分離主義者の一兵卒を治療した。これは事実か?」
「事実だ」
「空挺軍の少佐と分離主義者の一兵卒の、負傷の程度は同じだった。これは事実か?」
「事実だ」
分離主義者、ロシアではドネツク人民共和国とかルハンシク人民共和国とか呼ばれている地域の住民。
「あなたは、ロシアとの捕虜交換のレートを知っていたはずだ」
「知っていたとも」
「であるならば、空挺軍少佐を治療しなかったことは、我が軍への裏切りになると分かっていたな?」
「もちろんだ」
憲兵殿は、大きくため息をつき私の目をみる
「あなたはわかっているはずだ。あなたのせいで帰還できなかった兵士の家族があなたにどのような感情を向けるか、あなたが治療した分離主義者の捕虜にどんな感情を向けるか」
「当然、恨まれるだろうね」
「わかっているはずだ、無駄なことだと」
旧共産圏の腐敗国家、金を貰って後ろ暗い手段で恨みを晴らす仕事をする者は山ほどいる。殺しだって簡単にやってみせるだろう。
「わかっているとも」
「ならばなぜ…」
バタバタと騒がしい足音が響き、乱暴に取調室の扉が叩かれた。入れという憲兵の声に合わせて、彼の部下らしき青年がタブレット端末を憲兵に見せた。しばらくその動画を見たあと、憲兵は、私に画面を向けたずねる。
「ここに映っているのは、あなたと分離主義者の捕虜で間違いないか?」
「間違いないよ」
再生された動画には、兵士に語りかける私が映る
「これから、おまえの手術を麻酔なしで行う。2分経つごとにウクライナに栄光すあれ!と叫べ。さあ、開始だ。何をしている?叫べ。死にたいのか?」
「」
「おい、それはオーク語だろうが、人間語で言えよ」
「Слава Україні」
「よろしい」
私のメスが、兵士の大腿部を貫く。
「ぎいあああ!」
耳をつんざく叫びを無視し、止血しながら体内に残る弾丸までメスの先を届ける
「叫べ、早くしろ!このメスを鉛弾の横に添えて、傷口を縫合するぞ!!」
「Слава Україні! Слава Україні!」
「はっ、言えるじゃないか」
心底楽しそうに笑いながら、弾丸を摘出する。ピンセットに挟んだ弾丸を兵士に見せながら、撮影しているマイクが確実に拾うよう大声で語りかける。
「おまえの目玉とこの弾、交換してやろうか?」
「Слава Україні!!」
「ふん、弾丸の摘出はすんだ。あとは縫合だが、二時間ほど放置して、雑菌が入ったら縫ってやる。感謝しろよ」
「Слава Україні」
「なんだおまえ、若いくせに生きたまま傷口が腐っていくのを見たことがあるのか?」
「Слава Україні」
「おいおい、こっちは質問しているんだ。ちゃんと答えろ」
「да」
「誰がオーク語を話せと言った?」
「да!」
「上手に答えられたな、偉いぞ。今回だけは特別に縫ってやる。感謝は?」
「Дякую!!」
「またオーク語をしゃべりやがって、頭にも弾丸が詰まってるのか?切開してやろう」
「останавливаться!」
「遠慮するな。俺もオークの脳ミソを見てみたい」
「останавливаться! будь ласка!!」
「おれがおまえの脚から弾を抜いて傷口縫う理由を教えてやる、おまえみたいなオークを切り刻むのが好きだからだ。こうして治してやればすぐには死なない。死なせないで傷口を腐らせれば、そのあと手足を切り落としてやれる」
「Слава Україні」
「はは、死んだほうがマシか?残念、おまえは死ねない。俺が満足するまで死ねない。ほら、叫べ」
「Слава Україні」
「Слава Україні」
「Слава Україні」
憲兵は私を見て唇をわなわなと震わせる。
「こんなことをすれば、あなたはもう…」
もちろん、もう医者には戻れない。それどころか戦後ロシアに引きわたされて、戦争犯罪者としてロシアの法廷で裁かれるかもしれない。
「さて憲兵さん、私は捕虜を拷問したわけだ。予備役軍医の私が、軍と政府の指揮下で行う医療行為の最中に、医師と患者という力関係を利用して。証拠はまさにこの動画。戦争犯罪者である私をどうするべきかね。ハーグにでも引き渡すのが良いと思うがいかがかな?いや、私のことはどうでもよかろう。あんな目にあった被害者の捕虜はどうする?彼をウクライナに置いておくのは危険だな。私のような人間にまた襲われたらどうする?ウクライナが人道上許されざる国になれば、各国からの支援にも影響してしまう。アメリカにでも移送して安全を確保しないとな。加えていえば、そもそも私が適正に治療したかも定かではない。設備の整った、腐敗していない国の医療機関で、再検査し治療のやり直しだ。移送方法?救急車にでも乗せて、ポーランドまで直行するのをお勧めするよ。なにせ、絶対に死なせるわけにはいかないからな。ほら、私なんぞに構っている場合か?さっさと上司に報告して手続きを始めろ」
愛すべき私の故国は、ジュネーブ条約やハーグ陸戦条約を遵守する意志に目覚め、能力を授かったことになっている。そのお題目を守ろうとするなら、私はともかく捕虜を死なせるわけにはいかない。私の未来は絶えたが、彼の未来は守れるかもしれん。
取調室から出ていく憲兵を見送ると、私は小さくため息をつき、戦争が始まったころを思い出した。2022年の2月ではない。2014年だ。
私の妹は、ロシアではルハンシク人民共和国と呼ばれる地域に住んでいたが、ドンバスの紛争で戦死した。殺したのはロシア軍ではない。奪還のために妹の住んでいた街に砲弾の雨を降らせたウクライナ軍だった。あの日、国が分断されなければ、こんな戦争がなければ、私の妹の息子は、あの分離主義者の一兵卒は、今年の休暇にも私の家に泊まりに来たかもしれない。
ルハンシク人民共和国軍の兵士は員数外で、ロシアにとっては存在しない兵士だ。捕虜交換には使えないから、ウクライナにとっても存在しない。だが、私にとっては… 私と死んだ妹にとっては… 彼は確かに存在していて、私の未来と交換するに値する肉親だ。
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