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第八話 見ないふりして

 いつものように書斎の机の前、論文の執筆に向かっていたが集中出来ない。

 その理由はわかっていた。

「ジェームズ」

 不意にホームズが扉を開けて、室内に入ってきた。

「なんだい?」

「ん、特に用事は、ないんだけど」

 ペンを置いて視線を向けると、ホームズは彼らしくなくうつむいた。

「そうかい」

「ジェームズ」

「うん?」

 無理に聞き出す気もない。その権利もない。

 そう思った自分をじっとホームズは見上げる。

「ねえ、僕に隠し事?」

「おかしなことを言うなあ」

 顔ではなんでもないふりで笑って、内心でひどく動揺はした。

「私は悪い大人だからね。お前に隠し事くらい沢山あるとも」

「でも、今は僕に気づかせないようにしてる。僕を遠ざけようとしてる」

 やはり聡い子だ。そう内心自らの失態に舌打ちする。

 半端な隠し事が通じないなら、引き取るべきではなかった。

「ジェームズ」

 机を避けて真横に立ったホームズが、モリアーティの服を掴む。

「嫌だよ。遠くに行かないで。僕のそばにいて」

「そばにいるじゃないか」

 簡単に振りほどけるいとけない力だ。なのにそれが、なにより重い。

「うん、いる。でも、いない。気持ちが遠い。

 ジェームズが遠いよ」

「ねえ、シャーロック」

 そっと服を掴むその手に自分の手を重ねて、静かに問いかけた。

「お前はどうして私がいいんだい?」

「どういうこと?」

「育ての親として、どうして私を選んだんだい?

 ほかにも、大人なんて沢山いたのに」

 それは、モリアーティにとっての一番の謎でもあった。

 どうして、なぜ、なんで。

 考えても結論の出なかったそれ。

「わからない?」

「わからないから聞いているよ」

「じゃあ教えない。ジェームズの馬鹿」

 ホームズはそう言って手を離し、そっぽを向くとそのまま部屋を出ていった。

「…馬鹿、か」

 ホームズに出会わなければ一生言われることはなかっただろう言葉に苦い気持ちが湧く。不意に扉がノックされた。

「入りますよ」

「やあ、モラン大佐。ここに来るのは久しぶりだね」

 室内に足を踏み入れたモランにモリアーティは椅子に腰掛けたまま視線を向ける。

「まあ、合わせる顔がない相手がいますからねえ」

「そんなこと気にするタマかね、君」

「そうなんですけど、ね。

 あなたにも、どんな顔したらいいかわからなくて」

 モランはその端正な、王子様のような顔立ちに困った苦笑を浮かべている。

「だってあなたは、あのとき本気で怒ったでしょう?」

「…私が?」

「そう見えましたよ。教授」

 意外なことを言われて、目を丸くしてしまう。

「あなたはあのとき、本気で怒っていました。

 ホームズのために」

「…本気で、かあ」

「なにをお探しです?

 なんのリストなのか…」

 参ったように天井を仰いだモリアーティを余所に、モランは机の前まで来ると机の上に積まれた書類を眺めて眉を寄せた。

「シャーロックの養親探しだよ」

 その言葉にモランは驚いたように顔を上げる。

「もうね、わからないんだ」

 そう、苦しげに、途方に暮れたようにモリアーティは天井を見上げていた。

「この私がだよ。わからないことがある。

 シャーロックといるとわからないことが増えていく。

 堪えられないだろう?

 常に答えを出してきた私には」

「そう、ですか」

 信じられないように呟いたモランに、モリアーティは姿勢を直すとある紙を手渡す。

「あと、これを調べて欲しい」

「これは」

「ホームズ家の放火犯だ」




 モリアーティとしばらく話して、帰ろうと屋敷の玄関の扉を開けかけて、うまく開かない扉にモランは目を瞠った。

「おや、重しがあるね」

「嫌味ですか」

「いいや、本心」

 おどけて言えば、扉の前に座っていたホームズがむすっとした顔で見上げてきた。

 モランは一旦扉を引くと、立ち上がったホームズを確認してまた扉を開いた。

「君、大きくなったね。もうここに来て一年くらいか」

 そんなに時間が経ったか、と感慨深くなる。同時にそれは教授が途方に暮れるわけだ、とも。

「あなたは、なにか聞いたの?」

「なにを?」

「ジェームズから。僕のこと」

「そうだね」

 微笑を浮かべて答えるとホームズは悲しげに顔を歪めて膝を抱えた。

「狡い。僕ばっかりのけ者だ」

「それはどうかな」

 宥めるようにして、隣に腰を下ろす。

「のけ者ってね、便利な言葉だよ。

 そう言っていれば、危険から遠ざけられる。

 君をのけ者にしただけだからって」

「…っ」

 その言葉にホームズは弾かれたようにモランの顔を見上げる。

「まあ、私は行くよ。私は君にとって有害な存在だから」

「待って」

 立ち上がったモランの服を掴んだホームズが、必死にモランを見つめてきた。



「で、なんで私と一緒に人探し?」

 夕暮れの道を歩きながら、モランは困ったように呟いた。

「私は君を殺しかけたんだよ? わかってる?」

「でも、あなたはジェームズが大事だから、もうやらないでしょう?」

「…そうだけどね」

 苦笑するしかない。

 やらない。出来ない。もう、あの方を失望させたくないから。

「本当、賢いなあ」

「あなたは、ジェームズがなにしているか知っている?」

 人気のない道だ。街の喧騒も遠い場所。

「知っていて、君に教えると思ってる?」

「思わない。だから、こうする」

 言うなり、ホームズは持っていた鞄から取り出した銃を構え、モランに向けた。

「参ったな。どこから持って来たの?」

「ジェームズの部屋」

「教授も、迂闊だなあ」

 参ったように呟いて、それから笑みを消すとひたりとホームズを見下ろした。

「いいの? わかってる?

 撃った瞬間、君は人殺しだよ?

 君の家族を殺した犯人と同じになる」

 モランの言葉、鋭いまなざしにもホームズはまるで引かない。

 その瞳ににじむのは覚悟だ。

「引かない、か。それほど大事なのか……」

 そう呟いて、ため息を吐く。

 それを、自分は望んだのではなかったか。

 ホームズがモリアーティを殺せないほどに、慕ってしまえばいいと。

 だけど今の現実は、想定外だ。

 だってモリアーティが、迷っている。ホームズを想うあまりに。

「…いいよ。教えてあげる。だから危ないそれを仕舞いなさい」

 肩をすくめて言えば、ホームズは迷った後、銃を鞄にしまった。

「教授はね、君を預ける里親を探してる」

「なんで」

「自分が君の養親に相応しくないと思ったからだろう」

「そんなことない! 僕はジェームズがいい!」

 必死で叫んだホームズに、モランは緩く首を左右に振った。

「君はそうだろうね。でも教授にはそれがわからないんだ。

 あの方は、人を愛せるように出来ていなかったから」

「人を愛せるように…」

「君に出来る? 教授を変えられる? 拒絶されても」

 そう尋ねた矢先、モランはハッと息を呑んでホームズを腕の中に庇う。

 放たれた銃弾がその額をかすめた。

 モランは懐から取り出した銃を見もせずにそちらに向け、引き金を引く。

 それで静かになった。向こうの道に、倒れている人間の姿がある。

「シャーロック!」

 発砲音を聞きつけたのか、血相を変えたモリアーティが走ってくるのが見えた。

 ホームズの姿が見えないと探していたのだろう。

「ほら、君の大事な人が来た」

「怪我が」

「このくらいは安いものだよ。君にしたことに比べたらね」

 額から流れる血を白い袖で拭って、モランはホームズに微笑みかけた。

「早く行きなさい。そして自分の意思を貫きたいなら貫きなさい。

 本当に大事なものが、なんなのかを知っているなら」

 背中を押すモランの言葉に、ホームズは目を見開いて、すぐこくんと頷く。

 そして駆け寄ってきたモリアーティに向き直った。

「シャーロック」

「僕はジェームズがいい!」

 勢いよくモリアーティの胸に飛び込んで、ぎゅうっとしがみつく。

「もう一度マイボーイって呼んで!」

「…本当に、いいのかい」

「本当もなにも、僕はジェームズがいいの!」

 その声ににじむ切願に気づいたように、モリアーティは顔を歪めた。

 それは泣きそうな、喉を詰まらせるような表情だ。

「馬鹿だねえ。お前は」

 そうかすかに震えた声で言って、そっとホームズの髪を撫でる。

「本当に、馬鹿な子だ……」

 その声はどこか、安堵にも似ていた。




 別邸に帰宅した後、ホームズを寝かしつけて静かになった屋敷内で、モランはモリアーティの前に立って告げた。

「射殺しました。

 かつてのあなたの配下の一人です」

 そう、書斎のソファに座ったモリアーティに報告する。

 モリアーティの手には、今日の夕刊。

 そこに「放火犯、何者かに射殺される」と記載されてある。

 放火犯だという情報は、モランが警察に流した。

 窓の外はもう真っ暗だ。月も見えない霧の夜。

「彼には記憶があった。だからホームズ家に使用人として潜入し、火を放った。

 ホームズも殺す気だったのが、ホームズだけ助かってしまった。

 だから殺す機会をずっとうかがっていたのでしょう」

 無感情に話したモランは、不意に一瞬間を置いて尋ねる。問いかける。警告のように。

「いいんですか?」

「なにがだね」

 モリアーティはわかっていただろうに、知らないふりをした。

 モランは苛立ちもせず、静謐な表情のままだ。

「かつてのあなたは、人の心を知らない悪のカリスマだった。

 そんなあなたに魅了されて皆がついていった。

 今のあなたは、どうですか。

 昔と同じだと胸を張って言えますか」

 その問いにモリアーティは背もたれに寄りかかる。ぎしっと軋んだ音が鳴った。

「どうだろうねえ」

 ホームズが屋敷に来てからずっと吸わなかった煙草に火を付ける。

 以前は煙管を吸っていたが、今は面倒で紙巻き煙草を口に押し当て、息を吸い込んで吐く。

「わかんないや」

 煙と一緒に吐き出す。それは、迷子のような響きだ。

「滑稽ですね。

 あなたにも、わからないことがあるなんて。

 それを、そのままにしておくなんて」

 モランの口からこぼれたのは失望ではなく、侘しさに近かった。

 それを止められなかった自分への。自分ではその場所に収まれなかったことへの。

「本当に、愚かだ」

「そうだね」

 モリアーティは否定しない。ただ言葉のままを受け止めて、自嘲する。

 その指に挟んだ煙草から煙が上る。

「私が、愚かだ」


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