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第四話 今はこれだけ

「ピクニックにでも行ったらどうです?」

 ある晴れた日の午前、別邸に足を運んでいたモランがいい笑顔でそう言った。

「なんだねいきなり」

「いえ、親子らしいことしてないなあって」

「らしいもなにも、親子じゃないよ」

 モリアーティはつい胡乱な目つきになってしまう。

 なぜ自分とホームズが親子になったのか。

「そうですかねえ」

 モランは不思議そうに顎に手を当てて思案する。

「でも教授といるときのあいつ、普通の子どもらしくていいじゃないですか」

「そうかねえ?」

「ええ、多分教授と一緒にいると、彼はただの子どもでいられるんだと思いますよ」

 その言葉にホームズの言葉を思い出す。

 自分といるとき、自由でいられると彼は言った。

「ふうん…」

「お気持ちはいかがですか? お父様」

「誰がお父様だよ。揶揄うなら帰りたまえ」

 書斎の机の前に座って、不満げに声を漏らした時だ。

 部屋の扉がノックされて開く。

「ジェームズ、と、モランさん」

 最初満面の笑顔で入ってきたホームズは、モランの姿を見つけて拗ねたような顔になる。

「わかりやすいね、君」

 その変化が面白いのか、モランはくすくす笑っている。ますますホームズは不機嫌になった。

「なにがですか」

「大事な『ジェームズ』を私に取られたくない?」

「…あなたには関係ないです」

 突き放すような態度にモランはまだ笑っている。

「そうかそうか。確かに関係ないかもね、はは。

 じゃあ私はこれで失礼しますよ、教授」

「ああ」

 それが効果があったわけではないだろうが、モランはひとしきり笑うとモリアーティに一礼して辞する挨拶をした。

「頑張ってください。育児」

「面白がってるだろ、君」

「いいえそんな」

 冗談混じりの会話を最後に、モランは部屋を出ていく。

 遠ざかる靴音を耳にして、ホームズはモリアーティに駆け寄った。

「ジェームズ」

「なんだいシャーロック」

「モランさんはジェームズのなに?」

 単刀直入これだ。まだ気にしているらしい。

「…なにって」

「僕より大事な人?」

 その声も表情も明らかに拗ねている。

 大事というか、部下だけどそれを今のホームズには言えない。

「ただの腐れ縁だよ。それ以上でも以下でもない」

「じゃあ、ジェームズにとってどっちが大事?」

「そんなこと…」

 大事か、なんて聞かれても困る。

 お前は、私の宿敵なんだから。

「…シャーロック」

「なに」

「ピクニック行かないかい?」

 誤魔化す意図はなかったが、口にしてからそう受け取れるかもしれないと気づいた。

 だって答えようがないんだもの。仕方ない。

「今日は天気も良いしね。

 まあ、シャーロックの気分が乗らないなら」

 乗って来ないよなあ、と内心思いながら口にしたから、驚いた。

「行く」

 ホームズが瞳を爛々とさせてそう即答したからだ。

「行くのか。即答だなあ」

「だって、ジェームズとピクニック行きたいもの」

 ホームズはもう笑顔だ。

 ころころと機嫌が変わる。子どもはそんなものだけど。

 お前にもそんな時期があったのかと、なんだか言葉にならない気持ちになるよ。




 サンドウィッチを使用人に作ってもらって、近くの公園まで足を運んだ。

「アイスクリームも買うかい?」

「買う」

「じゃあ行こうか」

 子どもらしく食い気味に即答したホームズに、モリアーティは公園のそばにある店に向かい、二人分のアイスクリームを購入してホームズに一つ手渡した。

 硝子の容器に入ったアイスクリームは冷たく、春の陽気の今の季節にはちょうど良い。

 そのまま公園の草原の上に座って、アイスクリームを食べる。

「美味しい?」

「うん」

 頷くホームズは満面の笑顔だ。

「まあ、お前が楽しいならいいよ」

「それ」

「それ?」

「僕のこと、この前から『君』じゃなく『お前』って言う」

 一瞬なんのことかわからなかったが、改めて指摘されて自覚する。

 そういえばそうだったか。無意識だった。

「ああ、嫌だったかい?」

「ううん、嬉しい」

「嬉しいの?」

 意外な返答だ、と目を丸くしたら、ホームズはモリアーティの隣で柔らかくはにかむ。

「うん。ジェームズにまた近づけた気がする」

「…そう」

 屈託のない笑顔、嘘のない無邪気な感情、その発露。

 全部、自分の知らなかったお前だ。

「ジェームズ、こっち美味しいよ」

 アイスクリームをすくって食べていたホームズが自分の分を見せて言う。

「バニラだね」

「ジェームズのは?」

「オレンジ」

「一口ちょうだい」

「どうぞ」

 自分の硝子の容器を差し出すと、ホームズは一口分すくって口に運び、美味しそうに顔をほころばせた。

 上機嫌だ。それに安堵する自分がいる。

 ずっとそんな顔してればいいのにね、と思う。

 この前の一件でわかった。ホームズの地雷は火事だ。

 火事という悪戯には激怒するし、放火犯は放置出来ない。

 またあんな無茶をさせないよう、気をつけないと。

「ジェームズ」

「ん?」

「アイス溶けちゃうよ」

「ん、ああ」

 言われて、溶け始めていた自分のアイスクリームに気づく。

 急いですくって食べればすぐなくなった。

「なに考えてたの?」

「なんでちょっと怒ってるのかね?」

 不意に落ちたのは、なんだか硬い声だ。

「僕と一緒なのに、僕以外のこと考えてた」

「ああ…」

 まるで女性のようなことを言う、と思っていや、子どももそんなものか、と思い直した。

 自分以外が可愛がられていたら、子どもだって嫉妬する。自分の兄弟にも嫉妬する。

 だからホームズのそれは、非常に子どもらしい感情だ。

 モリアーティは手を持ち上げてホームズの額をぴんと指で弾く。

「安心しなさい。お前のことだよ」

「僕のこと?」

 額を軽く押さえながら、ホームズはぱちぱちと瞬きをする。

「ああ、お前に無茶させないためにはどうしたらいいかとね。

 この前の一件のような思いは御免だよ」

 そう正直な本音を口にしたら、ホームズは目を見開いて、頬を上気させた。

「ふふ」

「笑ってる場合じゃないよ」

「だって、嬉しいんだもの」

 そう、くすぐったそうに破顔して言うのだ。

「ジェームズが僕のことを一杯心配してくれるの、僕は嬉しい」

「…心配するよ」

 そう力無く零して、草原の上に横たわる。傍らのバスケットに入ったサンドウィッチを食べる気が今はない。

「心配するさ。だって、お前は私の唯一だもの」

「唯一?」

「ああ、換えが聞かない、唯一だ」

 本心を口にするたび、ホームズの声が弾んでいく。

「モランたちは?」

「そうだねえ。不便だけど換えは聞くかな」

「なのに、僕は聞かないんだ」

「ああ」

 だって仕方ないじゃないか。実際そうなんだから。

 そう胸中で悪態吐く。

「お前は私の、唯一だ」


(たった一人、この手で殺したい宿敵)


「へへ」

 嬉しそうに笑ったホームズがモリアーティの胸元に寝転ぶ。

 胸元に頭を乗せて、くすくすと笑った。

「重たいよ」

「ジェームズは許してくれるでしょ?」

「まあ、許すけどね」

「じゃあ、いいじゃない」

「…全く」

 仕方なさそうに零して、その頭を撫でる。ますます重みが増した。じゃれつく猫のようだ。

「甘え方ばっかり、上手くなって」

「ジェームズはこんな僕は嫌?」

「嫌じゃないよ」

 意外にも、悩む暇なく答えは出た。

「お前はもっと甘えなさい。

 お前は、まだ子どもなんだから」

 自分は、彼に甘えられるのが嫌ではない。

「私が側に居るんだからね」

 不快ではないんだ。そう思って口にすれば、ホームズはモリアーティの胸元に頬ずりをして頷く。

「うん」

 その声がとびきり甘くて、だから文句はなかった。




 不意に意識が浮上する。すぐ飛び起きた。

 先ほどと変わらない公園の草原。大時計の針は一時間進んでいる。

 しまった。うっかり本気で眠ってしまうなんて。

 この自分が、こんな不特定多数の人間が出入りするところで。

「…シャーロック?」

 ふと気づく。ホームズの姿が見えない。

「シャーロック!」

 血の気が引く思いで、立ち上がって叫んだ瞬間離れた場所でその声が聞こえた。

「返して!」

 ホームズが、鞄を一生懸命に抱えている。それを奪おうとする大人がいる。

「なにしてるんだね。それは私の鞄だよ」

 足早に近寄って鞄を掴むと、相手の女性が狼狽えた。

 貧しい身なり。貧困層か。

「あ、あの、」

「うちの子に、なんの真似だい?」

「い、いえ、あの」

「警察を呼ぼうか」

「ま、待ってください!

 ごめんなさい! お金がなくて、困っていて、それで…!

 貴族様だとは知らなかったんです。ごめんなさい!」

 モリアーティの身なりと訛りのない英語に、上流階級の人間だと察したのだろう。

 女性は必死に謝ってくる。

 以前の自分なら容赦なく潰したが、さてどうするかな、と考えた矢先だ。

 その女性の後ろに隠れていた彼女の子どもがモリアーティめがけて石を投げた。

 ガツンと鈍い音がして、痛みがじわじわ広がっていく。

「馬鹿! なにをしてるの!」

「だってぼくのお母さんいじめた!」

「違うのよ! 坊や!

 ごめんなさい! 許してください!」

 以前の自分なら容赦なく潰していた。なのに今、わき上がったのは憐憫だ。

 きっと、満足には子どもを育てられないだろう。彼女は。

「はあ、もういいよ。行きなさい。ただし、次はないからね」

「は、はい。ありがとうございます…!」

 平身低頭で礼を言った女性が子どもの手を引いて去って行く。

 それを眺めてため息を吐くと、傍らのホームズに視線を移した。

「シャーロック、大丈夫かい?

 シャーロック?」

 名を呼んだが、ホームズは顔を上げない。その身体が震えだした。

「ひっ」

「シャーロック…?」

 ホームズはいきなり、しゃくり上げて泣き出した。それに驚く。

「ご、ごめんなさい」

「どうしてお前が謝るんだね? なにも悪くないだろう?」

「だって、僕のせいでジェームズが怪我をした。

 僕が余計なことをしたから」

 正直動揺した。ホームズが泣くところを見たのは、あの孤児院でが最初で最後だったから。

 目の前にしゃがんで、あふれるホームズの涙を拭う。

「あのね、お前はなにも悪いことはしていないよ。

 私の鞄を守ってくれた。英雄だよ。

 あれはあっちの責任。責任転嫁だよ」

「で、でも、ジェームズが怪我をした。ごめんなさい…っ」

「このくらいの傷、すぐ治るよ」

 だから、ああ、どうしたものかな。

 だから子どもは苦手だ。どう扱ったらいいかわからない。

 こいつも再会したばかりのときは大人びていたのに、どんどん子どもらしくなって。


(私の、せいか?)


 私が、ホームズをただの子どもとして扱うから?

 ホームズは私の前で、ただの子どもでいられるようになった?

「…はあ」

 思わずため息が漏れたのは、自分自身に対する諦観。そして受容だった。

 怒られると思ったのかホームズの肩がびく、と跳ねる。

「怖がらなくていいよ。お前のせいじゃない」

 怯えるなと言って、ぽん、とホームズの頭を撫でた。

「泣かなくていいんだよ。いや、違うな。

 泣きたければいくらでも泣いていい。

 お前が呼ぶ限り、私はそばにいるから。

 私がそばにいれば、お前は泣けるんだろう?」

 その優しい言葉に、ホームズは安堵したようにこくんと頷いた。

「ジェームズがいると、涙が勝手に出る。

 嫌だからじゃないよ。怖いからじゃないよ。

 安心するからだよ」

「そう、それならいいんだ」

 その返答に少し安心して、表情が緩む。そして両腕を広げた。

「おいで、シャーロック」

 自分のために広げられた腕を見て、ホームズは迷った後、おず、と近寄ってそのまま飛び込んできた。

「もう大丈夫。もう大丈夫だからね。

 お前は、なにも悪くない。

 お前はいつだって正しいんだ」

 ぽんぽん、と背中を撫でて宥めるように話しかける。

「私が側に居る限り、いつだってそう言ってあげる。

 だから、思い切り泣くといい。

 お前が望む限り、私の腕の中はお前だけの居場所だ」

「ん…」

 小さく腕の中でホームズが頷くのがわかった。

「ねえ、ジェームズ」

「なんだい?」

「呼んで。僕のこと」

「シャーロック」

 出来る限り優しく呼んだつもりなのに、腕の中、ホームズはなんだか落ち着かないように身じろいだ。

「なんか、違う。違う、けど、今はこれでいい」

 そう答えてきつくきつくモリアーティにしがみつく。

「これでいいよ」



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