入っていないはずのもの
朝。
森の方から、匂いがした。
木の匂いではない。
湿った土でもない。
少し、鉄に近い。
ユウトは宿の前で立ち止まった。
風向きは、村から森へ。
本来なら、匂いは来ない。
それでも、鼻の奥に残る。
気のせいだと、
思う前にやめた。
気のせいだと決めるのは、
確認するのと同じだ。
畑へ向かう。
ガイルは、もう来ていた。
今日は畝を崩している。
作り直すほどではない。
形を、少しずらすだけ。
「昨日、森には」
ユウトが言いかける。
ガイルは、手を止めなかった。
「入ってない」
即答。
「……ですよね」
「入ってないのに、残ることはある」
言い切り。
ユウトは、それ以上聞かなかった。
聞けば、
「どう残るか」を知ることになる。
昼前。
広場。
昨日まで空いていた中心に、
小さな石が置かれていた。
誰かが、意図して置いた形。
丸くもなく、
目印にもならない。
でも、邪魔だ。
人は、石を避けて歩く。
踏まない。
蹴らない。
どかさない。
まるで、
そこに「触れない理由」があるみたいに。
「これ……」
ユウトが口を開くと、
近くの村人が首を振った。
「誰も置いてない」
即答。
「気づいたら、あった」
それ以上、説明しない。
午後。
鍛冶場。
ドラムが、刃物を全部奥にしまっていた。
使う予定があるはずなのに。
「今日は、使わないんですか」
「今日は、音が合わない」
「音?」
「残ってる音がある」
ユウトは、
昨日の森を思い出した。
入っていない。
見ただけ。
それでも、
何かが村に来ている。
夕方。
川沿い。
水が、少しだけ逆に流れた。
一瞬。
見間違いだと、
言葉にする前に止める。
止められるようになっている。
それが、怖い。
夜。
部屋に戻る。
靴を脱ぐ。
土が、落ちる。
森の土じゃない。
村の土だ。
それなのに、
踏み慣れていない感触。
指で払う。
完全には落ちない。
「……入ってないのに」
小さく、呟く。
誰にでもなく。
窓の外を見る。
森は、暗い。
昼より、遠い。
でも、
確実に近づいている気がした。
距離の問題じゃない。
境目が、曖昧になっている。
布団に入る。
目を閉じる。
今日は、
何もしていない。
それなのに、
「残ったもの」が多い。
石。
匂い。
音。
土。
全部、
入っていないはずのものだ。
ユウトは、息を吐いた。
数えない。
それでも、
減らないものがあると、
初めて知った。
眠りに落ちる直前。
胸の奥で、
小さく、確かに思った。
――次は、誰かが入る。
それが自分じゃないことだけを、
願いながら。




