表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壊れた姉の見守り方  作者: 朝露 あじさ(Asatsuyu Ajisa)
第2章「ふたりだけの家」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/39

【第4話】「“一時的”は、いつ終わるのか」

2025/8/8に本文修正致しました。

「ひとまず、少し休ませてあげてください」


会社の人にそう言われ、私は姉を連れて帰った。

そのときの私の中では、せいぜい数日、長くても一週間のことだと決めつけていた。

姉はその間に落ち着きを取り戻し、また働きに戻る――そう信じて疑わなかった。


けれど、現実は違った。


姉は私の1LDKの部屋にそのまま居座った。

仕事には戻らず、荷物もほとんど持たないまま、当然のようにそこにいた。

「ただ泊まっている」感覚は、日を追うごとに薄れ、いつしかそれは“ここに暮らしている”という空気に変わっていった。


一度だけ、私は聞いたことがある。


「……お姉ちゃん、……他に行く所、ないの?」


両親は数年前に亡くなっていた。

“帰る家”なんて、とっくになかったはずだ。

それでも、聞かずにはいられなかった。

ひょっとして、どこか頼れる場所があるのでは――そんな淡い期待が、胸の奥にまだ残っていたからだ。


けれど姉は、何も答えなかった。

黙り込んだまま、視線をパソコンの画面に落とし、私の存在を意識していないかのようだった。

厳密に言えば、答えられなかったのかもしれない。

言葉の奥の歯車が、どこか壊れているように見えた。


私はそれ以上、問い詰めなかった。

理由は二つあった。

ひとつは、答えを聞くのが怖かったから。

もうひとつは、正直なところ――別に嫌じゃなかったからだ。


仕事から帰ってくると、部屋の電気がついていて、

冷えた空気ではなく、わずかに人の温もりが残っている。

音のない空間に人の気配があることは、ひとり暮らしの私にとって、少し安心でもあった。


ただ、その安心は長く続かなかった。

姉は日に日に変わっていった。


最初は、とにかく寝てばかりだった。

昼に眠り、夜に起き、朝方にまた寝る。

時間の感覚が完全に狂っているようだった。

会話はほとんどなく、食事も一緒にとらなかった。

私が作った夕食に、たまに箸を伸ばす程度で、それもすぐに残した。


やがて姉は、部屋の隅に置いたノートパソコンの前から動かなくなった。

背中を丸め、モニターを凝視しながら、時折マウスをゆっくり動かすだけ。

何をしているのか尋ねても、「うーん」と曖昧な返事が返るだけだった。

画面には見慣れないサイトや、意味の分からない文章が映っていることもあった。


それでも私は、まだ“異常”だとは思わなかった。

仕事がつらくて、少し壊れて、回復の途中。

そういう人なんだと、思い込んでいた。

しづきは、まだ“普通に戻る途中”なのだと。


けれど、少しずつ気づきはじめていた。

――姉は、本当に戻ってくるのか?


何もしないまま、一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎた。

毎日パソコンの前に座り、外にも出ず、電話もせず、誰とも会わず。

それでも“ここにいること”だけは当然のように続いていく。


台所の食器は増えず、冷蔵庫の中身もほとんど私のもので占められていた。

ベランダに干される洗濯物も、ほとんど私の服だけだった。

姉がこの部屋にいる痕跡は、パソコンとその周囲に積み上がった小物、それと缶コーヒーの缶くらいだった。


“少し休ませてあげてください”と言われたあの日から、

もうすぐ半年が経とうとしていた。

好意で休業扱いにしてくれていた会社からも、ついに辞職の連絡が来た。

電話を切ったあと、私は深く息を吐き、姉のいる部屋のドアを見つめた。


その向こうで、姉は今日もパソコンの画面を眺めている。

戻ってくる日は――本当に、来るのだろうか。

次回も、毎日21時の更新予定です。

続きが気になる方はブックマークや、⭐︎⭐︎⭐︎の評価をいただけると、とても励みになります。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ