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壊れた姉の見守り方  作者: 朝露 あじさ(Asatsuyu Ajisa)
第4章『そして、私の日常が壊れた』

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【第28話】「破綻」

「──やばいかも」


通帳と、AIがはじき出した家計分析を見返して、私は小さく呟いた。ページの角が指先に当たり、乾いた紙の感触だけがやけに鮮明だ。蛍光灯の白に照らされた残高は、先月よりさらに細く痩せている。アプリの円グラフでは「余白」を示す色がほとんど見えない。


けれど、それでも。

心の奥底で、まだどこか信じたかった。

“まだ間に合う”――そう思いたかった。


姉はリボ払いに手を出していた。

現金がなくても、カードを使えば生活は“なんとか回る”。

けれど、その“なんとか”は、未来を削って得た、偽りの安定だった。利息の棒グラフだけが、見上げるほど静かに伸びていく。


──でも、まだ完全に崩れてはいない。

まだ、働いてる。まだ、返そうとしてる。

**まだ、大丈夫。きっと。**


そうやって自分に言い聞かせないと、私はきっと、次の一歩が踏み出せなかった。


「今後どうしたらいいかな?」

私は再び、AIに問いかける。打ち込む指が一瞬宙で止まり、また動き出す。


**『まずはご自身の家計に、無理のない余裕があるかを確かめてみましょう。

援助は一時的に必要なこともありますが、続くと負担になってしまうことがあります。

もし支援するなら、一緒に返済の流れを整理して、目に見える形にしておくと安心ですよ。』**


正論だった。完璧すぎるほどに、正しい。

けれど、それをそのまま姉に突きつける勇気は、なかった。


なぜなら──

**姉を見捨てたと思うことが、一番怖かったから。**


彼女は病気を抱えながら、一人で暮らし、頑張って働こうとしていた。汚れた部屋であっても、家賃を払い、電気をつけ、水を使っていた。窓辺の小さな植木鉢だけは、忘れずに水が与えられて艶を取り戻していた。

少なくとも、**「生きよう」としている姿勢**は崩していなかった。


私は続けて訊ねる。

「返済計画って、どう見える形にすればいい?」

**『毎月の固定費と変動費を分け、返済額と利息を見える形にしておくと安心です。

月に一度カレンダーで確認したり、支援が必要なときは事前にルールを話し合っておくと良いですよ。』**


画面を閉じると、部屋の静けさが戻る。冷蔵庫の小さな唸り、遠くで車が交差点を曲がる音。私はテーブルの端に置いたマグカップを手に取り、ぬるくなったコーヒーの苦味だけを飲み下した。喉のあたりに、言えなかった言葉がひっかかったままだ。


数日前のメッセージを開く。「ありがとう、助かる」の短い一文。白い吹き出しの笑顔スタンプが、軽いようで重い。たぶん私は、こういう合図に弱い。弱いから、動けてしまう。


だから。

私はもう一度だけ、振り込むことにした。


「今回だけね」

小さく呟いて、スマホの銀行アプリを開く。金額欄に指を置くと、過去の同じ桁が自動で並んで、胸の奥がきゅっと固くなる。メモ欄に「生活費」と打ち、消して「当面の分に」と書き直し、結局、空欄のままにした。言葉はときどき火種になる。


確認。確認。暗証番号。

送信の前に、一呼吸。天井のカバーに小さな黒い点が見える。夏の名残のようなその跡をぼんやり眺めてから、私は画面を押した。


**振込完了**。

青いチェックマークが静かに現れて、すぐに消える。

同時に、部屋の音が少し遠のいた。世界は変わらず回っているのに、**止まったのは私のほう**だ。


そのとき、ふと頭をよぎる。

**この“今回だけ”って、またなりそう……**

でも、その問いは、すぐに脇に追いやる。答えを出したら、後戻りできなくなる気がしたから。


「送ったよ」と打ちかけて、消す。「次は計画を」と打ちかけて、また消す。「今回だけね」と打ちかけて、やっぱりやめる。どれも正しくて、どれも少しずつ間違っている気がした。しばらくして届く「ありがと」の文字に、私は「うん」とだけ返す。


スマホの画面は明るい。

振込完了の文字が、静かにそこに表示されたまま、私の顔だけを照らす。

そして私は、自分の胸の奥にわき上がる妙な違和感と――

**ほんの少しの、諦めに似た感情**を見ないふりをした。


そのふりの仕方だけ、私はいつのまにか上手になっている。

それこそが、ゆっくりと進む**破綻**の音に似ているのだと、どこかで知りながら。

次回は、毎日21時に更新予定です。

お気に入りや評価をいただけると、とても励みになります。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。

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