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壊れた姉の見守り方  作者: 朝露 あじさ(Asatsuyu Ajisa)
第4章『そして、私の日常が壊れた』

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【第22話】「戻ってきた日常の、違和感」

姉が退院した。


入院から二年が過ぎた頃。

病状は安定し、主治医から「自宅での生活が可能」との判断が下された。

そして――私の家に、再び姉が戻ってくることになった。


回復を喜ぶ気持ちと、本当に大丈夫なのかという不安が、胸の中でせめぎ合う。

感情はくるくると回り続け、落ち着くことができなかった。


退院の日、病院の正面玄関で待っていると、付き添いの看護師に肩を支えられた姉が、ゆっくりと姿を現した。


少し痩せ、髪も肩までばっさりと切られている。

それでも、私の目を見て小さく笑った瞬間――

「ああ、普通になってきたんだ」と胸の奥がじんわり温かくなった。姉の意思が感じられることが、ただ嬉しかった。


正直、不安がなかったわけじゃない。

退院前の面会では穏やかに会話できていたが、それが続く保証はない。

それでも――「今度こそ大丈夫」と信じたかった。

薬さえ飲んでいれば症状は落ち着く、主治医のその言葉を、私は必死に「安心材料」にしていた。


久々に並ぶ布団。

台所から漂うお味噌汁の香り。

テレビをぼんやり眺める静かな朝。

洗濯物を一緒に干したとき、風に吹かれたシャツの袖が姉の頬をかすめ、くすっと笑う。

そんな何気ない瞬間が、胸に染みた。


「……おはよう」


台所に立つと、姉が小さな声で挨拶する。

以前より少し低く、抑揚も控えめな声。

けれど、そのひと言で「戻ってきた」と感じられた。


ところが、数日後の夜。

洗い物を終えてリビングをのぞくと、照明の下で姉がソファに座っていた。

部屋の空気が妙に重い。足を一歩踏み入れたとき、ぽつりと声が漏れた。


「それは……うん。でも私は聞いてないよ」

「うん、わかってる。けど言ったら混乱するから」


背筋がぞわりと冷えた。

低い声と、さらに低い声――

一人二役の“会話”が、また始まっていた。


テレビもつけず、携帯も持たず、視線は宙を漂わせたまま。

まるでそこに“誰か”がいるように、落ち着いた口調でやり取りをしている。

怒鳴りも奇声もない。

それがかえって、静かな狂気のようで、耳の奥に冷たい針を刺す。


「うん……言わないよ、彼女には」

「だって、あの子、壊れちゃうからさ」


“彼女”――私のこと?

胸の奥がきゅっと締めつけられ、鼓動が耳の中でやけに大きく響く。


ソファの影から息を殺し、姉を見つめる。

指先がじんわりと冷えていく。

外へ飛び出すでも、壁を叩くでもない。

でも、確かに“あの姉”は、まだここにいる。


――あの頃とは違う。

――薬も飲んでいる。

――生活は成り立っている。

――私に危害を加えてはいない。


必死にそう言い聞かせる。

けれど、その「言い聞かせ」が必要な時点で、もう安心はしていないのかもしれない。

日常の中に混じった違和感が、じわじわと心を蝕んでいく。


「また始まった」――そう思ったが、口には出さなかった。

その言葉を放った瞬間、すべてが壊れてしまう気がした。

あの日々に、逆戻りしてしまいそうで。


だから、ただ見なかったふりをした。

姉の小さなつぶやきを、ただただ無かったことと自分に言い聞かせ、心の扉をそっと閉ざした。

次回は、毎日21時に更新予定です。

お気に入りや評価をいただけると、とても励みになります。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。

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