【第20話】「診断名と、現実の境界線」
※今回は、精神的な病気に関するお話が含まれます。
不安に感じる方がいらっしゃったら、無理せず読み飛ばしても大丈夫です。
この物語は、ある家族のほんの一例として読んでいただければ幸いです。
____________________________
病院に到着したのは、昼を過ぎた頃だった。
駐車場から建物を見上げると、背筋が自然と伸びた。
高い塀、堅牢そうな扉。
その中へ入ると、さらに“もう一枚”の扉があった。
「こちら側は一般の入院病棟です。
奥の扉の先は、症状の重い患者さんが入る特別なエリアになっています」
そう説明された言葉に、私は無意識に唾を飲み込んだ。
まるで世界が二つに分かれているようだった。
私の姉は、今、その“奥”に入っていく。
病院のスタッフの方々は慣れた様子で、淡々と手続きを進めていた。
対して私は、すべてが初めてで、呆然と立ち尽くすしかなかった。
しづきは抵抗することもなく、
ただ、他人事のような顔で、その扉の向こうへと連れて行かれた。
* * *
診断結果を伝える前、医師は慎重に口を開いた。
「まず最初に……お姉さんの状態について、少しずつご説明させていただきますね」
穏やかな口調だった。
けれど私は、背筋にひんやりとしたものを感じていた。
「今のお姉さんには、現実と想像の境界が曖昧になっているようです。会話の中でも、実在しない“誰か”と話しているような様子が見られます」
――それは、私も見た。昨日の警察署での光景が脳裏に浮かぶ。
「また、強い被害妄想の傾向もあります。“誰かに監視されている”“話が筒抜けになっている”などの言動がありまして……」
私は無意識に手を握りしめていた。
“違う、そんなはずない。しづきはちょっと疲れてるだけ、大丈夫なはず――”
そんな思いが、心の中でぐるぐると巡っていた。
「症状の進行具合や、今までの行動の記録を踏まえたうえで、医師の判断として、病名をお伝えします」
医師は一拍置いてから、言った。
「統合失調症です」
一瞬、呼吸を忘れた。
…やっぱり、病気だったんだ。
もう自分も誤魔化せない、ハッキリしちゃった…
……でも、統合失調症ってなんなの…?
名前じゃ全然分からない。
私はおそるおそる尋ねた。
「それって、どういう…病気なんでしょうか……? あの……治るの…ですか?」
医師は丁寧に頷いた。
「はい。統合失調症は、脳の働きに一時的な乱れが生じてしまう病気です。幻覚、幻聴、被害妄想などの症状が現れますが、適切な薬を服用すれば、ほとんどの方が回復に向かいます」
「元通りに……?」
「…社会生活が可能なレベルに回復する方も多いです。ただし、服薬の継続と生活の安定がとても重要になります」
私は小さく息を吐いた。
そう聞いて、私は少しだけ救われた気がした。
“治らない”病気では、なかったんだ――と。
しづきは、戻ってこられるかもしれない。
もちろん、すぐに元どおりになるわけではない。
これから先、何年かかるかも分からない。
けれど、それでも支えいかなくては……。
目の前の扉の向こうにいる姉は、
いつか、また一緒に笑えるようになるかもしれない。
そんな淡い希望を、私はそっと胸にしまった。
* * *
翌日から、私は病院と家を何度も往復することになった。
入院に必要な衣類や洗面道具を運び、日用品の補充、体調の確認。
さらに、医師から勧められた手続きを進めるため、裁判所にも出向いた。
市役所や役場なら馴染みはあるけど、裁判所なんて足を踏み入れるのも初めてだった。
無機質で静かなロビー。
誰も口をきかない、閉ざされたような空気。
そんな場所に、自分ひとりでいるという事実が、やけに心細かった。
けれど――
思っていたよりも手続きはすんなりと進んだ。
私が伝えられたのは、
「本人の認知能力がない状態での入院には、家族からの後見同意が必要」ということ。
そのための委任書類を受け取るために、私はここへ来たのだった。
初めてのことばかりで戸惑っていたけれど、
淡々とした受付の方に導かれて、私は必要な書類を手に入れた。
医師から受け取った診断書の封筒を、私は両手でぎゅっと握りしめた。
こんな紙切れひとつで、すべてが決まってしまうような気がして。
でも、逃げたくはなかった。
私がやらなきゃ。
私しか、いないんだから。
両親も居ない他に頼れる人も居ない、なら私が支えて――
いや、やらなきゃいけない事なのだから。
「お願いします、治療…。お姉ちゃんを、よろしくお願いします……」
ようやく出せた声は、小さく震えていた。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
これで、ひとまず“第1部”の前編が完結となります。
最初の1話から20話のここまで、毎日更新を楽しみにしてくださった方、途中から読み始めて一気読みしてくださった方……みなさんの応援が、なによりの支えです。
21話からは、物語が少しずつ“変化”していきます。
それに伴い、次回の更新は【8月14日(木)21時】から再開予定です。
それまでのあいだ、感想やお気に入り登録で応援いただけると、すごく励みになります。
また、X(旧Twitter)では作品の宣伝イラストや、日常のちょっと気になった事も投稿もしているので、よければそちらも覗いてみてくださいね!
▶︎Xアカウント:[@Ajisa_Story](https://x.com/Ajisa_Story)
それでは、また第2部の後編でお会いしましょう。
お姉ちゃんと妹の、まだ不安定な物語を、どうか見守ってください。




