【第15話】『見つからない足音』
しづきがいない――
家中を見回しても、どこにもいなかった。
パーテーションの奥、トイレ、玄関、キッチン、ベランダ、浴室。
どこかにひっそりと隠れるようにしているのではないかと、
私は何度も部屋の隅々まで目を凝らした。
ソファーのクッションの間も、布団の下も。
現実的に考えてありえない場所まで、念のため確認した。
――でも、彼女の姿はなかった。
落ち着け、落ち着け――
そう自分に言い聞かせながら、私は深く息を吸った。
昨日の夜、私たちは会話を交わさなかった。
あの静けさが、ずっと尾を引いている。
まるで、何かが壊れてしまったような、そんな感覚。
「財布……ある」
「スマホも……ある」
「鍵も……ある」
声に出して、確認する。
でも、車のキーだけがなかった。
「……まさか」
寒気が、背筋を這い上がった。
こんな不安定な状態の姉が、車を運転しているなんて――
想像するだけで、心臓がぎゅっと締めつけられた。
私はスマホを手に取り、震える指で連絡先を開いた。
しづきの番号にかける。
コール音は鳴るのに、応答はない。
LINEも送ってみたけれど、既読がつく気配もなかった。
あちこちのコインパーキングを思い出し、
近所を一つひとつ確認しに出た。
足元がふらつくほどの不安を抱えて、
私は春の朝の街を、半ば夢遊病者のように歩いた。
だけど、どこにも――いなかった。
胸の奥が、じんじんと痛む。
冷たい風が頬を撫で、身体の奥から震えが込み上げてくる。
「どこに行ったの……? どうして……?」
息が詰まる。
もし事故でも起こしていたら。
もし、もっと深刻なことが起きていたら――。
私は膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、
一旦帰宅した。
落ち着いて、もう一度状況を整理しよう。
そう言い聞かせながら、何度も深呼吸を繰り返す。
それから数時間――
部屋の中でひたすらスマホを握りしめ、
何もできずに座っていた。
……と、突然、スマホが震えた。
「っ!」
私は反射的に画面を見た。
表示されたのは、知らない番号。
普段なら警戒するところだけど、
この時だけは、直感が先に動いた。
嫌な予感がした。
すぐに通話ボタンを押すと、
落ち着いた声の男性が名乗った。
「桐原ひなさんの携帯でしょうか。○○警察署の者ですが――」
警察、という言葉で、一瞬で思考が停止しかけた。
けれど次の瞬間、すぐに我に返り、声を振り絞った。
「はい……妹です。しづきに、何か……?」
「本日、○○市の○○ショッピングモール前で、
女性が長時間、入口付近で挙動不審な様子で立っておられたとの通報がありまして……
ご本人を確認したところ、ご家族と連絡を取っていただきたいとのことで……」
その言葉を聞いた瞬間、私はすべてを察した。
しづきが、見つかった――
でも、“無事”というわけではない。
「今、○○警察署に保護しております。お迎えに来ていただけますか?」
「……はい、すぐに向かいます」
動揺が声に出そうになるのを必死に堪えながら、私は返事を繰り返した。
「はい、行きます」「すぐ行きます」
何度も何度も。
電話を切ったあと、涙がぼたぼたと落ちた。
思考はうまくまとまらないのに、
身体は自然と動いていた。
タオルで顔を拭き、
最低限の持ち物を鞄に詰めて、
私は玄関のドアを開けた。
姉が立っていたというショッピングモールは、
家から車で40分以上かかる場所。
なぜそんな遠くまで――
なぜ財布もスマホも持たずに――
助手席に視線をやる。
そこに、いつものようにしづきがいないことが、たまらなく心細かった。
誰にも助けを求めず、
人々の視線を浴びながら、
言葉にならない呟きを繰り返していたという――姉。
その姿が、頭の中で繰り返される。
あのしづきが、
今、どんな顔でそこにいるのか。
想像が、怖かった。
それでも私は、アクセルを踏んだ。
――会いに行かなきゃ。
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