【第14話】「いない朝」
2025/8/8に本文修正致しました。
朝――
目覚ましの音が、まだ冷たい空気を震わせた。
私はソファーベッドの上で身体を起こし、ぼんやりと天井を見上げる。
カーテン越しに差し込む朝日が、薄い布地を透かしてやわらかい色を部屋に落としていた。
パーテーションの向こうからは、何の気配もしない。
しづき、まだ寝てるのかな……?
昨日は、ほとんど言葉を交わさなかった。
顔すらまともに見ていない。
それでも、あの事件のあと、ほんの少しずつ戻ってきた“普通”を、私はまだ信じたかった。
その思いが、胸の奥でかすかな温もりを保っていた。
洗面所で顔を洗い、鏡に映った自分に小さく「よし」と呟く。
台所でやかんに水を入れ、コンロに火をつける。
湯の立ち上る音が静かな部屋に響く。
けれど――どこまでいっても、しづきの気配がない。
カーテンの隙間からパーテーションの奥を覗く。
そこには、誰もいなかった。
「……あれ?」
布団は軽く整えられていて、掛け布団の端が几帳面に折り返されている。
空き缶も昨晩と同じ数。
灰皿も、増えた形跡はない。
まるで時間が止まったみたいに、昨日の夜のままだった。
でも――しづきが、いない。
寝ぼけた頭が一気に冴えていく。
私は部屋の中を探し始めた。
トイレ、浴室、洗濯機の前、ベランダ。
玄関の外に出て、共用廊下も見回す。
けれど、どこにもいなかった。
その時、何かが“変”だと気づいた。
靴が、ない。
玄関のシューズラックにいつも置かれているはずの、しづきのスニーカーが消えていた。
慌てて部屋に戻り、机の横に置かれているはずのバッグを見る。
そこには――**財布があった。**
「……置いてってる……?」
違和感が胸に重く沈む。
財布がある。
スマホも机の上に置かれている。
家の鍵も、そこにある。
……なのに。
「車の……鍵が、ない」
玄関のフックに掛けられていたキーリングだけが、ぽっかりと抜け落ちたように消えていた。
視界がじわりと暗くなり、心臓が早鐘を打つ。
私は駆け足で窓際へ行き、カーテンを開けて駐車場を見下ろした。
そこにあるはずのしづきの車――
……影も形もなかった。
「……どこ行ったの……?」
財布もスマホも持たず、車だけ持って出ていった姉。
夜のうちに、何の前触れもなく、何も言わずに。
私は窓際に立ち尽くし、動けなかった。
朝の光はやけに明るく、でも胸の奥では重い鉛のような感覚が沈み続けていた。
止まらない動悸と、喉の奥の渇きが、私の身体を締めつけていた。
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