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壊れた姉の見守り方  作者: 朝露 あじさ(Asatsuyu Ajisa)
第2章「ふたりだけの家」
14/39

【第13話】「嵐のあとの部屋で」

2025/8/8に本文修正致しました。

あの夜から、私たちは一言も言葉を交わしていなかった。


浴室から聞こえてきた水音は、夜が更けても止まらなかった。

しづきは、まるで時間の感覚を失ったかのようにシャワーを浴び続けていた。

私がそっとバスタオルを差し出すと、彼女は受け取ったものの、ぼんやりと宙を見つめるだけ。

水滴が肩から滑り落ちても、拭くことなく立ち尽くしていた。


やがて、自分の足で立ち上がり、ふらりとした足取りで部屋へ戻っていく。

私は、その背中を追いかけられなかった。

あの叫び声と、目の奥に焼きついたあの光景が、脳裏から離れない。

足が床に貼りついたみたいに、動かなかった。


翌朝、目を覚ますと、しづきはいつもの場所にいた。

パーテーションで仕切られた奥のスペース。

パソコンのモニターが、ぼんやりと彼女の顔を照らしている。

画面には、誰かがしゃべって笑い、時折大きな声を上げる配信動画。

けれど、その音が彼女の耳に届いているようには見えなかった。

ただそこに光と音が流れ続け、空間を満たしているだけのようだった。


「……おはよう」


できるだけ普段通りの声を出したつもりだった。

けれど返事はなく、しづきはゆっくりと煙草に火をつける。

マッチの火が一瞬だけ部屋を明るくし、その後に薄い煙が広がる。

指先の動きはどこかぎこちなく、吸い込む動作も浅い。


机の上には空き缶がいくつも転がっていた。

数日前に新しい灰皿に替えたばかりなのに、もう吸い殻でいっぱいになっている。

煙草の先の赤い光が、彼女の顔の輪郭をちらちらと照らし出す。

その瞳は相変わらず焦点が合わず、何かを見ているようで、何も見ていなかった。


私は洗濯機を回し、鍋で味噌汁を温めながら、何度も彼女を盗み見た。

声をかけようとしても、喉の奥に何かが引っかかって、言葉が出てこない。

「昨日のこと、大丈夫?」とか、「何か辛いの?」とか――そんな簡単な言葉すら。

私の中にも、あの夜の重い残像が残っていて、それが言葉に蓋をしていた。


午後になっても、しづきはほとんど動かなかった。

煙草を吸い、缶コーヒーを一口飲む。その繰り返し。

トイレに立つときも、足取りは危なっかしく、壁に手をつきながら歩いていた。

私はそれをただ目で追う。

見守る、というよりも――見張っているような感覚に近かった。


夕方、外は冷たい風が吹いていたけれど、カーテンの奥の空気は重く淀んでいた。

私は夕食の支度をしながら、少しでも会話のきっかけを探そうとした。

けれど、まるで糸口が見つからない。

包丁がまな板を叩く音だけが、やけに大きく響いた。


夜になると、しづきはベッドに横になった。

カーテンの奥でシーツがわずかに揺れる音がして、その後は沈黙。

私はソファーベッドに身を沈め、部屋の電気を落とした。


暗闇の中、耳を澄ますと、ふたりの呼吸の音だけが交差する。

間にあるのは数歩の距離。

けれど、その距離が果てしなく遠く感じられた。


何も言葉のない夜。

しかし、その“静けさ”こそが――

いちばん、怖かった。

次回も、毎日21時の更新予定です。

続きが気になる方はブックマークや、⭐︎⭐︎⭐︎の評価をいただけると、とても励みになります。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。

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