第2話:原作知識チートで華麗に攻略……のはずだったのに
「おかしい、なにかがおかしいのですわ……」
乙女ゲーム『星月夜の冠』の全ルート完全攻略データ。
それは今も尚、私の頭の中にぎっしりと詰まっている。ゲーム内のあらゆる選択肢、隠された発生条件、胸ときめくイベントCGの開放タイミング、さらには一枚絵のスチルに秘められた微細なフラグの意味まで鮮明に、かつ正確に記憶している。
オタクとしての途方もない執念が実を結んだ賜物——そして、異世界に転生した私が持つ最大の武器。
「これはもう……恋愛、勝ち確ですわ!」
そう、高らかに宣言できるはずであった。
……そのはず、なのに。
今朝も私は攻略ターゲットであるプロテア王子に声をかけた。
プロテア王子はこの国の第一王子だ。完璧に整った容姿と明晰な頭脳に加え、民への深い思いやりまで兼ね備えた、まさに理想の王子様を体現している。
美貌、地位、人格、どこを取っても最高峰。但し、ゲームシステム上、攻略の難易度までもが最高と設定されていて、数多もの乙女ゲーマー達を泣かせた王子様であった。因みに、私の最愛の推しキャラでもある。
「プロテア様、おはようございます」
長い廊下の窓ガラスから差し込む朝の陽ざしに照らされたプロテア王子は、想像を遥かに超える美しさだった。さらさらと輝く黄金色の髪は、女神様に祝福された一族である証。深い蒼の瞳は、吸い込まれそうなほど魅力的で、その視線を受けるたびに、私の心臓は不規則に跳ねた。
気品に満ちた所作の一つ一つから本物の王子様と対面していることをヒシヒシと実感させられる。
私は最高の笑顔を作り、デイリー好感度イベントの一つである『朝の挨拶』を発動させた。記憶している攻略情報によれば、ここで満面の笑みを添えれば、挨拶を交わした攻略対象の親密度がわずかに上昇するはずだ。物語の序盤における、最も基本的な好感度調節の一つ。
……であるのに。
「ああ。おはよう、ローズ嬢」
返ってきたのは、あまりにもそっけない、感情のこもらない声だった。
丁寧な仕草ではあるものの、あくまで社交辞令の範疇を出ない。
一週間連続で挨拶イベントを同一攻略対象キャラに行うことで解禁されるイベントCG。
今日こそは目を細めて微苦笑するプロテア王子の姿を拝めると期待していた。
しかし、その様な気配は微塵もなく、イベントCGどころか、声すら変化がない。
そんなはずはないのに、と私は困惑し、軽く首を傾げた。おかしい。
「……もしや、お具合でも悪いのでしょうか?」
気を遣うように尋ねてみる。
ゲームの内容を思い返してみると、疲労というバッドステータスが存在していたはずだ。既にプロテア王子がなんらかのランダムイベントの影響を受けている可能性はなきにしもあらず。
プロテア王子は少しだけ目を細め、貼り付けた笑みを返すだけだった。
「ローズ嬢、気遣い痛み入る。だが、問題ない。……それでは」
なんて冷たい反応だろう。
優雅な足取りで離れていくプロテア王子の後ろ姿を、私はただ眺めることしか出来ない。
──無表情、冷淡、そして私への無関心。一体、何が起きているのだろう。
私は完璧な攻略情報に従って動いている。にもかかわらず、プロテア王子の反応はゲーム内のそれと全く違う。イベントの発生タイミングがズレた?いや、そんな筈はない。
「ルート、壊れてない?」
私は、思わず小さくつぶやいた。誰もいない廊下に、その声が虚しく響く。
頭の中のチート情報が、まるで通用しない。いや、そもそもプロテア王子の態度が、ゲームで見た完全無欠の王子様像とは僅かに異なっている。例えば、もっと優しさや穏やかさを演出するはずの場面で、彼は異常なほど冷静すぎたり、本来なら怒りや動揺を見せるはずの場面で、まったく感情を動かさなかったりするのだ。
そして、もう一つ、私の心に引っかかる存在があった。
悪役令嬢、スフェーン=フォン=カラーチェンジ。
ゲーム本編では、ヒロインである私の恋路を邪魔する、高慢ちきで嫌味なライバルキャラだった。
貴族としてのプライドが異常に高く、陰湿な妨害を繰り返す、いわゆる嫌な女の代名詞……であるはずなのに。
この世界のスフェーンは、私が知るゲームの彼女とはまるで違っていた。
まず、ヒロインである私に、目立った干渉をしてこない。
すれ違えば挨拶はしてくれるし、言葉遣いも丁寧だ。どこか冷たい空気を纏ってはいるものの、嫌がらせすらほとんどないのだ。
それどころか、私はプロテア王子とスフェーンが二人きりで話している場面を、すでに何度も目撃している。
例えば、ある日の昼下がり。
学園の中庭、陽光が降り注ぐベンチに二人は隣り合わせで座っていた。周囲のざわめきが、まるで遠い世界のことのように感じられるほど、彼らの間には張り詰めた空気が漂っていた。
「……私のことなど、今さらお気になさらずとも結構ですわ」
スフェーンは、切なさを秘めた硬い声で言った。プロテア王子と同じ黄金色の髪がやわらかく揺れている。横顔は、ゲームで見た高慢な表情とはまるで異なり、どこか苦しげで、同時に哀れみを感じさせるものだった。
「気にするなと言われて、気にしないほど、俺は無神経ではない」
プロテア王子の声には、普段の態度からは想像ができない程、複雑な感情が入り混じっていた。
にじみ出ている微かな苛立ち。理解に苦しみながら頭を抑えるの姿。普段、プロテア王子が纏っている完璧な仮面が剥がれた素の反応。
「……そう、前と同じですね。あなたはいつもそう」
スフェーンの一言に、私は思わず息を呑んだ。
前と同じ?
何だろうか、この尋常ではない違和感は。
彼らの言葉、そしてその背後にある感情は、明らかにゲームのスクリプト通りには動いていない。
まるで、そこに二人だけの過去が存在しているかのよう。
重たいな空気が漂っていた。セリフの端々に滲む感情、交錯する視線、言葉と言葉の間の沈黙。
それら全てが、あまりにも生々しく、そして現実的すぎる。
少なくともゲームにはあの場面は存在しなかった。
私は、花壇の奥からこっそりと二人を見つめながら、自分の胸の内で渦巻く感情を整理しようとした。
「これ……ゲームの世界じゃない。これは、リアルだわ」
もしかして、この世界は『星月夜の冠』と似て異なる世界?
あるいは……まさか、二人も私と同じく前世の記憶を――?
突如として頭に浮かび上がってきた仮説に、自分でもぞっとする。
思考が暴走しそうになるのを何とか押しとどめながら、私は胸に手を当てた。暴れる心臓の音が花壇越しに二人へ聞こえてしまいそうなくらいだった。
「はぁ……今日も反応薄かったなぁ、プロテア王子様……」
その日の夜、ベッドの上でゴロンと寝転がりながら、私は一日の出来事をまるでゲームログのように反芻していた。
しかし、不思議と落ち込んではいなかった。むしろ、あの二人のやり取りが気になって仕方がない。乙女ゲームオタクとして、こんなに激アツな展開を目の当たりにして、放っておけるはずがないのだ。
まだ私は明確には気が付けていなかった。
この微妙な違和感と、私の胸をざわつかせる感情が、やがて推し活という全く新しい、情熱へと私を導いていくことに。
いや、もしかすると――
プロテア王子が、私にとっての攻略対象ではなく、すでに誰かの想い人であるという。
その揺るぎない真実を私は何処かで予見していたのかもしれない。
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