欲しがりな妹に呪いをかけられましたが、真実の愛を見つけました
伯爵家の朝は、今日も妹エリザの声で賑やかだった。
「お母様、この髪飾り……カトリーヌ姉様のものよね? でも、私の髪のほうが似合うでしょう?」
「まあ、そうね。カトリーヌよりあなたの金髪のほうがずっと映えるわ。使ってもよろしいのよ」
エリザはくるりと笑い、姉の翡翠の髪飾りを侍女に手渡す。それは、カトリーヌが幼い頃、父から初めて贈られた思い出の品だった。
カトリーヌが口を開こうとしたその瞬間、兄の冷たい声が割り込む。
「カトリーヌ。物に執着するのは、貴族の娘として見苦しいぞ」
「……はい」
それ以上、何も言えなかった。言えばすぐに、“妹を妬んでいる”と受け取られるだけなのだから。
──またある日。
庭の片隅でカトリーヌが古びた書物を読んでいると、エリザがふらりと現れた。
「お姉様、それ、何を読んでるの?」
「帝国法の条文よ。父上の使節に同行するには、基礎知識が必要だから」
「ふうん……その本、私にも貸して。いえ、私の部屋に置いておいて」
「それは……でも、これは……」
「姉様が読んでいたって、誰も褒めてくれないでしょ? 私なら、『よく学んでる』って褒められるもの」
甘い微笑みの裏に潜む棘の言葉。それに抗う間もなく、エリザは書物を手にして立ち去った。
その夜、父が言った。
「エリザが帝国法を勉強しているそうだ。さすが我が娘だな」
カトリーヌは、ただスープの表面をじっと見つめていた。誰も、自分が先に読み込んでいたことなど知らない。
──別の日。
仕立て上がったばかりの緋色のドレスを母に見せたときのこと。
「まあ、素敵じゃない、カトリーヌ。けれど……エリザのほうが似合いそうね」
予想通り、エリザが現れた。
「姉様、それ、私がもらってあげてもいいわよ? どうせあまり着こなせないでしょう?」
そう言いながら、ドレスを抱き上げる。母も兄も止めようとせず、ただ笑って見ているだけだった。
この家では、姉の持つ“美しきもの”や“賢きもの”は、すべて妹のためにある──それが当然とされている。
だからこそ、あの公爵令息が自分に手を差し伸べたとき、カトリーヌは見逃さなかった。
エリザの“笑顔”が、今まで見たことのないほど冷たく歪んでいたことを。
◇
名門アイデン公爵家の令息、モラーノが屋敷を訪れた。
社交界でも屈指の人気を誇る彼が、誰もが予想したエリザではなく、姉であるカトリーヌを婚約者に選んだのだ。
「カトリーヌ嬢。あなたの静かな優しさに、心を惹かれました」
その言葉に、伯爵家は揺れた。
「どうして……エリザではなく?」
両親も兄も困惑し、エリザも一瞬、表情を強張らせたが、すぐにいつもの微笑みに戻った。
──婚約から数日後の夜。
カトリーヌは不意の悪寒に襲われ、目を覚ました。
鏡を覗くと、そこには自分ではない“何か”が映っていた。
爛れた肌、ねじれた爪、濁った瞳。声を上げようとしても、喉から漏れるのはしゃがれた音のみ。
翌朝。助けを求めたカトリーヌに、母は冷たく言い放った。
「な、なんて醜い姿なの、カトリーヌ! あなた……病を隠していたのね……。公爵家に泥を塗るわけにはいかないわ。森の奥に身を隠しなさい」
誰一人として、真実を問いただそうとはしなかった。
それは、名誉を守るという名目のもとでの、事実上の追放だった。
──森の中。
冷たい雨に打たれながら泥にまみれ、カトリーヌは倒れた。
意識が遠のいていく中、誰かが優しく彼女を抱き上げた。
それは、森に住む魔法使いの青年ラセルだった。
「大丈夫だ。助けるから」
薬草と魔法で静かに暮らす彼は、温かな手でカトリーヌの体を癒やしてくれた。
「君は呪いによって、その姿に変えられている。心当たりはあるかい?」
「……わかりません」
だがカトリーヌの脳裏には、禁呪の書を読んでいた妹の姿が浮かんでいた。
それでも、妹が自分を呪うなんて──信じたくはなかった。
◇
月日は流れ、姿は変わらぬままだったが、森での静かな暮らしの中で、カトリーヌの強ばっていた心は、いつしかゆるやかに解けていった。
ラセルもまた、物静かな彼女との時間に、かけがえのない安らぎを見出していた。
ある日、ラセルが言った。
「君の妹と、モラーノ・アイデンが結婚したらしい」
「……そう」
驚きはなかった。ただ、静かにうなずいただけだった。
「呪いをかけた相手がわかれば、解呪の道もある。どうする?」
「……もう、いいのです。わたくしには、この森での暮らしが合っているわ。ラセル、あなたさえよければ、わたくしはこのまま……。醜い姿でも、ここで共に暮らしたい」
見た目がどうあろうと、心が穏やかなら、それでいい。カトリーヌは、そう思っていた。
「目に映るものがすべてじゃない。君の心は、美しい。それこそが、君の本当の姿……君は美しい女性だ。……ここにいてくれ、ずっと」
「ありがとう、ラセル」
静かな森に、やわらかな灯がともる。
すべてを奪われた姉が、ようやく手にしたもの。
それは、何よりも温かく──そして、決して妹には奪えない“真実の愛”だった。
◇
結婚生活が始まってしばらくの間、エリザは幸せだった。
欲しいものは何でも手に入った。ドレスも宝石も邸宅も、そしてモラーノも。
けれどそれは、ただ“最初のうち”だけだった。
「はあ? なんでそんなことで泣くんだ。感情の整理くらい自分でしろよ」
「今さら何を言ってるんだ? 俺が帰るまでに夕食の準備が整ってるのは当然だろう?」
「パーティー? 俺が主役じゃないなら、行く意味ない」
モラーノは、あらゆる場面で、エリザの話を無視した。そして、彼女を叱責し、命令し、否定した。
あの時、モラーノがカトリーヌを選んだのは、彼女が従順そうに見えたからだ。モラーノにとって、都合のいい女に映った──ただそれだけだった。
甘やかされて育ったエリザにとって、モラーノの態度は生まれて初めての“不自由”だった。
自分の思い通りにならない──エリザの我慢は限界を迎えつつあった。
「でも……わたくしがお願いすれば、きっと、あなたは──」
「またかよ…… ほんと、うざいんだよ! お前のようなやつの頼みを聞くわけがないだろ!」
その瞬間、エリザの中で何かが音を立てて壊れた。
「──離婚しますわ、モラーノ」
「……はあ?」
「いま、はっきりと言いましたの。離婚します。あなたとはやっていけません」
「ふざけるな! 俺を選んだのはお前だろ!」
「選んだ? 違いますわ。“欲しかった”だけ。だから、手に入れて、気が済んだの」
モラーノが言葉を詰まらせる。
「……そんな勝手が通ると思うな。世間が黙ってないぞ」
「いいえ。黙ってますわ。真実のあなたの姿を──すでに皆、知ってますから」
実際、モラーノの悪評はすでに社交界に広まっていた。エリザが巧みに仕向けた情報操作によるものだ。
だが、噂の的はモラーノだけにとどまらなかった。
「聞いた? エリザ様、屋敷で七人目の使用人を泣かせて辞めさせたんですって」
「しかもモラーノ様と毎晩のように口論してるらしいわよ」
「まあ、あれだけワガママで傲慢な者同士が結婚すれば、そうなるわね」
離婚後の二人には、それぞれ再婚の話が持ち上がらなかった。
モラーノは、次に誰かに好意を向けても、断られるか逃げられるかだった。
「……えっと、用事を思い出しましたので失礼します」
「モラーノ様の評判? ああ、聞いてます。丁寧にお断りさせていただきますね」
一方、エリザも“扱いづらい令嬢”として恐れられ、紹介状すら届かない。
「エリザ様? うーん、うちの長男には合わないかな。もっと素直な子がいいなあ」
「ご本人は自覚ないみたいだけど、使用人に“エリザ様アレルギー”が出たらしいわよ」
かつて、姉の持つものをすべて手に入れたエリザは、何も手に入ることができなくなっていた。
◇
一方そのころ──
森の小屋では、カトリーヌがラセルのもとで平穏な日々を送っていた。
呪いは、まだ完全には解けていない。けれど、彼女の姿は少しずつ元に戻りつつあった。
朝の光が差し込む窓辺で、ラセルが微笑む。
「君の顔、少しずつ戻ってきてるよ。もうすぐ“元の”君になるだろう」
「でも、わたくしは、この姿のままでも構いません。あなたが、わたくしを見てくれる限り」
「もちろんだとも。僕の目は、真実を見ているから」
窓の外では小鳥がさえずり、差し込む柔らかな陽射しが二人を包んでいた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
文字だけでは、うまく伝わらないかもしれませんが、本当に感謝の気持ちでいっぱいです!!