放火
鰹鳥マスクの医師、アリーヤが黙々と延焼剤を撒いている。
彼女は、一頻り延焼剤を撒くと火種を投げてそこから退散した。
俄に教会地区の一角が明るくなる。
それは、遠くから見ているセスの目にも映った。
「ちッ。
………ナーシャがいなくなったと思ったら。」
セスは、絹帽を脱いで屋根の上に腰かける。
既に教会地区の半分が火の海になっていた。
あちこちからは、逃げ込んだ住民や獣の悲鳴が聞こえる。
あろうことか隠れていた狩人まで火にまかれていた。
「ば、ばかやろう!
ここには、人間もいるのに放火するんじゃないッ!!」
狩り装束を着てるところを見ると狩人らしい。
火にまかれて飛び出して来た。
炎に囲まれて遠くからセスに向かって手を振っている。
「うわ、あちッ!
た、助けてくれーッ!!」
「ちッ。
…どうする?」
セスは、アヤメに面倒臭そうに尋ねる。
アヤメは、コートを体に巻き付けて興味なさげに答えた。
「どうもしない。」
そう言ってアヤメは、セスの隣に座る。
実際、何もできない。
宿礼院が分けてくれた新しい焼夷性樹脂は、燃え尽きるのを待つか専用の薬剤でしか消せない。
やがてアヤメとセスが見ている前で狩人は、煙に巻かれて倒れた。
それを見ながらアヤメは、煙管を咥える。
「………あの宿礼院の延焼剤は、専用の薬品じゃないと消火できない。
近づいたら火達磨だ。」
「ちッ。
あの医師、そんな危険な物を撒いてるのか。」
セスとアヤメが別の方向に視線を移した。
そちらでは、ジェリーが延焼剤を撒いている。
一歩間違えば火達磨という危険な作業。
それをジェリーは、嬉しそうに進んで手伝っている。
おかげで作業は、倍以上の速度で進んでいた。
「……俺には、あんな真似できん。」
「私も。」
紫煙を吐きながらアヤメは、煙管に煙草を詰め直す。
「……一応、ドロシーには、近づくなって言っておいた。
あの子の装備は、静電気が常に出てるから。
危うく発火したら助からない。」
「ちッ。」
「こんなもん狩りと呼べんじゃろ。」
アリスも家の屋根に登って来てそう言った。
その表情には、愁いがある。
「……何を嘆く?」
アヤメは、煙管を口から離し、紫煙を吐きながら問うた。
屋根の上に立つアリスは、アヤメの後頭部を睨みながら答える。
「何をって?
街に火を付けて回るなんて狩りといわんと言ったのよ。」
「それも良かろう。」
アヤメは、煙管を手に背中越しにアリスに言葉を返した。
アリスの表情が厳しくなる。
「何っ。」
「獣の数が多過ぎる。
……それとも獣化していない住民や臆病な狩人を懸念してるのか?」
「……いや……。」
アリスは、言葉に詰まった。
嘲笑を浮かべたアヤメは、振り返る。
「お前、考えたろ?
これが獣狩りではなく、人間同士の戦争なら、どうなるか。」
「ちッ。」
セスは、舌打ちして顔を逸らす。
胸騒ぎの正体を正確に言葉にされたアリスの表情は、戦慄と共に青褪めた。
アヤメは、再び煙管を咥えた。
火皿が赤く煌めき、アヤメは、目を細める。
そして煙管を返して煙草の灰を落とした。
「今のところ、これだけの燃料や延焼剤を一気に輸送する手段がない。
私たちが生きてる間に、これを戦争で見ることはないだろうぜ。」
アヤメがそう話すとアリスの眉間に力が籠った。
「見たことがありそうよ。」
これにアヤメは、答えなかった。
燃え上がる街を見物するのに飽きたのかアヤメは、立ち上がる。
「……お前ら、ナーシャでも探しに行ってくれ。」
「お前は?」
セスがアヤメに声をかけた。
だが何にも答えずアヤメは、屋根から降りた。
屋根の上には、セスとアリスだけが残った。
「そう言えばお前、軍人だったっけか?
実際に戦争に従軍したことあるのか?」
思い出したようにセスは、アリスに訊いた。
灰青色の狩り装束を着ていないアリスは、蒼天院と結びつかない。
だが彼女も蒼天院の狩人なのだ。
「見て分かろう?
私は、牛飼い。
目立ちたがり屋の伊達女よ。」
彼女の言う通り、彼女は、見紛うことなくカウボーイの衣装を着ている。
もっともホットパンツのカウボーイは、いないだろうが。
「銃の腕に覚えはある。」
「じゃあ、行くか。
ナーシャを探しに。」
セスは、立ち上がってアリスにそう持ち掛けた。
「逃げた牛を追うのが牧童の役目だろ。」
「そりゃ良いけどよ。
お前こそ人探しは、得意なのかよ?」
アリスが胸を反らせて自信を漲らせて質問する。
だがセスの表情は、暗かった。
「得意だ。
だがちょっと特別な事情がある。」




