古城
「ちょ、ちょっとあなた病気か何かなのっ!?
だ、誰かー!!」
大騒ぎする女の声で私の途切れかけた意識が呼び戻される。
「う………。」
私が目を覚ますとティリーが介抱してくれていた。
ティリーを担いでいた私が倒れた後、逆に彼女が担いで逃げてくれたのだ。
頭がまだ酷く痛むがしばらくは平気そうだ。
「た、立ち上がって平気ですか?」
心配そうにティリーは、私に声をかける。
確かにかなりふらつく。
「平気。
秘儀を、魔法を撃つと精神力が削られて気分が悪くなる。
……この程度は、もう慣れたものよ。」
「そ、そんな風に見えないけど……。」
確かに卒倒した人間が慣れてるとか平気といっても説得力はないな。
ティリーが親切にしてくれるのは良い。
がここは、獣が潜んでいるかも知れない場所だ。
私は、彼女を無視して辺りを警戒する。
(ここは、どこだ。)
辺りを見渡すと来たことのない場所に来たらしい。
「ここは?」
「ご、ごめんなさい。
夢中で逃げて来たから分からないの。」
「そう。」
ここは、一言でいえば古城だ。
鎖された街の中でさらに丸木杭の防壁で囲まれている。
ただ既に一部が崩れ、城内に簡単に侵入できるようになっていた。
貴族のものだろうか。
だとすればこんな街の真ん中にあるのは、おかしい。
城壁や環濠、外敵に対する防備もない。
「ここは……プトレマイス12世の家族の屋敷ですね。」
ティリーがいった。
彼女は、長銃のスコープで城の紋章を確認している。
「プトレ…何?」
「”聖なる俗物”と呼ばれたタラミストリア教皇です。
聖ダゴン銀行を開き、莫大な富を稼ぎまくった女です。」
「聖なる俗物ねえ?」
「ミドルネームに自分で黄金を入れるぐらいお金が好きだった女ですから。
赤ん坊の頃から金貨が大好きだったっていう言葉が有名ですし…。」
プトレマイスは、教皇名だ。
本名マリーゴールド・ゴールド・ゴールドウェイン。
旧名マリーゴールド・ヴァーサストン。
生きていた頃は、教皇即位名よりあだ名のゴールディで通っていた。
どうやらここは、教皇プトレマイス12世の息子の銀行らしい。
教皇は、子供たちにガリシア大陸のあちこちに銀行を任せた。
ここは、その一つだ。
教皇は、現在の資本主義の原形となったゴールディ主義と呼ばれる経済手法や理論を考案し、ブルジョア社会と産業革命の始まりを作った人物である。
要するに今の金持ちが真似する金稼ぎの代表的事例を作った訳だ。
確かに金を稼ぎまくっていたらしい。
この城を見ると金満家ぶりが良く分かる。
私たちは、引き込まれるように古城に足を向けた。
獣がここにも隠れているかも知れない。
さっきまで獣から逃げていたのに馬鹿な話だ。
「じゃあ、私は、ここで。」
ティリーは、そう言って城の庭で立ち止まった。
「え?」
「建物の中で狙撃はできません。
私は、狙撃銃しか装備がありませんから。」
ティリーは、そう言って長銃を持ち上げて私に見せる。
マルセルは、銃身が2mもある長大な獣狩りの銃だ。
まだ旋条加工されていないが高い精度を達成している。
蒼天院向けに工房が用立てた装備で最大のものだろう。
2kmの距離から獣に致命傷を与える驚異的な狙撃銃だ。
だがこんな武器を選んだら長生きはできないだろう。
それでも優れた狙撃技術を最大限に発揮することは間違いない。
というより射撃技量だけで獣に対抗するなら、これぐらいの装備でなければ蒼天院の狩人は、最初から獣狩りに参加するべきではないのだ。
「それは、良いけど。
あんた、私が近くにいなくて平気?」
私がティリーに訊ねると彼女は、即答する。
「そちらこそ私が逃げたり、何の支援も出来なくても平気ですか?」
「良いよ。」
私も即答した。
一瞬、ティリーは、少し悲しい顔をした。
互いに人格も実力も信頼できる関係ではない。
事実、私たちは、まさにさっき逃げて来たばかりじゃないか。
仲間に期待する狩人は、最初から獣狩りに参加するべきではない。
彼女は、城の前の庭に残った。
私は、城に踏み込む。
(………獣の気配が色濃い。)
私は、壁や床を注意深く見ながら城内を進む。
時々、窓からティリーを確認すると彼女も私を見ている。
絵画や美術品など調度品は、ほとんど荒らされていない。
これらが略奪を免れたことより獣が傷つけずにいることも驚きだ。
(獣が掃除する?)
こうも綺麗に城内を保てるだろうか。
もちろん完璧とは言えないが思った以上に清潔さが維持されている。
痛んだり傷ついたりはしているが埃や芥は、できる限り掃除されていた。
(獣にも人間らしい心を残したものもいる。
けれど絵画や美術品を傷つけることを躊躇った?
…分からないな…。)
狩人は、美々しく着飾るものだが獣にも美学があるということか。
人らしさを求めて、ということだろう。
「………どんな姿の化け物か。
ふふ、楽しみだな。」
期待を胸に私は、薄暗い城の中を探索する。
教皇は、金貨が大好きと公言するだけあって芸術に関心がなかったという。
ここに集められた美術品も投資目的か贈物だろう。
テーマも趣味もバラバラだ。
印象主義の絵画もあれば写実主義もある。
伝統に束縛されたアカデミックで生気のない王朝風の豪奢で穏やかな作品もあれば世紀末芸術のような斬新だが不気味な作品もある。
例えばここにあるのは、”オーゼイユ通り”。
最も典型的な印象派画家と呼ばれたシスレーの作品だ。
その隣は、父親を殺した狂気の画家リチャード・ダッドの”真夏の夜の夢”。
ダッドと言えば”The Fairy Feller's Master-Stroke(妖精の樵の神業)”。
後にロックバンドのQueenは、この絵画に着想を得て楽曲を作っている。
ロマン主義の絵画もある。
印象派画家に敵対する権威的な芸術家と評されたジェロームの作品。
彼が古今の征服者、帝王を画題としたシリーズのひとつ”コナン大王”だ。
「………浮世絵コレクションもあるのか。」
逆に宗教画のようなものは、ほとんどない。
むしろダッドやジェロームのような古代文明や異民族の神話をモチーフに取る作品が多い。
「おっと。」
幾つか部屋を探していくと、ひとつ異質な部屋があった。
ここだけ壁にびっしりと金貨が飾られている。
私に流れる狩人の血は、これらを同じ金貨としか教えてくれない。
ここに来るまでの絵画や彫刻のように頭に浮かぶ情報は、何一つない。
過去、コイン蒐集に興味を持った狩人がいなかったのだろう。
「………なるほどね、金貨が大好きってこういうことか。」
絵画や彫刻と違って私には、完全に同じに見える。
だが世界中から集めた金貨のコレクションなのだろう。
無神経に飾られたこれまでの美術品と違って熱狂的なまでの偏執さすら感じられる。
教皇ゴールディの親は、金貨職人だったという。
父親は、金貨作りのために子供たちに数学を学ばせた。
その過程でゴールディは、天才的な才能を示し、大金持ちや貴族の目に留まって超英才教育を受けることになった。
そして14歳で経済学を修めて教授となり政治顧問を務めた。
しかし彼女の中で何かが変わって聖職者の道を選んだようだ。
「その部屋から出て行け。」
「………人間じゃないな。」
不意に聞こえた声に私は、そう返事した。
人の言葉として聞き取れるが獣特有の発声だった。
姿を見せない声は、再び聞こえてくる。
「そこは、猊下のコレクションを置いた部屋だ。
特別な場所だ。」
「じゃあ、壊しちゃおうかな。」
私は、そう言って四爪錨を持ち上げる。
挑発に乗った獣が猛然と突進してきた。
そいつは、これまで見た獣とあまりに違う姿をしていた───人の言葉を話すだけでも相当、他の獣と違うが
肉の壁だ。
床から天井までびっしりと豚みたいな薄い毛が生えた肉塊が立っていた。
そいつは、器用に私を部屋から押し出す。
肉の壁は、丁寧に絵画や彫刻を傷つけないように突進を続ける。
私は、箒で掃き清められる塵のように押されていた。
(どういう獣なんだ!?
物凄くデカい獣の一部ってこと!?)
私は、何とか獣を振り払って窓から中庭に飛び降りた。
外から確認すると廊下や部屋を埋め尽くす肉塊がうごめいている。
まるでこの城を巻貝みたいな軟体動物が被っているようだ。
パン!
遠くから銃声がする。
きっとティリーだ。
「バカ!
こんなデカい獣に狙撃が効く訳ないのに。」
蒼天院の狩人は、獣の急所を狙撃する腕と精度の高い銃器を扱う知識を持っている。
だがこんなデカい相手には、ティリーの技術は、役に立たないはずだ。
「止せ、馬鹿ッ!
こんな獣にそんな攻撃通用する訳ないだろ!!」
私は、走り回りながら一人で怒鳴った。
銃声を頼りにティリーを探す。
(この獣は、ヤバすぎる。
ここは、逃げるしかない。)
そうか?
本当にそうか?
ティリーを探して走り回りながら私は、考えた。
(こいつは、逃げ切れない。)
今、古城の壁を破って巨大な何かが飛び出した。
あまりに大き過ぎて何が起こっているのか私の目では、分からない。
獣の全体の姿が全く見えないのだ。
「ティリー!!
どこだ!?」
「こっちです!!」
声がする方に私は、全力で向かう。
2mほどの壁を越え、水堀を飛び越える。
やがて獣に向かって狙撃銃を撃ち続けるティリーの近くまで来た。
「いつまでそんなことしてる!
そんなもの、こんなデカい獣に効くか!!」
「こいつからは、逃げ切れません!」
ティリーは、そう言ってスコープから顔を離した。
もう狙いをつける必要もないほど獣は、近くに来ている。
見上げると巨大な何かが動いているのが辛うじて分かった。
どんな動物に似ているとかそんなことは、把握しきれない。
どこに頭があって何がどうなっているのか皆目見当が着かない。
「ナーシャ!
あなただけでも!!」
「お前こそ逃げろ!!」
私は、ティリーを捕まえて喚いた。
「私は、仲間たちと共に死ぬつもりだったんです!
だからここで…!!」
「ド畜生ッ!」
私は、抵抗するティリーの肩を蹴り飛ばした。
「この街の獣を狩り尽くすには、手が要る!
だからお前を連れて私は、逃げようとしただけだ!!
仲間の後を追うのは、狩りを終わらせてから死ね!!」
「ふわああ…っ!」
ティリーは、ヒステリックに泣き出した。
連隊は、単なる野戦部隊ではない。
必要に応じて編制・解散を経ることなく常設され、家族的な団結を持つ。
熾烈な戦闘の最中でも連隊旗は、団結の象徴として堅持され、命懸けで持ち帰られるものだ。
例え壊滅するようなことがあっても連隊は、残り続ける。
連隊には、歴史があるのだ。
蒼天院は、犯罪者と快楽殺人鬼の寄せ集めのような他の騎士団支部とは違う。
同じ連隊旗の許に集まった仲間を見捨てることは、重い。
「………大尉!
連隊長閣下!!
…わ、私は、ここです…!!
ここから助けてください!!」
ティリーは、泣きながら大声で上官を呼んでいる。
狙撃銃を取り落とし、戦意を喪失した。
「ああ、ごめんなさい…!!」
(こんな奴は、ダメだ!)
少しは使えると思ったが。
泣きたいのは、こっちだ。
だが、これだけ的がデカいと狙いをつける必要もない。
私は、深く深く魂を闇に沈め、持てるだけの魔力を取り出した。
(とりあえず魔力を掴めるだけ掴んで戻って来る…!
あとは、前に投げれば…とりあえず当たるだろう。)
これまでにない途方もない破壊力の奔流。
空が泡立ち、時間が僅かに早まった。
私が放った巨大な星は、指先を離れる前に獣に命中していた。
「うわっ!?」
「い、きゃあああ!?」
地面がカーペットのように波打つ。
私とティリーは、星が炸裂した衝撃で真上に打ち上げられた。
(―――しまった。
デカすぎる。)
古城がガラガラと音を立てて半壊する。
大厦並みの獣を星が貫通してしまった証拠だ。
いや、星は、古城も貫いて地中で炸裂したに違いない。
破壊に伴う余波は、地面から噴き上がって来る。
「じッ……人類の至宝ともなろう!
絵画や彫刻をよくも!!」
辺り一面を血の海に変えた巨大な獣が叫んでいる。
「物の価値の分からぬ狩人め!!
なんてことをしてくれたのだッ!!
私が守り続けて来た作品は、下種な人間の目に觸れるべきではない穢れ無き純粋な芸術家たちの魂の結晶なのだ!!!
許さん!
許さん!
許さんぞ!!」
(こいつ、土手っ腹に大穴が開いた状態で吹き飛んだ美術品の心配をしている。)
「ひい、やあああっ!!」
ティリーの絶叫で私も気が着いた。
このままでは、地面に落ちる。
こんな時、魔法で空が飛べたらと思うが。
残念ながらそういうことはできない。
(しょうがない。)
私とティリーは、地面に叩きつけられるのを待った。
「ぷっ、べっぺ!」
折れた歯を吐き出す。
衝撃で眼球と鼓膜が破裂している。
だが、脳ミソや内臓は無事だ。
流石、狩り装束。
見た目は、おっぱい丸出しの派手な服だが性能は折り紙付きだ。
(すごいな。
眼球が破裂しても第3の目―――霊視で周囲の状況が見える。
それどころか自分の視点以外からも見えるぞ。)
指は、辛うじて残っていた。
まず輸血液で体の損傷を修復する。
折れた歯は、治らないから我慢した。
(なんでティリーは、外傷がない?
いや、今は、そんなことより着地を考えろ。)
「考える必要はない。
飛べるはずだが?」
「師匠!?」
モルガンの声がした。
「ふふふ。
魔女といえば箒で空を飛ぶ姿だろう?
貴方は、試したことがないのか。」
モルガンに示唆された私が念じると体が空中で静止した。
続けて落下していくティリーを掴む―――直接、彼女に触れている訳ではなく星の魔術の応用で引力を発生させ、彼女の身体を私自身に引き寄せた
「よしッ!」
だが喜ぶのも束の間だ。
私は、すぐにそれほど自由に飛び続けられないと分かった。
(や、やばい。
飛んでる間、ずっと魔力を微小に使い続けてるからずっと霊界に繋がってる!
幻聴や幻覚が収まらない!!)
「咄嗟に飛ぶ方法を編み出すのは、流石。
しかし残念。」
他の様々な幻聴の中から私は、モルガンの声を聞き分ける。
「そのまま発狂状態で空を飛び続けられれば魔女だ。
だが残念ながらどんな偉大な魔法使いでも飛べない。
今回のような危急の時だけにし給え。」
モルガンの声がそう教えた。
私もそう思う。
私は、引力を操作する星を作り出す。
そいつに私とティリーを引っ張らせ、地面に着地した。
「うげえ…。
頭が痛い……!」
(最初から自分が飛ぶんじゃなく星を使えば良かったんだ。)
「………敵は?
あの獣は、どうなってる?」
視界を埋め尽くす巨大な肉の塊は、カットしたブッラータチーズのようになっていた。
内臓と血肉が飛び散り、古城跡一帯が赤々と鮮血に染まっている。
古城も崩れ去り、地面が捲れ上がっていた。
我ながらやり過ぎた。




