狩人の夢
次に私が目を覚ますと白い砂漠の上にいた。
仰向けで太陽に目を覚まされ、私は、飛び起きる。
「―――うわっ!?」
辺りを見渡すと何処までも白く輝く砂だけの世界。
東の空は、深い青に包まれ、細い月と白く輝く星々を鏤めている。
西の空は、焼けつくような太陽を頂き、雲一つない。
「はあ……、はあ……、はあ……。」
私は、犬に食い千切られた腕や腿を確かめる。
どこも変わりない。
まるで何もなかったかのように。
これは、夢?
じゃあ、さっきまでの夢は?
いや───
夢に整合性を求める方がどうかしている。
とにかく私は、立ち上がって歩き始めた。
待っていても誰も通りかかりそうにない。
夢で死ぬなんてことは、ないだろうけどさっきみたいな痛い思いは嫌だ。
(………暑い…。)
砂漠は、暑いけど湿度が低いので汗は、乾き易い。
おかげで何とか不快感だけは、それほどでもない気がする。
縺れる足を踏ん張り、暑さを堪える。
それに時折、東から冷たい夜風が吹き抜ける。
これがなければ耐え切れなかったかも知れない。
そんな状態で1時間ぐらい歩いた。
あるいは、もっと短い時間か、それ以上かも知れない。
ここには、時計がないし太陽と月も動いていなかった。
この世界は、永遠に昼と夜の狭間にあるのだろう。
ひょっとしたら私は、何年も歩き続けたのかも。
「………あ?」
私は、砂丘を越えると奇怪な人影を見つけた。
乳母車のような物を手で押した人が砂漠を横断している。
ずっと轍の跡があり、それがかなりの時間、砂漠を渡っていることを物語っていた。
「ひ、人だ!」
大急ぎで私は、砂丘を駆け降りた。
矢も楯も堪らず乳母車の人に近づく。
心臓が破裂するほど腕を振って懸命に走り続けた。
「はーっ、はーっ、はーっ、はーっ!
んぐ…ぜえ、ぜえ、ぜえ、ああ…ッ!!」
人影は、全く私の方を顧みない。
何度か声を上げるのだが。
「おーい!!
おーい!!
おーい!!!」
一向にこちらに気を取られる素振りがない。
耳が聞こえないのか?
「ったく………。
ふう、ふう、ふう、ふーっ!」
とにかく追いかけるしかなかった。
他には、ちっとも人の気配がないんだから。
もし人間じゃなく機械でもバケモノでも、こんな砂漠で寝たりしないハズ。
休む場所ぐらい知っているハズだ。
私は、そう祈った。
もし相手が化け物でも構わない。
この暑さだけは、もうたくさん!
そして私は、なんとか乳母車の女に追い付いた。
はっきり言って見つけてから軽く1時間は、追いかけた気がする。
私は、もう何度目か。
大声で乳母車を押す女の人を呼び止めた。
「あのッ!!
あのぉッ、おーッうぇいッ、えええッ!?」
思わず私は、両手を上げて倒れそうになった。
乳母車の中身は、人間じゃなかったからだ。
何やら青黒い触手と色とりどりの軟体動物めいた姿をしている。
全体的に言い表す言葉が思い付かない。
「な、なにこれ…!?
気持ち悪ッ。」
それは、元気に乳母車の中で動き続け、呼吸と共に膨張と収縮を繰り返した。
それで私は、───ホッとした。
呼吸するという事は、呼吸が必要って事で、つまり死ぬという事だ。
死ぬなら殺せる。
その子は、図鑑や動物園で見られる生き物とあまりにかけ離れていた。
宇宙人というのなら、それが一番しっくり来る。
しかし乳母車を押す女の人は、普通に地球人らしい。
女の人は、日差しを避けるため大きな分厚いフードを被っている。
ゆっくりと横から確かめると彼女は、人間の顔をしていた。
もっとも、こうなると正体は、怪しいが。
「あ、あのー……。
貴方は?」
私は、息を弾ませて女の人に声をかけた。
これまで無反応だった女の人が私の方に首を向ける。
神秘的な青と黄金の瞳が私を見つめた。
彼女の唇が動いた。
「………××………。
××××…×××××××…。」
それは、鳥とも動物とも違う声だった。
だが間違いなく彼女の口から出た音だ。
強いて言えば私を食い殺した大きな獣に似ている。
「わ。」
私は、恐怖を振り払って名乗った。
こちらが訊ねたのだから応じるのが礼儀だと思ったからだ。
それに少なくとも彼女は、ちっとも危険じゃなさそうだ。
「私は、アナスタシア!」
すると女の人も答える。
「×××××××××××××××××××××××××××。」
「ご、ごめん。
何言ってるのかちっとも分らない…。」
私が歪んだ微笑で答えると女の人も苦笑いした。
どうやらお互いに言葉が通じていないらしい。
彼女は、愛らしい顔をしていた。
だが人間によく似た何かということは、疑いようがない。
彼女の声は、どう考えても人間の声帯から出る感じがしないからだ。
私は、彼女に連れだって歩き続けた。
彼女もどこかに私を連れて行こうとしているようだ。
まただいぶ歩き続けた。
すると次第に砂丘の果てに大きなテントが望めるようになった。
キャンプとかに使う奴じゃなく、遊牧民とかが使う家みたいな大きなテントだ。
「テントだ!」
私は、バタバタと走り出した。
テントの傍に大きなオアシスがあったからだ。
瑞々しくぷっくりと膨らんだ植物を避け、私は桟橋を見つける。
私が桟橋の上を走るとトンボや羽虫が一斉に飛び立った。
そのまま私は、手を付け、水を躊躇いなく呑んだ。
もし寄生虫や病気になっても、もう暑さと渇きで我慢できなかった。
「はあ、はあ…んぐ、があ。
はあ、はあ、はあ、はあ…あああ………。」
生き返った。
こんなに必死に水を呷ったのは、小学生以来だ。
満足した私がテントの前に戻って来ると乳母車だけが残されていた。
私は、テントの入り口の前に立つ。
「すいませーん。
入っても良いですかー。」
一応、声をかけてから私もテントに入る。
中には、さっきの女の人とあの奇妙な生物がいた。
女の人は、乳母車の中身を大事そうに膝に乗せている。
あの奇怪な生物は、彼女の子供なんだろうか。
彼女の甲斐甲斐しい態度は、雇われた乳母って感じではない。
もしそうだとしたら父親は、何者なんだろう。
乳母車から出て来た生物は、どっちが上か下かも分らない。
青黒い触手があるのみで目や口らしい部分が認められない。
ただ姿は、醜いが危害を加える気配はなかった。
「えーっと、あの。
食べるものとか、ない?」
私は、女の人に声をかける。
彼女は、美しい顔を上げて微笑んだ。
ゆっくりと奇怪な生物をベッド兼ソファに乗せ、立ち上がる。
テントの中には、料理用ストーブや鍋や皿、食材の入った棚がある。
彼女は、それらに向かうと私のために料理を準備し始めた。
私はというと彼女に代わって青黒い生物の面倒を見る。
触ると冷たい所があってビックリした。
感触は、ベタベタしていて不思議な臭いがする。
「ははは…。
君は、何の赤ちゃんなのかなー?」
しばらくすると香ばしい匂いが漂って来た。
乳母───乳母車を押していた女の人の名前が分らないのでこう呼ぶ。
彼女は、黙々と料理を運んで来た。
「ほお…。」
メニューは、地味でいかにも中世とか昔の人が食べてそうな感じだ。
ボソボソのパン。
玉葱と何か分からない肉のパイ。
煮て潰した種類の分からない豆。
アヒルの焼肉。
蜂蜜酒───ただし蜜蜂のではない。
そしてチーズ。
実際、手を付けてみると味は悪くない。
現代人にとってパッとしない味付けだがファンタジー世界に入り込んだ実感が湧く。
(不味くはないけど美味しくはない。
いかにも中世の食べ物って感じ…。)
「美味しいよ。」
私は、乳母に礼を言う。
彼女は、奇怪な生物をあやしながら頷いて答える。
妙だな。
彼女も奇怪な生物も、この食事を食べる様子はない。
まるで私の為だけにここの調理道具や食材は、準備されたようだ。
私が料理をやっつけている間、乳母は怪物を置いて別の仕事を始めた。
棚から鉄砲を持ってくると分解して調べ、また組み立てる。
また引き出しから何かを包んだ小さな紙袋を持って来た。
別の引き出しからは、注射器、茶色の小瓶を取り出す。
茶色の小瓶には、黄色いラベルが貼ってある。
ラベルの中心に大きく怪物の絵が描いてあった。
その上に《血液による医療行為の為の輸血用の血》とマヌケな文章が並んでいる。
「××××××××××××…。」
私が小瓶の文字を読んでいると乳母が声をかけて来た。
顔をあげると彼女は、大きな鎖を引き摺って持っている。
鎖の先には、船の錨が着いていた。
「×××ソ×××××××××××××××××。
××××××××××ァ×××××××ィィ…。」
何か説明しているが、ちっとも分らない。
私は、仕方なく彼女の手から錨を受け取る。
「ひい!?」
急に、ぬめッとした感触に私は驚く。
例の青黒い触手が小瓶や紙包み、様々な道具を私のポケットに押し込んでいく。
この時、知ったのだが私のコートにはナイフやら武器をセットする場所が作られていた。
「×××××××…。」
乳母が何か言っている。
私は、なんと答えればいいのか分からない。
彼女は、何度か同じ言葉を繰り返した。
「×××××××…オウチゲ…。」
”御無事で”。
乳母は、そう言いたかったのだろう。
私は、急に襲い掛かる眠気に膝を折る。
逆らい難い甘美な悪夢に掴まれた様に。
私は、呼び声に応え、再び悪夢に立ち返るのだ。