謝礼
私は、教会地区からフィンチ療養所に到着した。
来るまでは、かなりの距離がある気がしたけれど思うほどじゃなかった。
それだけ私が狩人として強くなったからだろう。
途中で苦戦することもなかったし、走る速さだって違う。
あの恐ろしく危険に満ちた路地も広場も何の障害もなく抜けられる。
息を潜める獣の気配も今なら手に取るように分かる。
小学生でも揶揄うみたいに簡単に殺せる。
でも例の赤い獣には、気を着けないと。
もしあいつが現れたら私や仲間たちも一溜りもないだろう。
「ねえ!」
私が声を張って手を振ると鳥仮面の看護師が気付いた。
「うんー?
何か用か!?」
看護師が2階の露台で機関銃を握りながら顔だけ私の方を向いた。
「あんたところの理事長を助けた借りを返して貰いたい。」
私が両手を腰についてそう言うとすぐに鉄柵の門が開いた。
5~6人の鳥仮面が小銃を担いで出迎える。
彼らは、ひょこひょこ首を忙しなく動かしながら歩いてくる。
かなり笑えるけど不気味な感じもした。
鳥仮面の看護師たちは、近くに獣がいないことを確認して武器を降ろす。
「入り給え!
中で話を聞こう!」
鳥仮面の一人が手を振って私を招いた。
私も獣が集まって来る前に療養所に駆け込む。
正面の扉を潜ると看護師の一人が私に言った。
「所長が対応する。
こちらに来給え。」
そのまま彼らは、療養所の奥に私を案内する。
そこは、初めてここに来た時、入らなかった場所だ。
廊下は、宿礼院のシンボルになっている怪物の石像が並ぶ。
金色の真鍮管が壁や天井を縦横に走っていて何の数値か分からない計器や青白い水銀灯がチカチカと明滅を繰り返していた。
金属でできた両開きの扉が廊下の一部に埋め込まれている。
その扉には、幾つもの歯車が組み込まれていた。
向こう側から操作したのか扉は、複雑に変形し、壁や天井の中に格納された。
ここが応接室だろうか。
何やら怪しい本棚や獣の標本が展示されている。
部屋の中心には、客用のソファと真鍮製のテーブルが置いてあった。
テーブルにも歯車が組み込まれている。
単なるデザインではなく時計らしい文字盤や良く分からない数値を表示する計器類が天板に配置されていた。
「理事長を救出してくれたことに、まず礼を言おう。」
アヒルの平べったい嘴が着いた仮面を着けた男がいった。
彼がここの所長か。
「なら、そっちから出向くべきじゃない?」
そう言って私は、ソファに腰を下ろした。
アヒル仮面は、まだ立ったまま応える。
「申し訳ない。
だが獣がウヨウヨするキングストン市内を探すには、我々の人員は足らないのだ。」
「そうだろうね。
でなきゃあんたのところの理事長だって…。」
「その通り。
我々の手で救出しただろう。」
アヒル仮面は、私の隣に近づいて来た。
握手を求めて右手を延ばして来たので私は、握り返す。
「ダグラスだ。」
「ナーシャ。」
「じゃあ、改めて。
理事長を助けてくれてありがとう、ナーシャ。」
そう言いながらダグラスは、テーブルの隅を指で押す。
するとテーブルの中央が変形して円形のパーツが分離する。
円は、高速で回転をはじめ、その中心に映像を映し始めた。
回転する円の中にペリカンマスクの男、理事長が現れる。
理事長は、両手をテーブルの上で組んでいる。
「うむ……。
ワシを助けた謝礼が欲しいらしいな。」
開口一番、これだ。
助けられた本人は、随分と偉そうだぞ。
「燃料を都合して欲しい。
教会地区を焼くために。」
「…それは、空爆要請か?」
「え?」
私は、予想と違う理事長の答えにビックリした。
彼は、ごく当たり前のように話を進める。
「鎖された街を焼き払えという訳だろう?
丁度、オットーも同じような意見書をあげて来ている。
飛行船を使って空から焼夷弾をバラ撒くという戦術を研究す…。」
「ちょっと待って!
そこまで手を借りるつもりはないんだけど!?」
理事長の言葉を遮って私が叫ぶと彼は、肩を竦めた。
「別に借りを返す為だけじゃない。
これは、我々の都合でもある。
我が宿礼院の新しい手術作戦の臨床実験が必要なのだ。
まあ、キングストンは、あまり実験対象としては、好ましくない。
街をぐるっと閉鎖しておるから獣が逃げることができないから普通の街とは、かなり異なる結果になってしまうだろう。
だが陸軍も飛行船を使った攻撃の実証研究を欲しがっているから第1外科に、この手術作戦をねじ込んでも良い。」
(話が大事過ぎる。)
理事長の話に私は、引いた。
「い、いや、ちょっと街に火を付けるぐらいの燃料を別けて欲しいだけなの。」
そう私が言葉を濁すと理事長は、溜め息を吐いた。
「そうかね?
どうせどこかの誰かの頭の上に落ちる爆弾なんだがな。
まあ、キングストンが我々の臨床実験に相応しくないのは、事実だからこちらも好き好んで空爆するつもりはないよ。
何せ、何千ポンドという大金がかかった実験になるのだから。
できるだけこちらの条件に合った被検体に爆弾を落としたいからね。」
そう話しながら理事長は、手元の書類を機械に押し込んで処分し始めた。
「とりあえず焼夷性油脂を手配させよう。
……自分たちで撒くのか?
それなりの人員を回しても良いぞ?」
聞いているとこの理事長、羽振りがいいな。
もっとケチなのかと思ってた。
(あっ。
政治家とか会社の偉い人ってこうやって相手を油断させるんだな。
……上手いな。)
私は、そう思えてきて裏があるような気がしてならなかった。
好条件だが逆にこちらを利用する意図があるんじゃないか?
「いいえ、結構です。
燃料だけ譲ってください。」
私がそう言うと理事長は、怪訝そうに答えた。
「気兼ねする必要はない。
弾薬や兵器もいつまでも備蓄できるものじゃない。
こういうものにも使用期限があって廃棄前のものを処分したいだけだからこちらも困らんよ。」
「あっ。」
理事長は、それだけ言って通信を一方的に切った。
唖然とする私にダグラスが付け加えるように言葉をかけた。
「理事長も忙しいから。
安心し給え。
廃棄処分前と言っても本来50年以上保管できる兵器を念のためにそれより短い期間で新品と取り換えるために捨てているだけだから問題ないしね。」
そんなの言葉の上の保証でしかない。
ただそこは、疑っても仕方ないと私も考えた。
宿礼院が私たちを騙す理由はない―――たぶん
「それでいつぐらいで準備できますか?」
「今すぐに。
ついて来給え。」
ダグラスは、そう言って私を別の場所に連れ出した。
また廊下を進むと今度は、昇降機に乗せられる。
昇降機は、地下に向かう。
どうやら療養所の兵器庫があるらしい。
「う、うわっ!?」
昇降機の扉が開くと私は、目の前の光景に仰天した。
そこは、菫色の霧と流星群が飛び交う暗黒の宇宙だった。
昇降機の籠が闇の中に宙吊りになっている。
「え、ちょっと!?
な、なんなのこれ!!」
地下倉庫のようなものを想像していた私は、素早く壁まで後退りした。
(騙された!?
殺される!?)
忽ち青褪める私にダグラスが言った。
「平気ですよ。
これも《星界の智慧》、宿礼院の技術です。」
彼は、自ら先に霧と小惑星群が嵐のように吹き荒れる闇に踏み出した。
そのまま平然と虚空を歩いていく。
やがて理解を超えた超空間に白銀の飛行船団が見える。
菫色の霧を棚引かせ飛行船は、こちらを目指し、どんどん大きくなった。
「う、うわあ。
ああ、あああっ……!」
想像より遥かに大きな飛行船は、私とダグラスの前で停止した。
汽缶の弁を解放し、蒸気の圧力を抜く。
飛行船から吹き出す白い蒸気が物凄い勢いで私を包み込んだ。
「け、煙…!!」
私は、咄嗟に顔を伏せた。
一切の視界を覆い尽くす蒸気は、暗黒の闇に消えていく。
私が狼狽している間にも積荷を降ろす作業が始まった。
飛行船の底部艙門が開き、起重機やロボットの腕が動き始めた。
それは、驚くほど正確に機械的に行われ、整然とドラム缶を並べていく。
バシュッ。
バシュッ。
ロボットの腕は、動く度に蒸気を噴きながらドラム缶を並べる。
開けられたスペースにクレーンが素早く次の荷を降ろしていく。
「ダグラスさん、予定と違う荷が追加されています。」
キーウィの細長い嘴を模したマスクの医師が飛行船から書類を持って降りて来た。
彼は、背中に鳥の翼のような機械を背負っている。
「ああ、知っている。
こちらの狩人、ナーシャが依頼した焼夷性油脂だと思うんだが。」
「キングストンを焼き尽くすつもりですか?
かなりの量ですよ。」
「まさにその通り。」
ダグラスは、書類にサインして奇異鳥仮面の医師に返した。
受け取った奇異鳥仮面は、背中の機械で空を飛び、飛行船に戻っていく。
今度は、降ろされた積荷を療養所の看護師たちが運んで行く番だ。
星が煌めく空間に次々に四角い扉が現れ、荷物が移されていく。
荷物が運び込まれる先は、これまた別々の場所らしい。
窓から見える太陽の方向が違ったり上下が逆さまの部屋もある。
ここと繋がった先の空間が捻じれているのが分かった。
「便利な空間だな。」
その様子を私は、感心して見学していた。
けれどチラリと見えた一つの部屋に私は、目を丸くする。
その部屋の窓の外には、巨大な大聖堂が並んでいた。
この景色を私は、どこかで見たことがある―――宿礼院本部、先端精神治療中心
(あっちは、夕方?
ってことは、時差が5時間ぐらい……。)
宿礼院本部は、医都オクセルにある。
そのオクセルは、新大陸にあることだけが分かっている。
騎士団はもちろん大ヴィン帝国政府すら把握していない宿礼院の本拠地だ。
モルガンの血の影響だろう。
今の私は、不意に不必要な情報が脳に流れ込んでくることはない。
私の瞳から脳に映る今見ている情報、血に流れる記憶、残留する遺志を適切に取り出して並べ替えることもできる。
(オクセルの正確な位置が夕暮れの星の位置で分かった。
まあ、別に誰かに教えるつもりもないけど…。)
「それじゃあ、燃料は、ここに置いておく。」
急に聞こえたダグラスの声で私は、現実に引き戻された。
ハッとなって彼の方に振り返る。
「えっ?
置いておく?」
「ああ。
それが一番、良いだろう。」
ダグラスは、そう答えて誰かを手招きした。
こちらに鰹鳥のマスク、細長い絹帽子を被った医師がやってくる。
「これだけの燃料を教会地区に撒くんだ。
一人、医師を仲間に。
アリーヤだ。」
アリーヤと呼ばれた医師は、私に気障っぽい手振りで挨拶した。
「では、手術作戦の……じゃなかった。
狩りの成功を祈る。」
一瞬で菫色の霧が私とアリーヤを包む。
次に霧が晴れると私たちは、教会地区に立っていた。
私の隣には、燃料が入ったドラム缶がさっきのまま並んでいる。




