不和をもたらすもの
"Of what a strange nature is knowledge!
It clings to the mind, when it has once seized on it, like a lichen on the rock.
I wished sometimes to shake off all thought and feeling;
but I learned that there was but one means to overcome the sensation of pain, and that was death─"
(知識とは、不思議なものだ。
一度、頭に入ったら岩に着いた苔癬のようにしがみ付いて離れない。
俺は、時折、全ての想いを振り払いたくなる。
だが俺は、全ての苦痛を取り去る方法を学んだ。───それが死だ)
─ Mary Wollstonecraft Shelley
『Frankenstein, or the Modern Prometheus』
(メアリー・ウルストンクラフト・シェリー 『フランケンシュタイン』より)
次に目を覚ます時、私は、白い砂漠にいた。
いつものテントのベッドから起きて鏡を見る。
テントの入り口の反対側、日の光が差し込む位置に姿見がある。
私は、そこへゆっくりと近づいた。
「………うっ。
う、うあ………あ、ああ…。」
そこには、醜い怪物が立っていた。
美しい狩り装束など似合わない悍ましい怪人だ。
これは、滑稽だ。
こんな色っぽい衣装は、醜い怪物には似合わない。
とんだ笑いものだ。
「あへ、はは……ひひひひ。」
お前は、どこで生まれた?
どうやって生きてこられた。
これまで誰からも嘲られて、どうやって生きて来た?
兄だ。
私は、私を罵る言葉を兄に置き換えて逃避してきた。
「ふ、ぐう……。」
この現実から逃れる方法はあるか?
それは、死か。
だがどれだけ死ねば私は、この悪夢から解放される?
狩人は、死なないんじゃないか?
あの鎖された街の獣を狩り、悪夢を終わらせれば解放されるか?
自分が醜い嫌われ者だと忘れて生き直せるか?
この記憶は、目覚めの世界にまで着いてくるんじゃないか?
「君の悩みなど些細な問題だよ。」
モルガンの声がした。
私は、彼女の声がした方に向き直る。
「し、師匠!?」
「肉体を変質させるのだ。」
モルガンは、ピーコックチェアの上で足を組み替える。
今気づいた―――禍々しい彼女の瞳の輝き。
争いを、不和を人々にもたらすもの。
それが彼女だ。
死にゆく戦士の肩に止まるカラスのような女。
「さあ。
再び我が血を受け給え。」
そう言ってモルガンは、手のひらに傷を着けた。
赤黒い血が白く美しい手から溢れ始めた。
止め処ない血は、私の理性を揺さぶった。
「そ、それを口にしたら……。」
「何も思い煩う必要などないよ。
人間は、何にだってなれるのだから。」
モルガンは、そう言って妖しく私を導いた。
夢遊病のように私の足は、前に進む。
そして飢えた犬のように彼女の手のひらに吸い込まれた。
だが何か。
何かが私の身体を強引に静止させた。
この血を啜ってはならない。
死以上の破滅、それ以上の何かが―――
「『フランケンシュタイン』を知っているかね?
あの有名な怪物が登場する小説だよ。」
血を舐めるのを躊躇う私にモルガンは、話し始める。
「人が愛されるには、3つの条件がある。
ひとつは、地位や富を持つこと。
ひとつは、名高い血筋に産まれること。
ひとつは、美しい姿であること。
だからフランケンシュタインの怪物は、嘆くのさ。
自分には、見事にこの3つの条件のうち、何一つないとね。
そのような人間は、差別され、迫害され、一生をつまらないもので終えるだろう。
だが怪物は、こう話しを続ける。
俺がアダムなら博士、お前は、創造主だぞ。
お前が俺を愛さないなら俺は、悪魔になるしかないじゃないか。」
最後の一節をモルガンは、嬉しそうにいった。
私は、蟀谷の血管が膨らむのを感じた。
「親からも愛されない怪物は、悪魔になるしかないな。
そうだろう、ナーシャ?」
「ふ、ふう……。
う、うう………うううっ!」
「どうする!?
君は、自分で自分にかけた魔法が解けてしまったよ。
脳に広がる記憶は、簡単に消し去ることはできないよ。
繰り返し、繰り返し。
それは、君を責め苛み、心を引き裂くだろう!」
私の目の前が白黒になっていく。
呼吸が荒々しくなってモルガンの声だけが脳に浸み込んでいく。
侵されていく。
「私の血を啜り給え。」
ついにモルガンの声で私の舌は、貪欲に彼女の血を啜り始める。
溢れ出る魔女の血を繰り返し、繰り返し、舐めとる。
頭が真っ白になって、どんどん肌が痛く痛く鳥肌が立つ。
「ふえ、ええ、えう、うう。
え、えう、えう、うう、うううう……!」
私の声が嫌いだ。
この声は、汚く濁っている。
私の身体が嫌いだ。
美しい乳、丸く形の整った尻、すっくりとした脚が欲しい。
この怪物みたいな顔も嫌いだ。
いいえ。
私の声は、私を愛してくれた人が愛した声。
私たちが血と共に子孫に残していきたかったもの。
私の身体は、私を愛した人が触れたもの。
それがこうして今も息づいてくれているのが嬉しい。
私の全ては、私と私の愛する人の血を掛け合わせたもの。
私たちが生きて愛し合った証。
私を助けてくれた人たちの記憶と思い出なの。
皆が私を生かしてくれてたのに。
貴方は、それを捨て去ろうとする。
消えろ。
お前らは、死んだ。
これは、私の身体だ。
お前たちのくだらない愛のささやきを地上に残す墓標じゃない。
これは、私の身体で私の人生だ。
いいえ。
黙れ。
いや、消えたくない。
死にたくない。
お前らが死なないと私の人生が始まらないだろうが。
死ね。
さっさと、今すぐに消えろ。




