生き残ったものたち
「ああ……。
はあ、はあ、はあ、はあっ。」
気が付くと私は、例の酒場売女に辿り着いていた。
「開けてッ!」
私が叫ぶより早く跳ね橋が降りる。
目の前に降りた橋を私は、必死に渡った。
「ああ。
……また逃げ帰って来やがったか。」
見張り台にいる男が呆れたように肩を揺すった。
私は、酒場の中に転がり込む。
息を切らして見渡すと気配がまるで違うことに気付いた。
人が少ない。
さっき来た時は、女を侍らせて男たちが大勢、飲んでいた。
今は、まるで通夜みたいに静まり返っている。
「は、はあ、はあ…はーっ。」
私は、椅子を引いて倒れるように腰を下ろす。
「やれやれ。
すっかり怯えて帰って来やがって。」
ジルだ。
でも雰囲気が違う。
最初に会った時は、見た目が50過ぎだった。
今は、30代か20代半ばという感じになっている。
「ジル?
……え、なんか若返ってない?」
私がそう指摘すると彼は、笑った。
「ははははっ。
他人の齢を気にする余裕があるとは、大したもんだ。
他の連中は、完全にブルっちまってるっていうのに。」
といってジルは、顎で酒場を指し示した。
そしてグラスを手に取る。
「…あんた、なんでここに?」
私は、怪訝に訊ねる。
もちろん、酒を飲みに来たわけじゃないだろう。
「ああ、俺か?
一応、ここの守りを任されてるからな。
新人共が逃げ込んで来られるように、ここを維持しないと。」
と彼は、答える。
私は、噛付いた。
「そんなこといいから!
獣狩りを手伝ってよッ!!」
私が大声でジルを詰るが彼は、物怖じしない。
静かに
「ダメだ。」
といって笑った。
「はあ?」
私は、不快感を全身で表現して、そういった。
彼を睨み付けもした。
「はあああ!?」
しかし彼は、平然としている。
「ダメだ。
………一応、休養期間でもあるからな。
輸血液で傷は塞がるが無茶をすると身体を壊す。
今の俺は、本当に本当に、一応でここにいるだけなのさ。
悪いなァッ。」
といって私の肩を叩いた。
頭にくる。
「ふざけてないで…。」
私がそう言うとジルも幾分は真面目に答えるようになる。
ただ、私やここの新人に同情の余地はないらしい。
むしろ批判気味にジルは、現状を腐した。
「冗談じゃないよ、まったく。
逃げないように柵まで作ってるっていうのに。
……そうやって逃げて来れば誰かが面倒を見てくれると思ったのか?」
「新人ばっかり無責任に放り出して…。
馬鹿じゃないの?」
私がそういうとジルは、
「そうでもないだろ?
気の良い奴らがここまでお前を助けてくれたはずだ。」
と言ってくる。
確かにその通りだ。
私は、喉元にナイフを突き付けられたように黙る。
彼は、話し続けている。
「ここだって、フィンチ療養所だって、血統鑑定局支所だって。
各支部の好意で解放されてる。
あとは、お前らが狩りを全うするかしないかだけの問題さ。」
「………うう。」
「……で。
いったい、どこで、何があって逃げて来たのか聞こうか?」
ジルは、そう言うと私から情報を引き出した。
私の話を聞きながら彼は、しばしば眉を動かして首を傾げていた。
「う~ん…。
待て待て待て。」
と言ってジルは、私の話を中断させる。
「輸血液から寄生虫が?
それで患者を増やしてるって?
根拠もなくそんなことを考えるなよ。」
「でも宿礼院は、怪しいじゃない!
人体実験とかしてそうな連中だし。」
私がそう訴えるとジルは、首を横に振ってグラスに口を着けた。
「お前みたいな単細胞は、掃いて捨てるほどいる。
発想の貧困さと自分の単純さを少しは憐れめ。
宿礼院があやしい?
医者だから人体実験してそう?
それだけで獣化現象の原因を突き止めたつもりでいるのか。
たかだか1週間かそこら。
獣を追ったぐらいで重要な事実に行き着くものか。」
彼は、そういって私の仮説を退けた。
また話を再開していくと彼は、難しい顔になる。
「むう。
…南の商業地区は、諦めた方が良い。」
「え?」
ジルの言葉に私は、目を丸くする。
彼は、言った。
「銃で武装した獣が細い路地を固めてるなんて。
それは、一人前の狩人でも突破できそうにない。
他のルートを探すのが賢明だ。」
彼は、そういってグラスに酒を注ぎ、また口を着けた。
「それに”獣化した狩人”だって?
そいつもかなり怪しい情報だ。」
そうジルは、指でジェスチャーしながら言った。
ムカつく。
「信じてよ!
あの動きは、狩人だった!!」
私が懸命に訴えるがジルは、すんなりと信じてくれない。
「……この際、そいつの正体はどうでもいい。
だがお前らが商業地区に近づくべきじゃないって判断材料の一つだな。」
「助けてくれるの!?」
今世紀最高の笑顔で私は、ジルの顔を覗き込む。
しかし彼の目線は、遠くを睨んでいた。
「………事と次第による。
ただ俺は、無理だ。」
返事は、それだけだ。
私は、両手を上げて叫んだ。
「なにそれ!!!」
ジルに勧められて食事を摂る。
フィッシュ&チップスとかいう奴か?
臭くて碌な魚じゃない。
ただ空腹を紛らわせるには、何でも構わない。
「………そろそろ行こう。」
そういってジルは、私に向かって顎をしゃくる。
立てってことか。
「ベッドでキスして皆ハッピーとか考えてるんじゃないでしょうね?」
と私は、口を尖らせる。
「それでお前がハッピーなら俺は、別にベッドの狭さを理由にお前を追い出したりしない。」
「お断りィィィ。」
私は、そう言ってジルの脚を蹴った。
「来い。
行先は、ベッドじゃないが。」
そういってジルは、先を歩く。
私は、ナプキンで口を拭って彼を追った。
ジルが向かうのは、厨房だ。
彼は、両開きのドアを開けると挨拶もせずにキッチンに入る。
中では、コックたちが仕事をしている。
もう注文がないのか後片付け中だ。
ジルは、そこを素通りすると店の裏に出る。
外のゴミ貯めに狩人たちが集まっていた。
「何コイツら?」
「俺が見たところマシな連中だ。
お前ら、組んでこの街の狩りを終わらせてみろ。」
その人影の中にアリスがいた。
私は、心臓を氷で貫かれた様にショックを受ける。
でも嬉しい!
「アリス!!!」
私は、彼女に駆け寄った。
「生きてたの!?」
「あなたも!」
なんだ?
感じが違うぞ。
「なんだか謝らないといけない感じ。
あなたが敵を惹き付けてくれたおかげで私は、無事に逃げられた。
ふふっ。」
アリスは、そういって微笑む。
その表情は、ちっとも私が知っているアリスじゃない。
もちろん出会って何時間も過ごした間柄じゃない。
けれどあまりの様変わりに私は、違和感しかない。
「ジル様とあなたも知り合いだったの?」
「え?
ええ…。」
私は、戸惑い気味に返事した。
「そう。
でも、不思議じゃないか。
あなたは、糞虫の狩人なんだし。」
といってアリスは、細い指で自分の顎先を撫でる。
そんな仕草、ちょっと前の彼女と結びつかなかった。
(この女は、本当に私が知っているアリスなのかしら?)
馬鹿みたいな豊乳。
馬鹿みたいな恰好。
二丁拳銃。
間違いなくアリスみたいだけど気味が悪い。
全く同じ顔だけどアリスじゃないみたい。
「…もう、いいか?」
ジルが私とアリスに声をかける。
彼は、他の連中にも声をかけた。
「全員、自己紹介ぐらいはできるな?
あとでやっておけ。」
「ジル、その女は…?」
一人の男が質問したがジルは、
「自己紹介は、後でしろと言ったぞ?」
とだけいって彼は、話を進める。
「獣共は、この街の二ヶ所に集まっている。
エボン川の向こう岸、東の教会と南の商業地区だ。
集めた情報を俺なりに分析すると商業地区は、お前らには手に余る。
今から教会に行ってもらう。」
「後回しって事?」
ズタ袋を被った処刑人がジルに訊ねる。
”断頭人”ハワード。
普段は、羊飼いで処刑人と狩人の3つの仕事を掛け持ちしている。
暇な時には、羊の首を斬り落とす趣味がある。
ジルは、曖昧に答えた。
「……たぶんな。」
「たぶん?」
処刑人男が苛立ったように訊き返した。
ジルもイライラしながら答える。
「騎士団本部の判断次第だ。
俺からは、新人にはやめるように進言してみる。
だが、あまり都合の良い展開を期待するんじゃないぜってことだ。」
一同に嫌な空気が流れた。
「…死ぬと分かっていてか?」
そう別の若い男がジルにいった。
”冷血”イーウェンだ。
「狩人は、そういうものだ。
本部もそういう方針だ。
知らなかったようだな。
誤解が解けて良かったな。」
ジルは、そう言って両手のひらを上にして肩をすくめる。
「別に先に南の商業地区に突入しても良いぞ。
お前らが使えると判断されれば騎士団本部も手を貸す。
俺から言えることは、それだけだ。」
ジルがそう言うとシルクハットの狩人が突っかかった。
「あんた、責任者なんだろ?
無責任じゃねえかッ。」
”去勢人”セス。
獣のキンタマを千切るという変態だ。
「ああ、そいつのいう通りだ。」
イーウェンもセスに同調する。
しかしジルは、苦笑いするだけだ。
「ふふ、悪いなァ。
俺は、あくまでお前らが逃げ込む場所を用意してやってるだけで。
お前らの代わりにどうこうするためにいる訳じゃねえんだ。
おまけに指揮官でも何でもない。
これは、命令でも指示でも何でもなく俺個人の好意のアドバイスさ。」
「なんだとッ!!」
イーウェンがホルスターに手をかける。
一同が目を丸くして驚く中、ジルに発砲。
そのまま得物を大上段に振り上げた。
「糞野郎がッッ!!」
獣狩りの大曲刀。
糞虫の狩人、”切り裂き”ゼップの「仕掛け武器」だ。
この田舎者、工房が失敗作の烙印を捺すお荷物をどこで拾って来た?
「………これ以上、人数を減らすなよ?」
血塗れのジルが言った。
「俺を殺したら避難場所が一つ減るんだぜ?」
イーウェンの振り下ろした大曲刀は、ジルの肩に食い込んでいる。
彼は、イーウェンの攻撃を避けようとも反撃しようともしない。
「おい、やめろ…!」
とりあえずイーウェンを他の連中が取り押さえた。
酔っ払いみたいにジルから引き離されて行く。
「だ、大丈夫ですか!?」
心配そうにアリスがジルに声をかけた。
しかし当の本人は、のほほんとしたものだ。
「ああ…。
別に大したことはないぜ。」
「腰抜けッ!!」
独りイーウェンが勝ち誇ったように喚く。
「偉そうなこと抜かしてんじゃねえ!!
無能のオジンは、黙ってろや!!」
こいつの”冷血”っていうのは、敵味方関係なく暴れる経歴から着いたらしい。
面倒な奴だ。
殺すか。
「ぎゃん!?」
私がそう思っているとアリスが引き金を引いた。
一瞬でイーウェンの頭に4つの穴が開いて味噌が噴き出す。
「あ………ッ?
………が………………うう…。」
膝から崩れてイーウェンが倒れた。
誰も何も言わない。
「ったく。
人数を減らすようなことをするなって言ったのに…。」
ジルは、そう言って溜息をついた。
アリスは、撃った水銀弾を補充するだけで謝らなかった。
「出発しましょう。」
アリスがそう言うと一同は、肯首した。
「9人が、もう8人か…。」
そう私が言っていると東洋人の女がイーウェンの横にしゃがむ。
そして彼の死体から荷物を抜き取った。
死人に水銀弾も輸血液も必要ない。




