目覚め
「うっ、あ………。
なんだ、ここ?」
雨だ。
普段の夢と違って雨粒の不快な感覚まで感じる。
目を覚ました私は、周囲を見渡す。
ベッドじゃない。
どこだ、ここは。
辺りが暗く時間帯は、分らない。
周りは、不格好な木板の塀が不揃いに並んで建てられている。
どの木板も真っ黒で痛んで腐っていた。
次に私は、立ち上がった。
背中が濡れて気持ち悪い。
歩くとギイギイと音が鳴る。
足場もボロボロの木板で設えられていた。
板の隙間から川か池のような暗く灰色の水面が見える。
「■■■■■■■■■■■■■■ー――ッ!!!」
矢庭に耳を貫くような音が聞こえた。
驚いた私は、顔を上げる。
「え…っ!?」
今のは、何?
動物の鳴き声でも鳥の啼き声でも機械音でも人の声でもない。
「時間だッ!
───進めッ!」
どこかで誰かの大声がした。
広場で豚みたいに弛んだ顔のオッサンが叫んでいる。
顔の肉で目が押し潰されていた。
「時間だーッ!!」
彼の点呼に応えて数人の男女が進み出る。
「早く来いッ!!
そこの女っ、お前だ!!」
(私か。)
どうやら私も、その一人らしい。
キョロキョロしながら列に入る私は、酷くみっともない。
こんな夢は、初めて見る。
全員、カラスみたいな黒いコートに幅広い帽子を被っている。
コートの下は、見るからに高級そうなピカピカのジャケット。
肩を聳えさせ、胸を反らしたブリティッシュスーツに似ている。
何を勘違いしてるのか。
マント、真っ白な肘まである手袋、金色の総なんかを着けてる奴もいる。
相当、痛い連中の集まりだ、ここは。
でも、もちろん私も似たような恰好をしている。
昇降機の扉が閉まる。
さっきの太ったオッサンが叫んだ。
「降ろせーっ!!」
私たちを乗せた昇降機の籠が揺れる。
奴隷監督の振るう鞭の一下、奴隷たちが機械を動かした。
「降ろせ!!
降ろせーッ!!」
ぴし、ぴし、と風を切る鞭が奴隷たちを打つ。
やがてゆっくりと昇降機の籠は、下に向かって降り始めた。
昇降機の周囲には、監視塔が並んでいる。
それぞれ機関銃が据え付けられ、近づく者を迎撃するためにあるようだ。
これじゃまるで要塞じゃない。
でも何を撃つ?
「おい…。
さっきからチョロチョロするな。」
私があまりに首を忙しなく動かすので隣の中年オヤジが抗議して来た。
だが別の若い男が不満気につぶやく。
「チッ、うるせえな。
小心者は、黙ってろ。」
するとまた他の誰かがピシャリという。
「お前こそ黙れ。」
昇降機の中は、静かになった。
頼り無く揺れる昇降機は、奴隷の呻き声と共に降りていく。
やがて眼下に中世ヨーロッパ風の街並みが見えて来た。
聞いたことがある。
この時代の建物が1階より2階が迫り出してるのは、ウンコを道に捨てるからだって。
だから建物と建物の間は、かなり薄暗くなっていた。
木と煉瓦と漆喰で造られた家が石畳の道を挟んで並ぶ。
反り返った屋根を頂く家々は、互いに洗濯物を干すロープが垂れている。
しかし通りに人影はなく、一枚の洗濯物もない。
鎧戸が閉じ、窓にも灯りはない。
細長い煙突が伸びているが煙は、どの家からも出ていなかった。
動くものは、何一つここから見えない。
人が暮らしている気配はない。
でも道には、新しい汚物が撒き散らされていた。
住民は、ずっと息を潜めているようだ。
やがて昇降機は、静かに街に降りる。
振り返ると大きな砦から陸橋が伸び、昇降機が吊るされている。
陸橋は、家を押し潰し、支柱を建てて支えられていた。
どうやらこの街は、ぐるっと木板の壁で囲まれているらしい。
その壁の高さは、3階建ての家よりも高い。
(住民を外に出さないようにしているの?)
全員が籠から降りる。
すると昇降機は、刑了したギロチンの刃のようにゆっくりと巻き上げられていった。
私がキョロキョロしてると他の人たちは、街の方々に散った後だった。
ここに居ても仕方ない。
残された私も彼らに倣い、街の中に入っていくことにした。
ここは、まるでゲームの世界みたいだと思った。
丸い平石を敷き詰めた石畳をコツコツと歩くのは、楽しかったし。
絵画的に並ぶ家の下見板張りの壁には、筋交、窓には鎧戸。
尖り破風の上には、尖塔や装飾の鉄柵、下には古風な軒蛇腹。
きっと気持ち良い散歩コースになっただろう。
こうなる前は。
今は、往時の賑わいが失せ、建物も不気味に傾き、薄暗い路地は不気味だ。
街路上のガス灯は、ガラスが破れ、ゴミが詰まっている。
風見鶏が傾いて屋根から飛び出しているのなど御愛嬌だ。
方々にゴミと死体───人間、馬、犬が放置され、棺が往還を埋め尽くしている。
特にあの棺は、中身が入っているのだろう。
悪臭芬々たる物も未だ多く、虫が湧き返り溢れ、住処が露地に及ぶ。
雨で流れた汚物で下水溝まで虫が詰まりそうだ。
(何なの、この街は……?)
「バウ!」
突然の鳴き声に驚いて私は、そっちに振り向いた。
大きな犬が3頭も並んでいた。
どれも毛並みがつやつやと言い難く鍋底を磨いたブラシみたいだ。
何より犬特有の黒い歯茎を剥き出し、黄色い牙に寒気がする。
「グルルル…。」
「バウ、バウッ!!」
「グウウウ………。」
急に犬たちは、私に向かって飛び掛かって来た。
ぼーっとしている私は、あっという間に彼らの牙にかかった。
「あう!?
あああ…?
え、へあッ!!」
嘘だ!
私の腕から血が出ている。
肉が捲れて無惨に抉られた。
これは、私の夢なんだぞ!?
なんで私がやられないといけない。
これまで夢で、こんなことはなかった!
「い、いやッ!?
痛いーッ!!」
私は、意味も分からないまま暴れた。
血だらけになった私は、なんとか逃げようとする。
しかし犬たちは、簡単に私に追い付いた。
「バウッ!」
「バウ、バウッ!!」
「ウウウーッ!!」
私は思わず、ゾッと身震いした。
自分に噛みついた犬の顔を見てしまったからだ。
犬たちは、全身にヘルペスみたいな水膨れがある。
目も白く濁っており、正常な状態と思えない。
腐ったゾンビみたいだ。
「やめてェッ!!
嫌ァ、嫌ァァァーッ!!」
手足を折り畳んで蹲る私に犬たちは、容赦なく噛付く。
これまで暴力を振るう側だった私が逆に惨殺される側へ。
目の前が赤く染まり、自分の血の匂いで頭がいっぱいになる。
「××××××××××ィィィーッ!!」
突如、何か巨大な塊が私や犬たちを跳ね飛ばした。
私も犬たちも衝撃で骨も拉げ、血を吹いて絶命する。
薄れゆく意識の中、私は大きな獣の姿を微かに見た。
「×××××ィィィーッッ!!!」
次の瞬間。
獣は、私の身体を咥え、恐ろしい力で振り回した。