禁足の森
「う~ん………。
うわあッ!」
次に目を覚ました時、私は鎖された街に戻っていた。
私の体は、井戸の井筒に引っかかっていた。
あわや落ちそうというところで身体を起こす。
井戸に落ちずに済んだけど、道の石畳に転がった。
「痛たた…。
つうう……。」
少し落ち着いてから私は、辺りを見渡す。
初めて見る景色だ。
私が訪れたフィンチ療養所の近くから、かなり離れているらしい。
古めかしい木製の起重機。
用途に合わせて様々な形、色々な大きさがある。
作りかけの樽が並んでいる。
大きいものや小さいものがある。
中央が盛り上がったアーチ橋。
この形は、橋の下を船が通るからだろう。
水車小屋や風車小屋、川から水を引く初期の蒸気機関。
機織屋、革なめし屋、鍛冶場、製材所、陶器の工房、倉庫街。
そして細い煙突が伸びた炉。
火が消えていてここ最近、ちっとも使われた跡がない。
ここは、職人の家や作業小屋が集まってるみたい。
それらすべてが森に飲み込まれている。
目に映る建物は、どれも朽ち、木がニョキニョキと生えていた。
屋根や壁が木々に壊され、様々な色彩の緑が溢れて無法図に広がっている。
石畳も若木に引っ繰り返され、木の根であちこちで隆起していた。
禁足の森。
鎖された街で最初に閉鎖された場所が、ここだ。
その日、獣化は伝染病が原因だと発表された。
ここの住民は、閉じ込められ、周囲を壁で囲まれ、街ごと取り残された。
街は、1年で藪になり、2年で林となり、3年で森に還った。
故、人々は、禁足の森と呼ぶようになった。
ここがかつて市域の一部であった事を忘れたように…。
閉じ込められた住民の運命は、自ずから一つに絞られた。
獣となるか。
先に獣になった誰かに食われるかだ。
もっともしばらくすると市全体が閉鎖されたけど…。
「………一人?」
私は、そいつに声をかけた。
すっかり私も狩人らしくなった。
背後の気配、獣の匂いや足音を事前に察知できるようになった。
さあ、静かに武器を構える。
「■■■■■■■■■■■■■ァァァ……。」
物陰からゆっくりと大きな獣が現れる。
そいつには、真っ赤に輝く単眼が頭と思しい部位にあった。
もっとも石炭のように光る目を持つ時点で尋常の生物の枠を脱している。
どういう原理で生き物の目が発光するのか。
その獣は、全身が白く輝いていた。
四本の腕を持ち、蛇のような白い鱗が虹色の光を反射している。
盛り上がった乳房と体つきが、かつて女だった名残りを残している。
獣は、膝を伸ばした状態で両手を着いて歩いていた。
立てば12mを超えているだろう。
「■■■■■■■■ィィィ…!!」
向こうから襲ってくる様子はない。
人を失った獣たち。
姿も、記憶も、人間らしさを奪われ、悍ましい獣に堕したかつての人間。
ああ、可哀想。
それでも中には、いまだ人の心を留める悲しい獣もあるという。
だが獣は、怪異である。
例え大人しくても、隔離されていようと狩りの標的であり続けた。
存在そのものが不吉なのだ。
「………悪いけど、死んで。」
私は、錨を放った。
容赦なく無抵抗な獣に襲い掛かった。
仮に今は、大人しくてもそれは偽装だ。
この鎖された街では、住民を喰らって生き延びる他ない。
例え悔い改めようと狩人は、お前を狩るしかないんだよ。
「■■■■■■ァァァッッ!!
■■■■■■■■ィアアアー――ッッッ!!!」
獣に命中した錨が爆炎を噴き出した。
大きな獣の身体が傾く。
久しぶりに吸い込んだ血の匂いが私の身体を震わせる。
私は、嬉しくて嬉しくれ狂いどうだ。
「ああははははははははははははははははははははっ。」
そのまま狂ったように錨を振り回し、獣の背を、腿を狙う。
錨には、獣の血を削るノコギリ刃が彫り込まれている。
虹色の鱗と共に赤黒い血が地面に飛び散った。
それでも白い獣は、反撃して来ない。
早くも白い獣の身体は、血で汚れ、深い傷が幾条も走る。
このまま無抵抗で殺されるつもりでもこっちは、構わないが?
「■■■■■■………。」
遂に大人しくしていた獣も本性を見せる。
立ち上がると四本の腕を振り回し、旋回し、飛び上がる。
水晶のような爪が火花を散らして私を狙う。
「■ォ■■■ッ!
■■■■■■■■■■■■■■■■■c■ァァァ!!!」
私は、白い獣の攻撃を躱し、素早く起重機の隙間に逃げ込む。
敵の巨体は、木々と起重機に阻まれて止まった。
「注ぐ流星ッ!!」
敵から距離を取りつつ、私は魔法力で星を作って反撃を試みる。
実戦で魔術を使うのは当然、初めてだ。
狙いを着けるどころの余裕は、今ない。
正直、星を作るので精一杯だ。
(当たって!)
初めての攻撃は、明後日の方向に飛んでいった。
木の枝、建物を避けて狙うのは、思ったより難しい。
7つの星は、すべてあの大きな獣にかすりもしなかった。
「■■ァァァ■■■■■■■ィィィイイイーッ!!」
素早く伸びる獣の腕が私を掴んだ。
自分が撃った星なんかに気を取られるから。
獣は、そのまま私を自分の顔に近づける。
石炭みたいに赤く光る瞳が閃光を放った。
「ぎゃあうッ!?
ああーッ!!!」
何度か真っ赤な閃光が私を灼く。
生きたままステーキにされる気分だ。
「いぎぃッ!
ひいッ……があッ!!」
すっかり血みどろになった私は、生焼けになっている。
これ以上は、耐えられないだろう。
ただ獣にとってもこの技は、消耗が激しいらしい。
急に私を捨てて逃げ出そうとした。
「あうッ。」
捨てられた私は、ゴロン、ゴロンと人形のように森を転がった。
崩れた石畳と石を持ち上げる太い根の上で止まる。
「つう……。」
身体が自由になってすぐ私は、2本の注射器を両腿に突き立てる。
焦げた皮膚が再生し、流れる血が止まった。
骨を接ぎ合わせる激痛が走り、鼻からもボトボトと肉片が零れる。
「ぎやあ……あッ…いいいッ……があ……!
あ、ああ、ああああー――ッッッ!!
ああッ、あああッ、ああああッッッ!!!」
身体は、輸血液で治した。
痛みは、まだ残っている。
感覚が麻痺し、強張って痺れる手足を無理矢理、奮い立たせた。
「うっし。」
私は、急いで鎖を手繰り、錨を拾うと獣を追って走る。
獣もさっきの攻撃は、奥の手だったんだろう。
もう膠もニベもなく逃げの一手だ。
高さ13cmのピンヒールに関わらず狩人は、風のように疾く歩ける。
我がことながら、こんな靴で良くも走れる。
先に逃げた獣を、あっという間に追い抜いた。
「残念ッ!」
私は、逃げる獣の顔面に錨を叩き込む。
「■■■■ァァァ■■■■■■ッ!!」
走っていた獣は、制動し切れず、そのままの速度で起重機に突っ込む。
大きな起重機が倒れ、獣は乾ドックに転がり込んだ。
獣は、乾ドックの底でうずくまっている。
左右は、高い石垣になっていて咄嗟に逃げられないだろう。
好機だ。
「流星夜ァッ!!」
今度は、標的に十分に隙がある。
私は、落ち着いて9つの星を獣に放った。
薄曇りの空を切り裂き、9つの流星は弧を描いて獣に殺到する。
するとオレンジみたいに獣の頭が破裂し、真っ赤な血が噴き出した。
そして頭を失った獣は、そのまま崩れ、倒れる。
「うげっ。」
私は、舌を出して顔をしかめた。
倒れた獣からは、一斉に寄生虫や何かの虫が這い出す。
虹色に輝く白い鱗の間から、ゾッとする線虫が湧きだした。
流れる血にも無数の小蟲が蠢いている。
獣の伝染病…。
感染…。
寄生虫…。
血の中に住む虫。
住血吸虫…。
宿礼院…。
輸血液…。
───輸血液?
「そういえば…。」
私は、上着から茶色の小瓶を取り出す。
輸血液を保存する薬品用のガラス瓶だ。
『血液による医療行為の為の輸血用の血』
150竓
『吾らの星に吾らは生まれ。吾らを作る吾らの血液。』
『吾らは献血・売血される方を、心からお待ちしております。』
『献血は同品種を救う博愛精神に則った救済行為です。売血希望の方は血質に応じ買取に応じます。鑑定は素早く安全かつ正確でお時間は取らせません。また血質の鑑定結果により不都合が乗じることは一切ありません。この広告は献血・売血の強要・強制を目的としたものではありません。』
『院長ならび、職員一同より 宿礼院』
『原材料:血液 無水珈琲基塩 亞爾吉儿 一炭十水素十五窒素塩酸塩 HPL(保存料) 他』
『遮光・気密容器・冷温保存・禁凍結』
『鑑定済み』
『血統鑑定局登録番号┘┴┻├┤┤┳├┼』
───宿礼院。
輸血液は、宿礼院が製造している。
ということは、あの寄生虫が、もし輸血液に入っているのなら。
輸血液から感染が広がっているっていうこと?




