宿礼院先端精神治療中心
「ま、まってくれ…。
私は、平気だっ。」
「じゃあ。
3………+………3は?」
スズメの仮面を付けた医師が患者を診察している。
患者は、どうやら狩人らしい。
自分で掻き毟ったのか顔や腕には、掻き傷があった。
顔には、すっかり病んだ絶望の色が伺える。
「ええ…っ?
ええ……3と………何だって…?」
彼女は、虚ろな口調で医師に聞き直した。
今、この間にも自分を掻き毟ろうとするので看護師が腕を抑えつける。
「あうう…!!」
その様子を見た宿礼院の医師は、カルテにペンを走らせる。
そしておざなりに診察結果を告知した。
「露泥精神病院送りだな。」
「ふぇえッ!?」
患者が飛び上がろうとするが椅子に拘束されている。
ただ彼女を抑えつける鎖が虚しく音を立てた。
「もっとちゃんと診断してよォ!!
あんなところに行きたくないよ…。
うう…ッ。」
「足し算も出来ないぐらい脳がストレスでボロボロなんだ。
完全におかしくなる前に狩人を辞めれて良かったと思うんだな。」
医師は、そう話ながら看護師たちに次の指示を与えた。
もう彼女は、処置ナシだ。
「足し算ぐらいできるゥ!!
うああーッ!!!」
女は、叫んで暴れる。
獣を爪裂く狩人の膂力は、尋常ではない。
女を縛り付けた鎖が悲鳴を上げ始めた。
「あああッ!
あああーッ!!」
いつの間にか、ふらっと奥から大男が現れた。
大男は、血色が悪く、譫言を繰り返して尋常ならざる雰囲気だった。
「ア…■■…おあッ。
■■■■■■ォォォ……。」
恐らく獣化をある段階で止めることに成功した被験者なのだろう。
何か特別な血を輸血することで獣化を抑えたのだ。
しかし人格や知性は、削り取られてしまった。
手足は、異常に変形し、狼のような体毛や蛇のような鱗が見える。
拘束服の下には、それ以上の慄然たる姿を隠しているのだろうか。
「嫌ァァァ!!」
宿礼院の下僕を見た女は、悲鳴を上げる。
「いじじ…■■■■…■■……。」
「放してッ!
いやッ!!」
大男は、泣き叫ぶ女を連れて診察室を出て行く。
あまりに暴れるので女は、大男の腕の中で逆さになっていた。
「いやあああ!!」
「次の患者を。」
医師に呼ばれて今度は、私が診察室に入った。
ここは、フィンチ療養所か?
私もさっきの女みたいに頭がおかしくなったの?
私が不安になっているのに医師は、構わず診療を始める。
「アナスタシア。
君は、糞虫の狩人ということになっている。
過去、未来、現在においてそういうことになっているのかね?」
「えっ?
いいえ、知りません。」
私は、驚いて首を振った。
なんだか頭がぼんやりしている。
「君は、何時間、狩人の夢の家に居たか分かるかね?」
医師の診察は、続いている。
答え次第では、私も精神病院送りか?
「分りません…。」
とにかく正直に答えよう。
もしチンプンカンプンな答えで狂ってると診断されたら終了だ。
「………仮に何時間、あちらに居ても0.8秒の出来事だ。
だが君は、あちらで3年も過ごしていた計算になる。」
「うえッッ!?
そ、そんなに…ッ?」
夢と夢を隔てると時間がそんなに狂ってくるのか。
モルガンと過ごした時間は、それだけ空間を歪ませてるんだ。
「異常行動を取った狩人は、ここで目覚めさせる決まりだ。
…ま、君は、平気そうだ……。」
そういって医師は、何かをカルテに書き込んだ。
「ここは、何処ですか?」
と私が訊ねる。
「宿礼院本部。
宿礼院先端精神治療中心。」
彼の言葉を聞いてから私は、窓の景色を確かめて圧倒される。
外は、巨大な大聖堂が地平線まで続いていた。
とにかくどの建物も巨大で不必要に尖っている。
まるで針の山だ。
スチームパンクっていうんだろうか。
真鍮製のパイプからは、蒸気が噴き出している。
そこら中に風変わりなデザインの車が走っていた。
「理事長がよろしくと。」
医師は、そう言って私を診療室から出した。
扉を開くとそこは、星が輝く真っ暗な夜空だった。
ごく普通の部屋が宇宙悪夢的暗黒次元に直結している。
「えっと、これって…。」
私が不安そうに尋ねると看護師は、普通に答える。
「そのまま外に出てください。」
床があると思って踏み出した足は、そのまま滑落した。
あっという間に私は、そこへ向かって落下する。
「ひゃ…えええッ。
きゃあああああああああああああああああーッ。」
いや。
厳密には、落下じゃない。
ここでは、距離と時間が入れ替わってるんだ。
今、私は歪んだ時間を移動している。
速度は、次元の歪みに等しい。
つまり―――
「あああー――ッ!!」
何か大きな力に引っ張られる感覚はあるけど風や空気を感じない。
ただ物凄い疲労感が身体をすり抜けていった。
ふと気付くと何か私以外にも、この空間で動くものがあることに気付いた。
目が眩むような流星の間を一隻の船が航行している。
ゆっくりと舳先を回頭して星の海を渡っていた。
「大きな船………。」
帆船だ。
絵本の海賊船みたいな木で出来た昔の船だ。
なんと甲板が8層もある。
片舷だけでも300門以上は大砲が並んでいた。
単純に両舷合わせて600門着いていることになる。
140門戦列艦サンティシマ・トリニダー号の4.2倍。
ざっと265m以上。
つまり全長263.4mの戦艦大和よりも大きい木造の帆船ということだ。
信じられない大きさ。
超巨大帆船は、暗黒次元を横断し、やがて消滅した。
どこか別の悪夢か、あるいは覚醒世界に移動したのか。
いずれにしても工房の技術力は、夢みたいだ。
あれだけの兵器を作るのも、作れるのも狩人の工房以外に考えられない。
もし他にあったとしたらそれは、極めつけの愚か者だ。
しばらくすると私も、この闇から離脱できた。
菫色の雲を抜け、鎖された街に帰り着いたのだ。




