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深夜の公園

作者: もみあげ



 「薬指はなんで薬指って言うか知ってる?」


 そう言いながら、息切れをしている30代くらいの男が僕の座っているベンチの隣に腰掛けてきた。

 僕に話しかけているのか、と疑問に思ったが、誰かと電話してる様子でもないし、ここには僕とその男以外誰もいない。

 若干の沈黙のあと


「あ、いや、わかんないです。」


 と、返答しながら恐る恐る彼を見ると、二月とは思えないほど軽装で、とても奇妙な格好をしていた。

 ボロボロのスニーカーに丈の足りてないズボン、派手な花柄のトップスに、上からエプロンをつけ、深夜の2時だというのにサングラスとサンバイザーを装着している。

 この公園には少し前から不審者注意の看板が立てられていたが、おそらくこいつのことだろう。


「指の中で1番力が入りにくくて、あんまり使われる指じゃないから清潔だろうってことで、よく薬を塗る時に使われてた指だからなんだって。」


 どうでもいい。

 非常にどうでもいいが、変に刺激したらなにをしてくるかわからないので慎重に答える。


「へーそうなんですね、よく知ってますね。考えたこともなかったです。」


 と、普段、上司や得意先とのやり取りで培った太鼓持ち能力を遺憾無く発揮していく。

 早くここから逃げなければ、と思ったのも束の間、彼は口を開く。


「わたしは薬が好きでね。」


 この見た目でこの発言は完全にアウトである。唐突なお薬大好きカミングアウトに、反射的にもう一度聞き返してしまう。


「え?」


「薬が好きでさ。」


アウトである。


「こう見えて普段は大学病院で医者をやってるんだ。薬が好きって言っても危ない薬じゃないよ、人を癒す薬の方だよ。」


と、笑いながら言う。

 くすりとも笑えない。危ない薬で頭までやられたのだろう。

 早くここから逃げ出さなければと思い、もう一度ゆっくりと彼の方へ視線を向ける。

 男は真っ直ぐこちらを見ており、サングラスで目元が見えないのが尚更恐怖を掻き立てる。     

 どうにかして話を合わせなければ、と強く感じた僕は必死に会話を繋げる。


「へ、へー、お医者さんって大変そうですね。」


「大変だけどとても楽しいよ。こんなわたしでも、人の命を救い、人の傷を癒す、元気になった患者さんを見届ける、やりがいのある仕事だよ。」


 真っ直ぐこちらを見て喋る。見た目とは裏腹に優しい口調で、丁寧に言葉を選んで喋っている。

 この人、格好は少し変だけれど本当は良い人なんじゃないか、そう感じ始め、さっきまでの恐怖心は少しずつ薄くなっていた。


左手の薬指に指輪が見える。


「お兄さん結婚してるんですか?」


と、聞くと


「ん、ああ、いるよ。若い頃の薬師丸ひろ子さんに似てるんだ。彼女の作る薬膳料理が美味しくてね、早く食べたいよ。」


と答える。

 薬膳料理か、今度食べてみるかと心の片隅にメモをする。

 そろそろ薬でゲシュタルト崩壊しそうだ。


「作ってくれないんですか?」


「普段、わたしは東京にいるんだけど、いま一時帰省しててね、また戻ったら作ってもらうことにするよ。」


 嘘をしゃべっているようにはみえない、この男が医者だという話は本当なんじゃないか、だとすると、なぜこんなにも奇妙な格好をしているのだろうか。色々と疑問が浮かんでくる。

 勇気を振り絞り聞いてみることにした矢先、彼が一度深呼吸をし、ゆっくりと喋り出した。


「少し聞いてくれるかな。


 ちっちゃい頃わたしはしょっちゅう怪我をする子供でね、おばあちゃんによく薬を塗ってもらってたんだよ。


 その時、おばあちゃんは薬指で薬を塗るんだけど、それが傷に染みて痛くて痛くて。でも、あったかくて、なんだか優しくてさ。次の日には傷の痛みなんて感じないくらい治っててね。


 そして、ふと、なんでおばあちゃんは薬塗る時いつも薬指で塗るんだろうって思って調べたんだ。

 そしたらさっきの意味が出てきて、ああ、なんて優しいんだろう、傷を治すのは薬と優しさなのかもしれないな、なんて思ったりしてね。


 そっからわたしは、おばあちゃんのように優しさを持って人の傷を癒せるような医者を目指したんだ。


 そのおばあちゃんが一昨日死んでしまったんだ。もうかなりの年だったからね。

 いつかこの日が来るとは覚悟していたけど、あんまり実感が湧いてこなくて、自分でもびっくりするくらい涙なんかでてこなかったんだよ。


 それでさっき荷物整理してた時におばあちゃんの服が出てきたんだ。

 その懐かしい匂いのする服を手にした時、涙が溢れ出て、もうどうでもよくなって、気付いたらその服を着て家を飛び出してたんだ。


 どっか遠いとこまで行ってやろうと思ったけどさ、こんなボロボロのスニーカーじゃ少し走っただけで足が痛くなるんだよ。

 この公園まで来るのが精一杯だったよ。


 せめて良いスニーカーでも買ってあげればよかったなぁ。」


 喋り終えた彼のサングラスからはとめどなく涙が溢れ出ている。

 なるほど、そういうことだったのか、僕も思わず目頭が熱くなる。


「そういうことだったんですね。おばあさんも自慢のお孫さんだったと思いますよ。」


 僕の言葉は彼の耳に届いているかわからなかったが、それで良いと思った。

 彼はおもむろにポケットから何かを取り出すと火をつけた。


「一本吸うか。」


 そう言って差し出してきたのはechoだった。


「いただきます。」


 普段は全くタバコを吸わないが、この時はなんとなく吸いたい気分だった。

 彼もそうだったのだろう。


会話も交わさず、ただ2人もくもくと。


 一本吸い終わると、男は気持ちに区切りがついたのか、どことなくスッキリとした表情になっていた気がした。


「話聞いてくれてありがとうね。わたしは明日から東京に戻るからこっちには居ないけど、なんか悩んでることあったら連絡して。」


と言い名刺を渡してきた。


「君にも合う薬がきっとあるさ。じゃあまた、風邪ひかないようにね、グッドラッグ。」


そう言い残すと足早に去っていった。


「おれもこうしちゃいられないな。」


 自然と言葉がこぼれた。

 綺麗に畳んでそばに置いておいた服と下着をもう一度着て、家へと走って帰った。冬の乾いた空気が妙に暖かく感じた。


 そんな夜だった。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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