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2・宰相デルフィーノ

 執務室に戻ると、秘書が届いたばかりだという手紙を差し出した。署名はレアーリ伯爵夫人……すなわち王太子の乳母エルダだ。それだけで、デルフィーノは用件に察しがついてしまう。


(消えるのは侍女が一人、か)


 憂うつな気持ちで読んだ手紙には、新任の侍女が王妃の機嫌を損ねた一部始終が記されており、事態の解決にデルフィーノの力を借りたいと結ばれていた。確かに、仮にも貴族出身の侍女一人を存在ごと王宮から消し去るには、デルフィーノの力が必要だろう。



 問題の侍女はすでに地下牢へ送られ、鞭打ちを受けたそうだ。運良く……と言っていいのか……生き延びたそうだから、明日には王都の外に運び出されるだろう。



 ため息をつき、デルフィーノは万事任せて欲しい旨の返事をしたためると、エルダのもとに届けさせた。

 軽く痛むこめかみを指先で揉み、秘書が淹れてくれた紅茶を飲む。最高級の茶葉を使っているはずだが、味など感じない。ただ苦さと渋みだけがじわじわと口内に広がっていく。



 ふと机上の金印が目についた。持ち上げたそれには王国の紋章と杖の意匠が彫られている。王をもっとも身近で支える杖…宰相のみが使用を許される宰相印だ。


(初めて手にした時には、天にも昇る心地がしたのだがな)


 あれはもう、八年も前になるのか。嬉しくて嬉しくて、邸の酒倉庫を開放し、さんざん飲み明かしたものだ。



 宰相の地位はデルフィーノにさまざまな恩恵を与えてくれた。新しい邸、広大な領地、莫大な財産……そしてひそかに思い続けていた令嬢も。貧乏伯爵家の跡取り息子に娘はやれんと渋っていた義両親は、デルフィーノに金印が与えられたと知るや、もろ手を挙げて娘の輿入れに賛成した。



 妻となった令嬢はいまや息子と娘、二人の母となり、カザリーニ伯爵家の女主人として留守を守ってくれている。子どもたちは可愛い盛りだ。おしゃまな娘が『大きくなったらおとうさまとケッコンする』と言ってくれた時には、この子の輿入れを見届けるまでは絶対に死ねないと思った。



 ……そう、だからこそ理解できる。できるようになってしまった。この地位と幸福を掴むため、自分がどれだけ罪深いことをしでかしたのか。



 デルフィーノは秘書に尋ねた。



「……王太子殿下のご容態は?」

「先ほどレアーリ伯爵夫人から報告がございました。熱はほぼ下がり、明日には普段のご生活に戻れそうとのことです」

「そうか……。では明日、娘と息子を連れて王太子宮に参上するとしよう」

「良きご思案かと。伯父上様といとこの方々がおいでになれば、王太子殿下も喜ばれましょう」



 普段は無表情な秘書が笑みを浮かべる。

 王太子ラファエロはようやく生まれた世継ぎにして、王国の希望なのだ。誰もがラファエロの成長と幸福を願っている。



 そしてデルフィーノはラファエロの伯父……王妃の兄に当たる。娘と息子はラファエロのいとこ、数少ない血縁者だ。

 祖母は降嫁した王女だから、王族が少ないいま、低いが王位継承権も有している。ラファエロに幼い恋心を抱いているらしい娘は、いずれ王太子妃候補になるかもしれない。



 順風満帆そのもののデルフィーノの後悔と焦燥を知る者は、ごくわずかだ。



『……許さない』



 憎悪にぎらつく目で睨みつけてきた妹を……いまの王妃を、かつてデルフィーノは嘲笑った。王妃とはいえたかが女一人に、何ができるのかと。



 でも、いまは。

 どうしてあんな真似ができたのかと、後悔に押し潰されそうになる。



『貴方たちを絶対に許さない。いつか必ず同じ苦痛を味わわせる。どんな手を使ってでも』



 そして妹は手に入れた。王太子という至高の駒を。

 国じゅうの民から愛される王太子も、妹にとっては道具に過ぎない。あんなにも母親を求める息子を冷たく突き放すのも、きっと……。



「どうしましょう、貴方……」



 重い気分で帰宅すれば、青ざめた妻に出迎えられた。

 昼間、王宮から届けられたという書状を見せられ、デルフィーノは愕然とする。書状にはデルフィーノの娘を王の養女とし、隣国の王の妃として輿入れさせたいと記されていたのだ。

 末尾には国王にしてデルフィーノの義弟、イルデブランドのサインがある。打診の形を取ってはいるが、これは明らかに王命だ。



「お断りできないのですか?」



 妻がすがるような目をする。

 隣国の王はイルデブランドより十は年上だ。先だって王妃を亡くしたので独身ではあるが、すでに成人した王子がいるはずである。

 童女の娘が輿入れしたとて、形ばかりの妃になるのは目に見えていた。それ以前に、幼くして親元から引き離され、父親より年上の男と結婚させられる娘が幸せなわけがない。普通の親なら絶対に受け入れたくない縁談だが……。



「……王命を断れるわけがないだろう」

「そんな……!」

「北の国が隣国の鉱山を狙い、怪しい動きを見せている。我が国で使われる鉄の半分は隣国からもたらされるのだ。失うわけにはいかぬ」



 王家の血を引く娘が王女として輿入れすれば北の国に対する牽制にもなり、北の国が後妻を押しつけてくるのも防げる。見返りとして隣国には鉄の価格を下げさせ、安定した供給も求められるだろう。

 外交的には利点しかない話なのだ。……そのために犠牲になるのが、幼い我が子でさえなければ。



「ご子息の王子殿下ではいけないのですか?」

「すでに婚約者がいる。聖国の王女だ」



 聖地を抱くかの地の王女との婚約を、破棄できるわけがない。それでもと、妻は食い下がる。



「娘より年長のご令嬢にも王家の血を引く方はいらっしゃるはず。その方に代わって頂くわけにはいきませんか?」

「……厳しいと言わざるを得ない。もっとも王家の血を濃く引くのは我が家だ。娘より血の薄い令嬢を代わりに、などと言い出せば猛烈な反発を食らう可能性が高い」



 王妃の兄という理由で宰相に抜擢され、宮廷の中枢にいるデルフィーノを疎む貴族は多い。娘可愛さに他人の子を身代わりにするのかと、ここぞとばかりに突き上げてくるだろう。



「王妃殿下は? ……あの方なら、陛下を説得して下さるのでは?」



 どうにかして娘を守ろうとする妻を見ていると、心臓が潰れてしまいそうになる。……妹もそうだった。必死に守ろうとしていた。けれどデルフィーノは最悪の形で踏みにじった。

 その報いを、受けようとしているのだ。



「……妃殿下は、政治にはいっさい口を挟まれない」

「ですが娘は妃殿下の姪で、王太子殿下の従妹なのですよ。娘が王太子殿下をお慕いしていると伝えれば、他のご令嬢を代わりに立てるよう陛下に進言して下さるのでは」



 だからこそ妹には絶対に頼めないのだとは言えない。おとぎ話の真実を知らない妻には、決して。



 ……そう、どうして打ち明けられるだろう? 家では良き夫、良き父である自分がかつて妹の大切な存在を奪い、その傷も癒えぬうちに好きでもない男に嫁がせたなんて。



 別の令嬢を身代わりにして欲しいと頼めば、妹は嘲笑するだろう。



『わたくし、お兄様と同じことをしただけですわ』



 娘を隣国の王の妃に推薦したのは、間違いなく妹だ。だからこの縁談は何があってもくつがえらない。そう遠くないうちに娘は美々しく飾り立てられた馬車に乗せられ、好きでもない男のもとに嫁ぐ。



『いつか必ず同じ苦痛を味わわせる』



 その時が、とうとう訪れたのだ。


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