四章
中間テストが終わった週末の土曜日。
昨日の金曜日は、普段通り、瑠璃は学校に来なかった。
今日も僕は、これといった用事もないため、瑠璃の家に向かった。
昨日は瑠璃の家に行かなかったため、木曜日ぶりだ。
まあ、一日ぶりぐらいの話なら、対したことではないのだが。
瑠璃の家に着いてインターホンを押すと、いつも通り瑠璃が出迎えてくれる。
「お、来たね真言!」
「おう。」
いつも通り、僕が門を潜って家に上がろうとすると、今日に限って瑠璃が止めてくる。
「ちょっと待った!真言、これから一緒に海行くよ!」
「は?」
突然のことに頭が停止する。なぜ突然、そんな話になったんだ?
「何で急に?」
「なぜってそれは、私が海に行きたいからだけど?」
「それはそうだろうけど、そうじゃなくて、突然そう思った理由を聞いているんだよ。」
「思い立ったが吉日!さあ、行くぞー!」
「いや、話聞け!」
瑠璃の方は仕度が整っているようで、家の鍵だけはちゃんとかけると、すぐに家を飛び出していった。
僕は、ついて行かざるをえなかった。
- 約2時間後
そんな感じで、気付いたときにはもう、片瀬江ノ島駅に着いていた。
駅を出て少し歩くと、すぐに江ノ島が見える。
海水浴シーズンはまだ先だから、片瀬海岸の方の人影はまばらだが、江ノ島へと続く弁天橋は観光客で賑わっている。
「真言、海だよ!早く行こ!」
瑠璃は僕にそう声をかけると、返事も聞かず、待ちきれないといった感じで、海岸へと走っていった。
僕はというと、なぜ来てしまったのかと呆然としていたのだが、ボーっと突っ立っていても仕方ないので、少し遅れて瑠璃の後を追った。
ここに来るまでの電車の中で、なぜ突然、海に行く気になったのか、聞いてみたのだが、何となく、気分転換のため、とかいう曖昧な答えしか聞くことはできなかった。
駅から海への道のりは、少し距離があったが、急ぎ足で真っ直ぐ海へ向かえば、5分ぐらいで砂浜にたどり着く。
実際に目の前に海が広がる景色を目の当たりにすると、さっきまでの憂鬱な気持ちはどこへやら、意外にも気分は高揚していた。
海はどこまでも続いており、遠くには水平線が見える。
さざ波の音は、想像していたよりも大きく、辺りの環境音をかき消してしまう。
昔、両親に連れられて海に来たことがあったと思うが、いつのことだっただろうか?
当時は、海を壮大に感じるような感性は無く、ただ楽しく思っていただけだった。
海の壮大さに心揺さぶられるような感性を持つようになったのは、いつ頃からだろうか・・・。
それは純粋に心が成長したから?
もしくは、疲弊によって老いたから・・・?
高校生の身で老いているなんて考えるのも馬鹿馬鹿しいので、ここはポジティブに心が成長したと思っておいた方が良さそうだ。
僕がそんな物思いに耽っていると、波打ち際で裸足になってはしゃぐ瑠璃の姿が目に入る。
キャー、冷たーとかいう楽しそうな叫び声が、少し離れたこちらにも聞こえてくる。
五月下旬ともなれば、夏日となる日もあり、気温はまあまあ高いが、海の温度が上がるのは暫く先だ。
僕も裸足になって海に入りたい思いに駆られるが、足が濡れた後が面倒そうだから、やめておいた。
ちなみに、瑠璃が持ってきていた荷物は、水がかからないように瑠璃から少し離れた場所においてあった。
少し意外な気もするが、準備はしっかりしていたようで、荷物の下にはちゃんとビニールシートが敷いてあった。
少しの間、瑠璃一人ではしゃいでいたかと思ったら、少しすると、満足気に瑠璃が自分の荷物の下へ引き返して行く。
流石に海の水はまだ冷たかったのだろう。
ボーっと突っ立っていてもどうしようもないため、瑠璃が座り込んでいる所へ歩いていくと、僕は瑠璃に声をかける。
「満足したか?」
「来たばっかりで満足とか早すぎでしょ。あと、まだ冷たいから泳げそうにないなー。」
「そりゃそうだ。」
僕はそう言いながら瑠璃の隣に座る。
「あーあ、早く泳げる時期にならないかなー。」
そういうと瑠璃はブルーシートの上に寝転がった。
「こんなところで寝るのか?」
「寝転がって目瞑ってるだけだよ。」
特にやることもないので、僕も瑠璃と同じ様に横になる。
目を瞑っても聞こえてくる波の音が心地よい。
よく、さざ波の音にはヒーリング効果があると言われるが、こうやって海を目の前に寝転がって聞くさざ波の音は、確かに荒んだ心を癒してくれるように感じる。
僕もつい、そのさざ波の音に身を委ねてしまう。
ふと目が覚める。
どうやら、しばらく寝てしまっていたようだ。
どのくらい時間が経っただろうか?
時刻を確認したところ、30分ぐらいは経っていた。
隣を見ると瑠璃も寝てしまっている。
「瑠璃ー、起きろー。」
「うーん・・・?」
意識がはっきりとしない様子の返事をしてくる。
「風邪ひくぞー。」
「うーん・・・大丈夫だよー・・・。」
「そう言いながら、お前寝てただろ。」
僕も人のこと言えないが。
「うーん・・・だから、大丈夫だって。」
意識がはっきりしてきたようで、瑠璃は反動をつけて体を起こす。
「目は覚めたか?」
「どのぐらい寝てた?」
僕の質問には答えず、自分の質問を優先する。
「30分ぐらいは寝てたんじゃないか?」
「そっか。」
立ち上がる瑠璃。
「ちょっと歩く。真言も来るでしょ?」
「その言い方、ほぼ確定なんだよな・・・。まあ、行くけど。」
瑠璃は荷物を簡単に片付けると、リュックを背負いだして歩き出す。
その背中を追って歩き出す僕。特に話す話題も無いが、思いついた質問をする。
「気分転換はできたか?」
「うん、まあまあね。真言も、気分転換になった?」
「うん、意外とね。」
取り留めない話をしながら歩く僕ら。
先程までいた弁天橋付近から、海岸の東端まで歩くとなると、しばらくかかりそうだ。
せっかくなので、電車の中ではできなかった質問を投げかける。
「今日、海に来たのは、その、悩みでも何かあるのか?」
この質問を聞いて、瑠璃は一瞬、迷ったように間をつくる。
だが、結局は話す気になったようで、僕の質問に対しての答えを返してくる。
「うーん・・・、この間、テストがあった日の放課後、私、呼び出されたじゃん。その時にさー・・・。」
一度は口を開いたが、再度閉ざされてしまう。
言いづらそうに、言い淀む瑠璃。
瑠璃本人が話す気になるまで、辛抱強く待つ。
強引に聞き出そうとして、聞き出せるようなものでもないだろう。
話の内容について、僕が想像できる範囲としては、不登校についてのフォローがあったとかぐらいしか思いつかない。
少なくとも、瑠璃の成績を考えれば、進級できないとか、留年とかの話にはならないはずだ。
「何か先生がさ、留学してみないか?みたいな話をしてきてさー。」
瑠璃の言葉を聞いて思考が硬直する。瑠璃が留学?
「何で突然?瑠璃から言い出したのか?」
「全然?私はそんな気、微塵もなかったし。けどなんか、学長がきっかけらしくって・・・。」
「学長が?」
それを聞いて思い出す。確か、瑠璃の父親と高校の学長が昔馴染みの知り合いだったとか。
瑠璃が今の高校へ入学するきっかけの一つにそれがあったみたいなことを聞いたことがあった気がする。
「それが悩みでねー。真言は、どうしたらいいと思う?」
言いづらそうにしていた割に、あっさりとした態度で聞いてくる瑠璃。
今の僕には、その質問に対しての本心の答えがない。
僕個人の返答を言えば、今まで通り瑠璃の家に行って一緒にゲームができる、そんな関係や環境が変わらない方が良い。
でもそれは、僕個人の意見でしかない。瑠璃個人のことを考えれば、環境の変化によって楽しい学生生活とやらを送ることができるかもしれない。
それらを踏まえた上で僕は返答をする。
「僕としては、簡単に一緒に遊べる時間が減るから、行って欲しくないとは思うけど、でも、瑠璃が行きたいと思うなら、反対しないし、むしろ応援するよ。」
「ふーん、そっか。」
瑠璃の返事は随分と素っ気ないものだった。
僕の返事を聞いても、特に何かを決意した様子はなく、それこそ、悩みなど無いかのような態度だった。
どう答えるのが正解だったのだろうか?
行ってほしくないと、今みたいにどうでもいい日常を一緒に過ごしていたいと、ストレートにいうべきだったか?
それとも始めから、僕個人の意思を隠して、行ってみたらいいんじゃないか?その方が楽しいかもしれない、とか、ポジティブなことを言ったほうが良かっただろうか?
言ってしまった後になって、頭の中でぐるぐると考えてしまう。
その後はしばらく、無言のまま歩き続ける二人。
こちらから話を振ることもないし、瑠璃から話が振られることもない。
先程までの会話の後では、他の新しい話題など思いつくこともない。
あれだけ遠いと感じていた海岸の端が目前に迫っていた。
間もなくして、その海岸の端に到着してしまう。
「端まで来ちゃったね。どうする?鎌倉高校前駅まで行く?」
「いや、僕はいいかな。瑠璃は?」
「私もいいかなー。結構歩けたし、もっと歩きたいとかもないから。」
「じゃあ、江ノ島にでも行くか?せっかくここまで来たんだし。」
「江ノ島かー。私、人が多いところは苦手ー。真言は行きたい?」
「それに関しては、僕も苦手だな・・・。」
「そっか。じゃあ帰る?」
「そうするか。」
そう言うと、僕らは来た道を引き返す。
歩き始めるとすぐ、話の話題が思いついたので、瑠璃に振ってみる。
「留学したとしてさ、瑠璃は何か、やってみたいこととかないのか?」
先程まで、ネガティブなイメージに縛られてしまっていたが、何も悪いことばかりでもないだろう。
むしろ、ポジティブに考えられる要素とかはないだろうか?
「やってみたいこと?そうだなあ。留学するっていうなら、せっかくなら、海外でしかできないこととか、やってみたいかな。」
「海外でしかできないことか。例えば何かあるか?」
「銃を撃ってみるとか?」
そう言って瑠璃は、手を銃に見せかける。
「一番に思いつく、やってみたいことがそれかよ・・・」
「でも、銃を撃つだけじゃつまらなさそうだなぁ・・・。銀行強盗になって、警察との逃走劇を繰り広げるとか・・・」
「いやそれ、グラセフの話だろ!海外に行ったとしても犯罪だわ!次元を越えようとするな!」
「えー、そっかー、じゃあ、何かあるかなー・・・。」
「いや、もっとあるだろ。例えば、まあ、これだと観光だけど、観光名所に行ってみるとか。」
「えー、そこ絶対に人多いでしょー。嫌だなー・・・、行きたくないなー・・・」
「まあ、確かにそれはそうだな。江ノ島もそうだし・・・」
「うーん、あえて何かやることがあるとすれば、海外の有名IT企業に直接行って仕事してみたいとか?」
「お、いいじゃん、まあ、そこまで行くと就職とかいう話になるけど、確かに、日本にいたら難しいことだろうし、それに、瑠璃にならできそうだ。」
「でも、それだと有名企業で仕事すること自体が目的になってるから、やりたいこととして考えるとズレてるなー・・・。もっと何か明確に作るとかかな?」
「作るってなると、パソコンとか、スマホとかをか?」
「いや、それは流石にやりたいことからすると、外れ過ぎな気がする・・・。作るなら、例えば、ゲームとかかな?」
「なるほど、ゲームか。確かに、瑠璃ぐらいゲーム好きなら楽しいかもな。まあ、ゲーム作るとかなら、留学とかじゃなくてもできそうではあるけど。」
「確かにそうだねー。それなら国内で良いよね。何だったら、真言と一緒に作る?」
その問いかけに少し、ドキリとする。確かに、その提案は魅力的に思えた。
けど、素直に首を縦にふることはできなかった。
「え、い、いやぁ、僕にそれだけのセンスはないだろうから・・・。」
「えー、いいじゃん、センスなんか無くても、思いつきで行動すればさ。まあ、センスなんて話をしだしたら、それこそ、私にも何か作り出せるようなセンスは無いと思うし。」
そういうと、瑠璃は立ち止まって海に向き直り、話を続ける。
「こう、何かさ、インスピレーションみたいなものが欲しいわけよ。何か作るのなら。目の前の海の広大さを表現するような。けど、私にはそれだけのものは、多分無いんだよ。」
それだけ言うと、瑠璃は無言で海を眺め続ける。
ふと僕も海に向き直る。
面と向かって海の広さを感じると、自分という人間がこの世界の小さい粒のような、些細な存在であることを思い知らされる。
遥か遠くを見据えても水平線が見えるだけで、その果てを見ることはできないし、知ることもできない。
せいぜい、ネットから得た情報で知ったようなつもりになるだけだ。
例えば、地球が丸いから、水平線より先を見ることができないとか。
けれども、そんな自分の小ささを知りながら、僕は確かにここに存在しているし、瑠璃もここに存在している。
存在し続けるからには、これからがあるわけだが、その、これからの未来で、悔いるような選択だけはしたくない。
今の悩みを、僕らはこれからも考え続けるのだろう。