Ⅳ-7 君のために
「リーディア、目が覚めた?」
懐かしい声がする。私は眠い目をこすりながら瞼をあげた。いつの間にか、彼にもたれて眠っていたらしい。
「お兄様‥‥ここは?」
お顔を見ると、まだ幼い天使のようなお兄様が微笑んでいた。
「ここはカリス領の本邸で、リーディアの部屋だよ」
そう教えられ、室内を見渡す。子供用の可愛らしい装飾で彩られていた。何年も過ごしていたのだもの、よく覚えているわ。自分の小さな手を握ったり開いたりして考える。
「私‥‥試練を受けていたと思うんだけど」
「うん、そうだね」
暖炉の前、ふかふかのラグの上で話していた私はお兄様に招かれ、足の間に座り直した。
後ろから腕が回る。
「ここは、君の心の中だよ。カリス領での暮らしが楽しかったみたいだね」
そうね、お兄様と二人きりの世界に閉じこもっているのは、とても幸せだったわ。
「それで、試練はどうなったの?」
尋ねたら、お兄様がぎゅっと私を抱きしめた。ああ‥‥本当に駄目だったのね?
「失敗したのね、ごめんなさい」
「失敗ではないよ。結果、炎の精霊王は君の自己犠牲によって怒りを解いたんだ‥‥ただ、君は戻って来なかった」
「そう」
では、この状態はどう言うことだろう?‥‥しばらく黙っていると、耳元で幼いお兄様の声がする。
「でもそれは、一回目の話」
「一回目?」
すぐ近くにある彼の横顔を見る。暖炉の柔らかな明かりを受けて、瞳が輝いていた。
「君を失って自暴自棄になっていた僕に、教えて下さった方がいてね‥‥“あなたは来世で精霊王に生まれ変わるから、まだ望みはあるよ”と」
「どなたが?」
尋ねても、答えはなかった。
「それで、水の精霊王に転生した僕は、すぐにこの世界を司る唯一神に謁見申し上げて、君の延命を懇願したんだ」
えっと、初回で私を失った人間のお兄様が、精霊王に転生した後、唯一神に会いに行って炎の試練で絶命した私を助けたいとお願いしたと言うことね?
「それで、どうなったの?」
お兄様がこちらを向いた。にこりと笑う。
「条件付きでお許しが出たよ。ちなみに、水の精霊界は僕が不在でも大丈夫にしてあるからね」
お兄様だもの、配慮はしてある筈よね。お話の続きが聞きたくて尋ねる。
「その条件って?」
「直接生き返らせる訳ではなく、精霊王のまま僕だけが過去に戻ること。そこで唯一神が出した課題をクリアすること。他にも制約があったけど、君自身に関するものでは一つだけ‥‥“今回の生では、いかなる状況であっても、水の乙女は水の使者に助力を求めないこと”‥‥初回の水の試練では、使者は現れなかったんだよ」
「そうなの? ではなぜ使者様は今回側に居て下さったのかしら」
「僕がそこまで執着する乙女を、近くで見てみたかったんだって」
「水の精霊が?」
「ううん、唯一神が」
「え?」
怖くて聞けないわ。とりあえず聞かなかった事にしよう。
「えっと、じゃあ私はどうなるのかしら?」
「課題をクリアできたから、君の寿命は繋がったよ。唯一神も認めて下さった」
「と言うことは、この先も公爵子息のディラン様と一緒に居られるのね?」
「うん、そうだよ」
「良かった‥‥」
安堵の息を吐く。
と言うか、それじゃあ今ここに居るお兄様は、精霊王に転生したお兄様なのね?
「精霊王のお兄様も、ずっと見守って下さっていたの?」
「うん、最初の試練の時からね。直接手助けすることは禁止されていたから、あまり力になれなくてごめん‥‥ちなみに、夏休みにペンタクルス領で会ったのは、僕の方だよ」
「えっ、そうなのね! じゃあ、初回で来世は精霊王だって教えて下さったのも、転生したお兄様?」
「ううん、違うよ」
難しいわ。とりあえず、助かったのなら良しとしようかしら。
「精霊王になったお兄様が見たいわ」
そうお願いしたら、あの海岸で見た壮麗で優美な青年が微笑んでいた。私も17歳のリーディアに戻っている。
「これでいい?」
「ええ‥‥お兄様は、精霊王になっても素敵ね。水の古代魔法をありがとう」
「うん、今世の水の精霊王の許可も得ているから大丈夫だよ‥‥でも、僕が手を貸す前に、周りの能力者が進んで君を助けていたし、他はあまりしてあげられる事がなかったかな」
お兄様は苦笑している。そんな彼にそっと寄りかかって語りかけた。
「私は、お兄様が側に居て下さることが一番嬉しいの。それに、そもそもお兄様が行動を起こして下さらなかったら、私はここで終わっていたのよ? 感謝しているわ」
「ふふ、ありがとう」
彼の繊細な指が私の頬を撫でた。しばらく見つめ合う。
あら、でも同時期に水の精霊王が二人存在するのもおかしくないかしら。
「では、この精霊王のお兄様はどうなるの? 目的は果たされたのよね?」
「僕は、あるべき場所に還るよ。そう言う約束だったから‥‥そろそろお別れかな」
「え‥‥」
それって私が助かる代わりに、この精霊王のお兄様がいなくなるって意味なの?‥‥尋ねようとして口を開いたら、キスされてしまった。
やがて顔を離したお兄様は、穏やかに微笑む。
「やっと君を助けることができて嬉しいな。人間の僕は、君が危険な時は、ほとんど側に居られなかったから」
窓の外は雪が降っていて、世界に二人きりでいるような、この空間が好きだった。
「さあ、ディランの元へお帰り。悲しみで闇落ちしそうになっているから」
「‥‥お兄様、ありがとう。大好きよ」
「うん」
涙が出そうになったけれど、泣かなかった。お兄様は私が試練に挑むことを、最後は認めて下さった。今度は私の番だわ‥‥泣く代わりに微笑む。
「ディラン様のこと、幸せにするわ。また会いましょう?」
「うん」
麗しいお顔が近付き、再び唇に触れるだけのキスをした。
「愛してるよ、リーディア」
抱きしめられて、腕の中で目を閉じる。




