III-25 その後
夕方、着替えを済ませて温室で待っていると、使者様が人間の姿で現れた。私はお辞儀をする。
「使者様、この度はありがとうございました。おかげさまで無事に戻る事ができました」
「おや、何のお話でしょう?」
顔を上げると、穏やかに微笑んだ使者様に座るよう促される。そう言うスタンスで行くのですね、かしこまりました。
席に着いて、一緒にお茶をいただく。どうしてずっと猫の姿だったのか聞きたかったけれど、この事件に関しては話せそうにないわ。
ガラス張りの空を見上げる。既に茜色から夜の藍色に変わろうとしていた。
静かで暖かい室内から眺めていると、修道院での出来事が夢のように思える。
だけど、今考えると、私も身体を乗っ取られただけでなく、刺客にも狙われていたのだわ‥‥外部と連絡を取ることばかり考えていたけれど、今ほど魔法も使えない身体で外へ出たら、刺客に囲まれて終わりだったかもしれない。
鳥肌が立って来た。もう解決した事件とは言え、無かった事にはできない。
「乙女、大丈夫ですか?」
気づくとテーブルの上で冷たくなった拳を握りしめていて、その上にそっと使者様の白い手が重なった。
「少し、思い出してしまって‥‥もう大丈夫です」
笑顔を作る。使者様も金の瞳を細めた。
「わたくしは、乙女が努力している姿を、いつも見ていますよ」
「はい」
触れた手が温かく、緊張が取れてくる。そうだわ、怖がるよりも、この先のために何ができるか考えよう。
今日はお兄様も邸に居たので、その後はずっと一緒に過ごした。
いつも寝室に入るまでは別行動なのだけれど、久しぶりに会えた今は離れがたく、メイジーとレオも気を利かせて早めに帰宅していた。
侍女のアルマも、詳しい事情は知らないながらも、最近私の様子がおかしかったり、お兄様が王宮に連泊していたことから何かを察してくれたようで、部屋を整え、私の着替えが終わるとすぐに下がって行った。
二人で寝室のソファーに座る。お兄様の肩にもたれかかると、頬にキスされた。
「修道院は、とても寒かったわ。シスター達は毎日あのような慎ましい生活をしているのね」
「あそこは山のふもとだからね‥‥そもそも修道院自体が都市部から離れた場所にあるから、僕達から見て寒いとか不便な生活が修行の一環なんじゃないかな? 寄付金は十分ある筈だから、防寒に使おうと思えば予算を組めると思うよ」
自然に近い=神に近いって考えなのね。確かに、自然が多いあの修道院の辺りには精霊が住んでいそうだったわ。
「でも、ご高齢のシスターも結構いらしたのよ。寒さは体に堪えると思うから、防寒具を寄付しようかしら?」
「そうだね、君がそう思うなら、喜ばれるんじゃないかな」
「ディラン様、良かったら一緒に訪問しない?」
「男性が入ってもいいのかな?」
「出入りの業者さんも男性の方がいらっしゃるし、客室までなら大丈夫よ」
「そうなんだ‥‥じゃあ、スケジュールの調整をするよ」
「ありがとう、ディラン様」
シスター達、喜ぶだろうなぁ‥‥お兄様の噂話もしていたものね。想像すると楽しい。
「ところで、身体は大丈夫?」
お兄様に尋ねられ、改めて腕を上げ、伸びをしてみる。どこも痛くないし、午前中は寝ていたからそんなに疲れてもいないわ。立ち上がって一回転してみせる。
「大丈夫みたい」
笑顔で告げると、お兄様が少し笑って両手を広げたので、その腕に収まった。
「明日、学園に行ったら誤解を解かないと」
確か入れ替わっている時はルイス様にべったりだったらしいし‥‥また変な噂になっているんだろうなぁ。
「リーディアは明日も休みになってるよ」
「え、そうなの?」
「うん、学園長の許可は得ているからね」
「それじゃあ、ディラン様は?」
「僕も王宮でずっと仕事をしていたから、明日も休んでいいって」
そうなのね、息を吐いて彼の体にぎゅっと抱きつく。久しぶりに会えたから、甘えたい。
彼の名を呼んで体をぴったりくっ付けていると、頭を撫でられた。
「リーディア、明日は何をしたい? 僕も付き合うよ」
そう問われ、邸でのんびりしたいわと思いつつ、
「そうだわ、午後から花壇のお手入れをしようかしら」
ここ数日は放置されているだろうから、様子を見に行きたい。ローズマリーやパンジーやアリッサム、プリムラ、葉牡丹等が咲いている筈だ。それらを眺めて癒されたい。
「うん、ではそうしよう」
「年明けにカミラ様が帰郷されるのよね、それを楽しみに頑張るわ」
お話ししたい事が沢山ある。
「ふふ、君は本当にあの方が好きだよね」
その言葉に顔を上げると、お兄様は笑っていた。
「もちろん、女性の友人とは別にしてディラン様を一番に愛しているわ」
「うん、知ってる」
私を抱きしめる腕に、ぎゅっと力が入る。
「愛してるよ、リーディア」
耳元で囁かれ、唇が触れる。
その夜は、ディラン様にいっぱい愛してもらった。




