II-24 魔界の事情
エストリアの皇太子殿下が帰国されて、秋も深まり、11月に入った頃だった。
私はカミラ様と並んで神学の授業を受けていた。
「神官の仕事には、精霊信仰を正しく布教、発展させると共に、人々と精霊神のご縁を結ぶと言う、重要な役割があります」
メモを取りながら、ふと違和感に気付く。いつの間にか先生のお話が止まっており、隣を見れば、カミラ様がペンを持ったまま動かなくなっていた。
「カミラ様‥‥?」
話しかけても反応がなく、周囲を確認しようとした時だった。
「こんにちは、お嬢さん」
重く響くような声がした。すぐ側の通路に立っていたのは、牡牛、人間、牡羊の三つの頭を持った異形の生物だった。驚いたけれど、呼吸で気持ちを鎮めつつ観察する。精霊と言うよりも、血のような赤い瞳はエストリアで見た皇帝陛下の使い魔ベルを思わせる。
この方の目の前で神学の教科書を手に取る訳にもいかず、頭の中で必死に教科書の悪魔の項目を思い出した。
「初めまして、お会いできて光栄です‥‥アスモデウス様」
立ち上がり、腰を落として丁寧にお辞儀をした。悪魔は上機嫌になり、三つの顔に笑みを浮かべる。
「いえいえ、私に“様”は付けなくていいですよ。あの方にならい、アスモとでも呼んで下さい」
「かしこまりました、アスモさん」
「お嬢さんは、私がなぜここへ現れたのか疑問に思われているでしょうが‥‥さて何から話したものか」
話が長くなりそうなので、メモを取っていいか聞いたら『おや、良い心がけですね』と、また機嫌が良くなった。
アスモさんの話では、現在、魔界ではトップクラスの悪魔が不在のため規律が緩んでおり、その影響で、お金や貴金属が大好きな上級魔族が、トゥラス教強硬派の召喚に応えてしまったらしい。
具体的には、そう遠くない未来にアルカナの国境にある“悪魔の深淵”から、その上級魔族の配下の悪魔が現れてアルカナを攻撃する計画が締結されたそうだ。
ただ、どの程度の悪魔を動員できるかは、強硬派が用意する金額に比例するため、まだ分からないと言うことだった。
「私の上司がひどくお怒りでしてね、基本的に人間の国家間の争いには、我々上級以上の悪魔は関与しない取り決めなのですよ。エストリアは例外ですが」
アスモさんは、大げさに溜息をついた。
「それで、私がこの夏から何度か上司に呼び出されておりましてね‥‥ああ、私は“情欲と嫉妬の悪魔”なので、私の近くにいると人間は多少影響を受けるかもしれませんね。ご注意を」
「あの、なぜ私に話して下さるのですか?」
尋ねたら、三つの顔が悦びを隠しきれない表情になった。
「それはもちろん、この国の人間の中ですと、お嬢さんに話すのが一番楽しくなりそうだからに決まっています。あなたは凡人ですが、周りには面白いものが集まっていますので‥‥ああ、私がお嬢さんに会ったのは、私個人の意思ですよ、念の為‥‥そしてどうぞ、そのメモの内容を皆様にお伝え下さい。それでは、また」
いきなり世界が動き出す。アスモさんの姿はなく、先生の声が授業を続けていた。その背中を見ながらさりげなく席に着く。
メイジーにお願いしてお祖父様とお兄様に連絡を取り、カミラ様、ルイス様と共に用務員室に集合していただくようにした。




