第2話 AIドローンすずらん
登場人物
・富士つばめ…転校生
スーパーで買い物を済ませたつばめは『朝風興信所』という看板のかけられた建物の前に立った。
傘を閉じ傘に付いた雨粒を振り落とし、建物の前でどんよりとした空を眺めながら遠くの空を眺めている。
暫くするとブーンという低いローターの音が降りしきる雨の中から微かに聞こえてくる。
ローター音は徐々に大きくなり、荷物用の段ボールくらいある大きな物体がこちらに向かって飛んでくる。
その飛行物体――大きなドローンはつばめの足元に静かに着陸。
その風圧でつばめの制服のスカートがふわっと膨らんだ。
「酷い雨デスネ。天気予測ではここまでの雨ではないはずだったのデスが」
大きなドローン――『すずらん』は、船を逆さにしたような体からぽたぽたと雫を垂らしている。
機体の下部の四隅から小さなソリのようなものが出て、機体が直接濡れた地面に接しないようにしている。
完全に防水処理されてるのに何で雨を気にしてるのやら。
つばめは鞄からタオルを取り出し、すずらんから滴る雫を拭き取ってあげた。
すずらんは拭かれているのが嬉しいらしく、機体に付いた黄色のLEDをリズム良く点滅させている。
「この辺は雨の中に海水が混ざりますからネ。放っておくと風邪をひいてしまいマス」
素直に錆びると言え。
つばめはそう思ったのだが、機械相手に文句を言ってもしょうがないと感じ、苦笑いを浮かべ興信所の扉を開けた。
すずらんは再びローター音をさせると、ふわりと浮かび上がり興信所へと入って行った。
興信所の中では男性が二名椅子に腰かけている。
奥の机に背の高い中年の男性、手前の壁側の作業机に若い細い男性。
つばめが扉を閉めると、すずらんは、つばめより先にただいまと言って若い男性の元へと飛んで行った。
作業机の上の充電器に体を休めるとLEDを桃色に変えふわっふわっと点灯させている。
若い男性は、すずらんにおかえりと声をかけ、タオルで優しく機体を撫でるように拭いた。
つばめがただいま帰りましたと言うと、奥の中年男性がおかえりと言って微笑んだ。
だが手前の男性はパソコンに向かって何か作業を始めており、こちらに背を向け見向きもしない。
夕飯をリクエストしておきながらこの態度。
どうかと思うなあ。
苛っときたつばめは、手前の男性――『因幡大宣』の耳を引っ張り、無理やり自分の方を向かせた。
「大宣くん、た、だ、い、ま」
大宣は面倒そうにおかえりと言うと、つばめの顔を一瞥し露骨な作り笑いをして、また背を向けてしまった。
つばめは大宣の態度に露骨に不機嫌な顔をし後頭部を指で突くと、奥の中年男性――『朝風北斗』の元へと向かった。
「ご苦労だったね。久々の学生生活は疲れただろ」
北斗がパソコンから視線を上げ、慈愛の目でつばめを見つめる。
低く渋い声がつばめの疲れた心に心地よく染み渡る。
確かに大変は大変だった。
だけど、何だか学生時代に戻れたような気もして少し楽しくもあった。
何より転校生というだけでちやほやされるのが良い。
北斗は作業の手を止めると椅子から立ち上がり、つばめの前に立った。
つばめは女性としても背は低めなのだが、それを差し引いても北斗の背は高く、つばめの背は北斗の胸の下くらいまでしかない。
この年代の男性としては筋肉質で、ぜい肉も少ない。
かなりがっちりした体形である。
北斗はつばめの肩に手を置くとつばめの瞳をじっと見つめ、くれぐれも無理だけはしないようにと優しく言った。
「はい、大丈夫です。私、そんな度胸ある方じゃありませんから」
つばめは、頬と耳を赤く染め、照れて俯きながら、手をもじもじさせた。
その姿を横目で見ていた大宣が、すずらんがいるから大丈夫でしょと呟いた。
四六時中監視していますから大丈夫とすずらんも言いだした。
そうは言っても、すずらんだって万能というわけではない。
全てを監視できるわけでも無いし、センサーで感知したものを危険だと判断できるわけでは無い。
危険はある。
北斗はそう心配した。
「北斗さん。私、絶対にお仕事成功させてみせますから!」
つばめは北斗の顔を見上げるように見て、にこりと微笑んだ。
そんなつばめの顔を北斗は不安そうに無言で見つめる。
その視線が徐々に恥ずかしくなり直視できなくなったつばめは、くるりと北斗に背を向けた。
着替えたら晩御飯の支度しますねと言うと、つばめは逃げ出すように事務室奥から自分の部屋へと向かった。
着替えを終えたつばめは、編んでいた髪をほどき櫛でとかし、リボンで後ろに縛った。
ベッドに寝ころび、先ほどの北斗の言葉を脳内で数回再生した。
緩いTシャツに膝上の長さのキュロット姿のつばめは、枕に火照った顔を押し付けて足をパタパタさせる。
だが、ふいに不安が頭を過ったらしい。
足のぱたつきを止めると、ごろんと体を回転させ天井を見つめた。
「成功させますは良いけど、どうしたら良いんだろう……」
実は今回の仕事は、つばめにとって初の一人仕事である。
もちろん仕事の基本くらいは知っている。
じっくり時間をかけて情報収取。
その為には信頼できる情報元を吟味すること。
できる事なら複数の情報筋から情報を得ることが望ましい。
この辺りは北斗の仕事を横で見て来て学んできた事である。
問題は自分にそれができるのかどうか。
そもそも学生時代、つばめは友人と呼べる人物がおよそ数えるくらいしかいなかった。
そんな人付き合いの苦手なつばめに、どうやって情報を得られるほどの友人付き合いができるというのか。
それも極めて短期間で。
それを考えると舞い上がった気分は急転直下沈み込んでしまった。
……夕飯でも作るか。
つばめは考えるのを諦め台所へと向かった。
お米を洗い、大宣のところに向かう。
大宣はパソコンに何やら打ち込み、充電中のすずらんに向かって何やら話しかけている。
すずらんは何も言わずただ桃色のLEDを点滅させている。
「大宣くん。この万年筆って毎日返した方が良いの?」
今日一日胸ポケットに入れていた万年筆を大宣に手渡した。
「万年筆じゃなく、すずらんとのコミュニケーション端末ね。恐らく丸二日くらいなら充電しないでも大丈夫だと思うよ」
大宣の作業机を見渡しても、コミュニケーション端末とやらの充電器が見当たらない。
そもそもこの万年筆には何かしらコードを挿すようなコネクターが付いていない。
大宣はつばめに顔を一切向けず、ここと、すずらんの充電台の窪みを指差した。
つばめがその窪みに万年筆を差し込むと、大宣は、ワイヤレス充電なので穴は飾りで、近くに置くだけでも充電できると解説してくれた。
「便利な世の中になったものだね」
つばめの感想を聞くと大宣は作業の手を止め、つばめの顔をちらりと見た。
「……おばちゃんくさっ」
大宣はつばめに聞こえるか聞こえないかの小声でボソッと呟いた。
だがそういう呟きほど良く聞こえるものである。
つばめは大宣の肩を肘で小突いた。
「私の体はとてもデリケートなんデス。なのに私を扱う時のつばめさんは、いつもがさつでしてネ。まさに情報で得ている中年女性のそれデス」
すずらんは機体のLEDを黄色にして左右に点灯させている。
こんな機械なんかに馬鹿にされた!
つばめはすぐにそう感じ憤った。
「壊れてるみたいだから、ちょっと叩いてみよう!」
つばめが右手を振り上げると、大宣が慌てて椅子から立ち上がりすずらんを庇った。
電子機器が叩いて治ると思ってるとか、どんだけ頭が古いんだと大宣は笑い出した。
大抵のものは叩けば治ると大きめの胸を張ると、大宣は、顔から笑みを消しつばめを指差し壊れるだけだと冷静に指摘した。
大宣は北斗よりも若干背が低い。
だが北斗が長身というだけで大宣もそれなりに背は高い。
そのせいで指を差されると背の低いつばめはかなり威圧感を感じる。
大昔の電子機器は『はんだ』の質が悪かったりして、叩くと一時的に接触不良が治る事はあったらしい。
だが今の電子機器は乱暴に扱えば半導体があっという間にダメになる。
大昔の電子機器のように今の電子機器は構造が単純じゃないんだよと大宣は力説した。
「そもそも大昔の電子機器だって、大抵は叩けば余計に壊れただけだったらしいよ」
つばめと大宣の会話にすずらんが割って入り、今度つばめさんが病気したら叩いて治るか試してみましょうと言い出した。
先ほどからすずらんの機体は、黄色のLEDが左右に点滅している。
どうやらつばめたちの会話が楽しいらしい。
大宣の言う説明は、いまいちよくわからないけど、なるほど、すずらんの言う理屈はわからないでもないかな。
機械に負ける大宣の頭脳って一体……
「そうね。さっきのは私が悪かった。でも、すずらん! あなたもちょっと口が過ぎるんじゃないの?」
すずらんは反省したようで、無言で水色のLEDを点滅させた。
実に悔しいことだけど今回の仕事はこの生意気なすずらんがいなくてはどうにもならない。
学校での情報収取も基本的にはすずらんが学校のPCをハッキングして行っている。
さらには、つばめの万年筆に付けられた小型カメラや数多のセンサーによって学校内の監視も行っている。
つばめの転入試験でも、この万年筆で読み取った問題をすずらんが解き回答をテスト用紙に映してもらった。
つばめはそれをそのまま書いただけなのだ。
しかも、ご丁寧に全教科少しだけ微妙な間違いをしてくれている。
ただそんな万能AIのすずらんだが、情報収取、分析はできるものの、人間だけが持つ違和感や噂といった曖昧な情報を解する事ができない。
すずらんの収集した情報、そこにつばめの聞いた噂、および勘を合わせて最終的な捜査情報として精査していく。
その為につばめが学校に行っているのである。
「頼りにしてるよ。相棒」
つばめはすずらんをポンッと叩くと、夕飯を作りに台所へ向かった。
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