金刀比羅への道
金刀比羅に参りたい。その思いは遠出したいという欲求から出てきたものなのか、はたまた純粋なる信仰心から出てきた欲求なのか。私には皆目見当がつかぬ。されどその思いというのは胸の内で増殖したのである。ならば思いの正体を知らぬとも詣でようと思ったのである。
18きっぷを使うにあたって特急や新幹線は使えない。そうであるからには朝早く出発せねばならない。確か4:45頃に家を出発した気がする。早朝というのはとても心地よい。皆まだ眠っている。だから自分だけ起きているという特別感に陥ることのができるのである。そして最寄り駅に着いた。場所は宝塚駅ということにしておく。時刻は5:10をまわっていた気がするのである。朝の気配を楽しみながら電車を待つ。時間は5:15に電車が現れた。よくいる207系とかいうやつである。こいつは普通吹田行き。吹田というあまりよくわからない行き先を示している訳だがこいつに乗り尼崎に向かう。電車は今にも消えてしまいそうな薄い闇の中をひた走りいつの間にか尼崎に着いていた。時刻は覚えていないが次の乗車電まで30分ある。ちょくちょく普通が出発しているがどうせ乗車電に抜かされるであろうことを鑑みれば普通に乗ることは愚かであると言わざるを得ない。しかし尼崎に何があるかは分からない。そうであるために適当にふらつくなどという行為も愚かであると言わざるを得ない。駅のコンビニは未だ開店しておらず朝食を食べていない私としてはここで朝食を買いたかったが仕方ない。空を眺めると夜は更けて朝がやってきた。起きなければいけない絶望と朝を純粋に待ちわびる希望が空高く混ざっていたのである。
ホームに戻りスマホで囲碁をさしていると何時しか時間は6時をまわっていた。急いで列に並び待つこと数分。とうとう電車がやってきた。快速姫路行きである。快速で姫路に行ったことは一度だけあるのだがなかなかに時間がかかっていた気がするので嫌なものである。しかし18きっぷで乗り回している分際に偉そうなことを言う権利はない。そして快速に乗り姫路に向かった。しかしいくら18きっぷの分際であっても席に座れなかったことを悔やんでもいいとは思う。座席を確保できなかったことに悲しみを覚えながら列車は進み神戸駅になるころには廊下側ではあるが何とか座席に座れたのである。そしてとうとう須磨を出発すると須磨の浦が一面に広がっていた。六甲と瀬戸内の海がかなり近くになるためここまでして美しいものが見えるのだろう。一面の海に見惚れていると少し海が離れ垂水に着いた。駅の奥には小さな茂みがあるのだがその茂みは海神社のものである。神戸の方は意外と大きい神社もある。垂水を出て暫くするともう一度海が見える。ジッと窓を睨むものだからか窓側席の仕事が出来そうなおばさまというと失礼なものですからお姉さまが私に窓側席を譲ってくれたのだ。とてもうれしい限りである。その人にお礼を申し上げ遠慮なく窓側席に座る。そして車窓を睨むと対面には伊弉諾尊と伊弉冉尊が蛭子を捨てた後に正攻法で盛ってデキた島。日本初の島とも世界初の島とも古事記で書かれている淡路島である。昔ネットで「阿波に行くための路」ということで「淡路」となったという説を見たことがあるのだが神戸淡路鳴門自動車道が開通してからというもの淡路には何もないためか余計に路感が増えたわけだ。頭上には淡路を目実ともに道路に仕立て上げた張本人たる明石海峡大橋が堂々と横たわっていた。鳴門海峡の大鳴門橋は道路の下に鉄道を敷くスペースがあるのだが残念ながら明石海峡大橋には生憎そんなものはない。代わりに道路の下には淡路島のライフラインであるガス管や水道などが敷かれている。此奴のおかげで淡路島の島民は節水やらなんやらをせずに済むようになったのである。さらに最近パソナが進出してかなり発展しているらしい。むしろ行き先の阿波の方がレンコン畑しかないし沖縄を除いて唯一電車が走っていないという程のド田舎である。他方淡路島の方は確かに電車どころか鉄道すら走っていないけどレジャー施設が発展しているし由良のようにビーチや釣り場などが乱立しているのも淡路島である。このように行き先よりも発展してしまった道路なわけだがそこまで発展させた明石海峡大橋と瀬戸内の海というツーショットは人と自然の調和というようなものを感じさせ見ていて壮観である。明石海峡大橋を見ながらに電車は西へと進み明石に到着した。昔明石城を書いた気がするが明石城も所詮小さな城。姫路城以上は城と認めていない私にとってこの城は雑魚と言える。雑魚に用はない。明石城に見向きもせず私は出発した。向かうべきは琴平。金刀比羅への道はまだまだ遠い。またここから普通に格下げするので滅茶苦茶遅くなる。ただ旅はこの遅さがちょうどいい気もする。名も知れぬ田んぼを横切り進むと加古川に着いていた。加古川で隣の人が降りた。しかし直ぐに先ほどのお姉さまと代わりおばさまになった。ここで加古川を出ると加古川を渡る。そしてここから何やら大きな旅が始まるものと理解する。そしてその理解を胸に旅を続ける。そして着けば宝殿というところに来ていた。宝殿は生石神社の最寄り駅である。生石神社は石の宝殿がと呼ばれるご神体で有名なのだがこの石は竜山石と同じものである。そして竜山石は良質な石として名を得ている流紋岩質溶結凝灰岩で仁徳天皇陵の石室から姫路城の石垣、はたまた国会議事堂にも使われるほどに有名な石である。そして石の宝殿は多数の竜山石採石場とともに国の史跡として知られている。ここら辺には無残な姿になった山なんかも拝めるがその山こそが竜山である。
そしてもう少し走ると姫路に着いたのである。姫路での乗り換えは対面乗り換えとはいえ一分しか時間がないので少し気が滅入るものである。ただ急ぐこともなく対面の113系に乗れた。末期色と呼ばれる電車に乗車するとその電車は走り出した。神戸駅で山陽本線となったわけだが姫路から先神戸線とかいうよくわからない名前も消え完全完璧なる山陽本線となったのである。山陽本線は元々山陽鉄道という鉄道会社が作った私鉄なのだが神戸から馬関まで伸ばしたおかげで買収されたという歴史がある。元から鉄道省の路線でないことからか知らないが国鉄車両から更新されていないというハラスメントが行われてきたがそれもとうとうやめになりやっとこさ古くない新型車両が導入されることになったのである。因みに大阪よりも新型なのである。たまげたなぁ。さてそのハラスメント用に残されたのか分からないがこの老いぼれも出発するなり全速力で走り出した。大阪にも引けを取らないように思える。しかし車内はかなり揺れるのが難点だ。姫路を出ると郊外という風格を持つようになる。田んぼと住宅が混在している。完全に郊外である。そんな郊外という風格も少しずつ山間部という風格を持ち始め辺り一面山というような風景が見られるようになる。そこを国鉄仕立ての古い電車は走る。名も知れない川を渡り山の線路をひた走る。何時しか上郡に電車は止まっていた。上郡は一部の新快速の始点であり終点である。しかしここも一面山でありこんなところに新快速を走らせる意味はあるのかと思うほどの片田舎である。上郡を発車した。ここは何故だか駅間距離が長かった気がする。google mapを見るにそれほど離れていなかったのだがどうしてそう思ったのかは分からない。そう言えば私は山を越える区間というのが好きなようで山を越える区間というのはその山を越えると雰囲気がガラッと変わるのである。その変容に胸が躍るさまが好きなのだろうか。列車はその後とても偉そうに流れている吉井川という川としばしば並走した。その時中国道の失敗をごまかそうと建設された高速道路の山陽道が堂々と伸びていた。あたり一面の山に吉井川、そして吉井川にかかる山陽道。途轍もない壮大さが車窓越しから伝わってきた。その壮大に私は驚きスマホで写真を撮った。も少しカメラを早く買ってもらっていたらもっときれいに撮れたかもしれないがこれでも壮観なので良い。吉井川が離れ少し町の気配が車窓の外に広がり始める。それと同時に関西とは違う空気が外にはあった。そうこうしていると列車は瀬戸駅に到着した。特急に抜かされるための運転停車をするらしくそれで時間が取れるので外に出てその特急とやらを撮らんと決意した。外に出るとプラットホーム一つとっても山間部の駅という貫禄を持っていた。そしてディーゼルのにおいをこちらに届けながら特急は通過していった。特急いなば。昔鄙の山陰本線を救うために多額の資金をかけて開発された特急車両のキハ187を利用しており出そうと思ったら時速160kmを優に出すことができる化け物気動車である。しかし線路の構造や騒音などで全く生かせていない。まず平面の顔面で作る時点で少し笑えるものである。しかし山陰本線の状況は笑えなく毎年30億程の赤字を垂れ流す区間もあるという下手すれば廃線あり得るほどの路線である。そんな中にこんなお笑い種を作っている暇があるなら線形改良とかをすればいいのにと思ったが多分やっているし素人が口をはさむという行為はあまりいい行動ではない。それに山陰本線は関係ないからひとまず置いておこう。さてさてその化け物気動車は剛速球でホームを駆け抜けた。少し命にダイレクトアタックしてくるタイプの恐怖に打ち勝ち電車に偉そうに座る。そのうち電車は走り出した。岡山まではあと少し。岡山の空気でいっぱいの中姫路から来た電車は走る。因みにそのまま新見にも行くらしい。この瀬戸駅を過ぎると完全に岡山である。妙な田舎感というか岡山の郊外というものが出てきた。姫路で見たような光景であった。そして右手には山陽新幹線が聳えていた。四両のおじいちゃん車両の横を最新車両がまるで鷹のように走る。その様は何とも哀れである。そのような哀れな区間を過ぎると西川原・就実駅というあまりにも異質な名前の駅があった。その名前の由を調べると就実学園という学校の請願により作られたかららしい。そのような異質な駅を過ぎると旭川を渡り見れば岡山がいかに大都会であるかが分かる。本当にこれは大都会だ。ビルはあるし、新幹線もあるし、電車も来る。しっかりと大都会だ。恐らくは日本有数の大都市であることは想像に難くない。
そんな大都会岡山へと来た。時刻は9時を少し回ったころに思う。空は青々としており辺りの大都会という風格がある。改札を出てみどりの券売機に来てみる。そしてマリーンライナーの指定席を買おうとする。しかし窓側席が全て埋まっていたのだ。階下席を楽しみにしていたのだがこれでは面白くない。だからと言って自由席に行くのは結局どこでも乗れる席に座ることと同義である。つまらない席には乗りたくない。そこでグリーン席に乗ろうと思い坂出までのグリーン席と乗車券を購入した。(マリーンライナーのグリーン席は18きっぷを使うことができないのである)お値段は2140円ほどのように記憶している。交通費は琴電と指定席ぐらいしか考えていないものだから個人的にお値段が高くついたかのように思ってしまった。しかし18きっぷの分際が正規料金を高いとか思ってはいけないし、もとよりグリーン席はだいたいその位の値段である。一万円札をみどりの券売機にぶち込んで切符を購入した。少々列車を撮影した。近畿にはあまり見ない顔が多く面白い。また末期色の数は数えられないほどにいた気がする。そして折角岡山にいるのだからと一応きびだんごを買った。駅構内で600円程で売っていた。四国へと踏み入る準備はできている。いざ心を引き締めマリンライナーに乗った。二階に行く階段は高崎に居たころに乗った湘南新宿ラインのグリーン席を思い出しなにか懐かしい気持ちになっていた。しかし湘南新宿ラインと違うのは階段になにか装飾品があったことであろう。そして座席に座り後ろの人に声をかけて少しリクライニングをした。そして腰のやつも最大にしてゆったりとできる素晴らしいものである。そうしてくつろいでいると窓からピンク色の新しめの電車が入線してきた。あれは割と近い将来岡山の末期色に代わり岡山の県北以外で覇権を手に入れる電車である。227系という電車を少しアップデートしている訳だが今は広島でしか見られない電車である。広島のはカープをイメージしてか赤色を基調としているのだがこちらは桃色を基調としている。桃太郎だからだろう。その電車を見ながらきびだんごを食しているとの甘さが口内の全てを支配したのである。さらにきびだんごの甘さは喉に渇きをもたらした。お茶を飲みたい。しかしお茶はなかった。仕方なかったので他は食べなかった。朝ごはんは岡山できびだんごを数個とそこそこ食いそこから瀬戸内を越えるために電車は四国へと進めた。
岡山駅を発車すればすぐに末期色が見えるのである。見える電車の全てが黄色である。更には国鉄のお古である。しかし次に来るときは恐らく電車は更新されているだろう。そう思っていたが後に部活の後輩に「夏休みどこか行きましょうよ」と言われて岡山や琴平、尾道辺りに行こうかと最近悩んでおるのはここだけの話である。少し進めると岡山にビルはなくなり寧ろ直線の地平線が見えるほどに一面が田んぼしかない場所に出たのである。あの大都会岡山は嘘だったのか。私が見た大都会岡山はまやかしだったのか。そう疑問が泉の如く湧いてきた。狐につままれた気分というのはこのことを言うのかと思い岡山に来たことを後悔した。これには岡山県知事もにっこりである。そうこうしていると麻〇セメントと書いていたセメント工場が見えてきた。なにを隠そう反自民の天敵麻生太郎の近縁の者の会社である。なんとなく「麻生グループってあるんだ」と思いながらトンネルに入る。辺りが田んぼだったものなのでここでトンネルが現れるのは少々不審な点はあるがまぁ良いだろう。隧道の闇のなかでグリーン車の居住性に溺れていると児島の街を一望できる場所まで来ていた。その刹那児島駅に到着していた。未だ四国は見えねどもここまで来ればもう一息。さっさと瀬戸大橋を渡って金刀比羅に行こう。そう思いつつ列車は発車した。上には曇天の空が広がり、下には青空のように青々としている瀬戸内海が見える。更に真上を見るとちょうど車が走るべきところが見える。あまり鉄道の上を車が走るなんて言う場所はそうないように思う。少しわたるとおそらくは雨風にさらわれ、海洋の波により削られたのだろう海岸線が見える。自然の力というのは恐ろしい。長年にも渡り常に島の海岸を攻撃してとんでもないぐらいに男男しいような、勇ましいような海岸を創造するのだから。自然とは美しくされど強大なものなのであろう。瀬戸内を楽しむと坂出駅に到着した。本来は坂出に50分ほど滞在する予定だったが到着したすぐ後に琴平行きの普通が現れることを知りそれに乗ることにした。
電車は坂出に到着した。まだ10時ごろである。時間がバグっている様だ。家を出たのは確か5時頃だったかのように思う。不思議に思いつつ今度も電車がやってきた。おかしいものだ。JR四国は万年金欠なものだから電化路線なんてないと思っていたのだがなんとあったのだ。そもそもJR四国が走らせていいのは汽車ぐらいだろう。そんなJR四国の電車は四国6000系というらしい。その電車の乗り心地はとても良い。これも少し揺れるもののそんなものなれれば愉快。ローカル線情緒漂う線路を一路琴平へ向けて時速100kmで進みゆく。この快感は一度経験するとやめられないものだ。そして進行方向右手。海の方を望むと四国と本州を連絡する橋。瀬戸大橋が見える。そして予讃線から離れて瀬戸大橋へ向かう路線が見えた。此処まで壮観なのもなかなかない。その後もトップスピードを維持して一路琴平へと進む。そして多度津に到着した。ここは予讃線と土讃線という本線級の路線の分岐点のはずなのだが少々素寒貧としていてされど昔は栄えていたかのような風格を残しており鉄道の衰退というものが肌で感じられた。「おごれるものも久しからず」というようにどのようなものにも必ず衰退というものが訪れるのだ。そう改めて思い返しているうちに列車は発車して左側に大きく回った。そして琴平へ向けて猛ダッシュをした。そのまま善通寺に到着した。琴平に近い善通寺は神道ではなく仏教の都市で善通寺というお寺がある。そしてこのお寺は弘法大師がご生誕なさった場所であり四国八十八所の第75番札所である。因みに四国八十八所から分かる通り四国は真言宗がかなり強いエリアになっており私の祖母も四国の人なのだが真言宗である。善通寺を出発すればとうとう金刀比羅にたどり着く。旅の楽しみは増えていくものだ。電車は田畑に影を落とし、山も近くなる。そして遂に琴平に着いたのであった。
いやぁ投稿頻度が遅いものです。ネタ(春休みは北陸にも近江にも伊勢にも行ったしGWには大神神社に行ったなぁ)はたくさんあるのですがねぇ。学生の本領は勉学だと誰かが言っていたのでその言葉通り勉強していたら編集する時間がなくてこうなっちまったんだよ。後書きに書くことでもないのですがやっぱり「勉強、勉強、勉強」などて耳にタコができるほどに言い聞かされたら流石に気が滅入るもので結局やらなくなっていくものなのです。ここしばらくの間久しく勉強をしてはおらぬのです。留年しても自己責任な訳なので勉強はしなければならないのですが気が滅入るとそれすら難しいようです。