藍香
シャワーの後部屋に篭って藍香はひたすら泣いた。母に悟られまいと嗚咽を殺して。そして腕の擦り傷を隠す為に、暑い日ではあったが長袖の服を着た。
「ご飯よー」
と母がリビングから声をかけて来た。父も帰宅していた。
両親に長袖を着ている事に触れてほしくなくて極力普通を演じた。が、
「藍香、長袖なんて着て暑く無いの? 」
母がすぐに声を掛けて来た。
「良いの、ただこの服が着たくなっただけ」
と違和感を隠して答えた。
父が
「熱でもあるのか? 」
と心配して藍香の額に手を当てた。その時に3人の顔が蘇り、
「なんでも無いって! 」
と反射的に父の手を振り払ってしまった。父の心配も優しさも分かっている分、藍香自身も困惑した。
しかし今の混乱を隠す為に、心で父に詫びながら
「もう良い!寝る! 」
と部屋に戻った。
父と母が
「フフ、藍香も反抗期だもんな」
「もう、全く…」
と話しているのが聞こえた。
藍香はいつか、この忌まわしい出来事を訴える事が出来る機会があった時の為に詳細にノートに書いて残す事にした。
その為には嫌な光景を詳細に思い出さなければ書けない…。とても苦しい作業だが、記憶が曖昧になる前の今しかないと思った。
ペンを持つだけで涙が溢れて手も震えた。。あの光景が脳裏に浮かぶと、あの時の寒気や虫唾が戻ってくる。言葉にもしたくない屈辱的な光景を、休み休み泣きながら書いた。
ノートは涙の跡であちこちふやけた。
次の日『学校に行きたくない』とは両親にとても言えず、重い足と頭を引きずって学校に向かった。
近所の有紗と合流して他愛無い話をしていると気が紛れる。いつも有紗と一緒に居るが、有紗の屈託無い笑顔はホッとするひと時を藍香にもたらした。
今日は部活は休み。ホームルームが終わったら即刻帰ろうと思っていたが、グラウンドの整備をする事になったと聞いて第二倉庫へ行った。
中に入ると健斗達が居た。その時にあの伝言は仕組まれた嘘だと悟った。逃げようとしても一馬と健斗に腕を捕まれ諒我に弄ばれた。
ちっとも汚れが落ちないのに更に私は汚れた…。また学校から、よろめきながら走りに走って…帰った。やはり走っても走っても、家がいつもより遠く感じる。
次の日は昼休みの音楽室での準備時間…。用心しても相手は用意周到で、逃れられない様に予想を上回って来る。そして健斗に弄ばれた。健斗は事の最後に藍香の胸元に青くマークを付けた。
終わると震えながらボタンを閉めて、涙を飲み込みながら授業の当番の仕事をする藍香を、3人は
「藍香さん、授業に間に合わないよー」
「何やってたの?って先生に怒られるよー」
「可愛がって貰ってたから遅れました〜、って言うんじゃね? 」
と大笑いしながらからかった。
藍香はまた必死で普通を装い授業を受けたが、自分をいつまで保てるか分からない…限界が近いと感じて居た。
学校から帰宅しシャワーに直行する。帰宅後のシャワー…もう3日続けてる。やっぱり昨日の汚れも、一昨日の汚れも今日の汚れも落ちない…。洗わずには居られない…。またシャンプーとボディソープが空になった。健斗付けられた胸元の青アザを消そうとひたすら擦ると、擦り傷になって微かに血が滲んだ。
「ここだけ汚れを隠せる…」
今日も虫唾を払い除けるかの様に擦っては流し擦っては流した。
「昨日シャンプーとボディソープ詰め替えたのにもう無いのよ。パパ使いすぎよ」
と夕食時に母が話してるのを聞いて、ビクッと藍香はなった。
「俺じゃ無いよ。お前の勘違いだろ」
「うーん、ちゃんと入れたんだけどなあ…」
との会話をハラハラして聞いていた。
胸の擦り傷が少しカサブタになって服が触れると痛む。良かった…。このカサブタが、あのアザも見えなくしてくれる…?
そしてこの日もノートを涙で濡らしながら記録を進めた。
明日はどうやって逃げよう…。そうだ、帰りは有紗と帰れる…。それならきっと大丈夫…。大丈夫…。大丈夫…。大丈夫…。…学校に行きたくない…。でも、行かない方法が思い付かない…。
忌まわしい被害を受けた現場の学校は、恐怖でしか無い。藍香は自分に大丈夫…大丈夫…と何度も暗示をかけて学校に行く心の準備をした。