古傷と罪
謝罪の日当日、藍香の一家は健斗のマンションに出向いた。健斗と樹理の配慮で『藍香達の家の場所が加害者だった人に知られるのは避けた方が良い』と考えたからだった。
藍香の手にはあの古いノートがあった。マンションに到着してインターフォンを鳴らした。
「あっ、平川さん。御足労頂いて誠に申し訳ございません。どうぞ」
との返答と同時にオートロックの開く音がした。
玄関の近くまで行くと健斗と凛を抱いた樹理が深々と頭を下げて出迎えた。
デイビッドと藍香は会釈を返した。
「どうぞ」
と案内されてリビングに入った。凛とあんなが寝っ転がれる様に、昼寝用ふとんが敷かれていた。そこにあんなを置くと、あんなは凛をヨシヨシして、赤ちゃん同士ご機嫌に笑って居た。
まず健斗は床に手と額を擦り付けて、
「長い期間、辛い思いをさせてしまいました。僕の愚かさによっての事態です。謝罪もこんなに遅くなり本当に申し訳ございませんでした。
そして、平川さん一家はお幸せに暮らして居る中、この様な思い出したくもない事であろう私達の謝罪に付き合わせてしまい、ご迷惑をお掛けしております」
と誠実に謝った。樹理も共に床に手と額を付けた。
藍香とデイビッドは頷き、
「頭を上げて下さい。まずは当時私からの目線での事態を綴ったノートを今まで持ってました。読んでください」
と藍香が差し出した。
「失礼します」
と健斗は受け取り、樹理と共に読み進めた。
14歳の少女の恐ろしい体験。その中で親に知られ無い様に学校に通った事…。学校に行く事で度重なり起こる悍ましい出来事…。被害を訴えても学校も警察も相手にしない悔しさ…。自分が汚れたと何度も身体を洗って擦り傷が出来た事…。それを真夏に長袖で隠した事…。涙でふやけて波打つページ達…。その痛々しいノートを読み終わり、健斗と樹理は、凛の無邪気な笑顔を見て溜息を吐き、肩を落とした。
「本当に…僕は卑劣で…弱くて…逃げた癖に見下して…。理由無く藍香さんを傷つけました。申し訳ありませんでした」
と健斗は目を潤ませた。共に樹理もハンカチで涙を拭って居た。
「夫のしでかした事はら若気の至りでは済まされませんね…」
と言った。
「何故あの時そんな目に私は合わなければならなかったのですか? 」
藍香が尋ねた。
健斗は当時の事と、これまでの心の変化を話し出した。3人は黙って聞いた。
「僕は幼い頃から恋心を藍香さんに抱いてました。それを当時仲良くしてた一馬と諒我に指摘されて動揺したんです。そして悪ノリした2人が 事を始めました。でも僕は止める事なく、一緒に襲う事を楽しみました。僕は悪魔の様でした。
聞くに堪えない話だと思います。でも僕か正直に話さないと…卑劣な事も、悔いた事も…全てを。
そうじゃないと本当の謝罪が出来ないと思うんです。聞いてください」
と前置きして更に話を進めた。
「僕も当時、藍香さんが学校を休まれた日に『もうバレる、酷く怒られて内申書も散々になるよだろう。クラスメイトや町の中での人目が冷たくなるのだろう』と覚悟しました。それが意外な事に一馬の父親が町長だったのと金持ちだった事で隠蔽されて、僕は学校にでも問題から逃れられました。助かったと安堵しました。そうすると学校に来れない藍香さんを見下すと云う思いを持ったり、楽しみが減った気がしました。今、当時の自分の姿を思い出しても悍ましい姿だと思います。
それを思い知らされた出来事が有りました。諒我が当時の画像を撮って居たのを見せたんです。中里先生が転勤になる頃に画像を撮って居たことを初めて知りました。僕らは3人は盛り上がりましたが、それを藍香さんの友達の中本有紗さんに見られたんです。とても叱られました。大人が怒るより怖かったです。血の気が引きました。初めて罪の重さを知りました。そしてあの事の証人が出来てしまった事に怯えながら毎日を送りました。
そして怖さから僕らの悪い仲間は自然と疎遠になりました。
高校に入り樹理と付き合う様になりました。樹理と居る時間が増えれば増える程、樹理が僕にとって欠かせない大切な存在になって行きました。
でも…僕が藍香さんに傷つけた様に、樹理を傷つけそうな気がして怖かったんです…。
なのに周りに唆されて、美人のスタッフが居るカフェに行こうと連れて行かれたんです。行ってみると、その美人のスタッフは藍香さんでした。
ビックリしたけど…僕は藍香さんが元気そうなのを見て『自分がそんなに罪深く無い』様な気がしてきたんです。馬鹿ですよね。会計の時に声掛けたら、笑顔で突き放されて『罪が軽くなるなんてあり得ない』と再び罪の重みを知りました。
そんな時に樹理が『僕が数人と一緒にカフェの美人スタッフをナンパしに行った。』と耳にして、『貴方は迂闊だ。』と叱られました。グーの音も出ない思いでした。自分の愚かさを思い知りました。
樹理はいつも誠実で…一緒に居て人の大切さや重みを実感する事が段々と出来る様になりました。
一馬が逮捕されて、藍香さんが被害届けを再度提出する事を聞いた時は、僕も捕まるのではと恐れ慄きました。
本当に怖い思いをさせたのは僕なのに…受けるべき罰を受けると言う時が来ただけなのに生きた心地がしませんでした。
けど…町長の自殺未遂のニュースが流れて、藍香さんも被害届を出すのを止めたと聞き僕はホッとして浮かれました。その時道端て鼻歌を歌って居る僕を見て『何浮かれてるの?町長が自殺未遂して、藍香か被害届を出さない事にしたから?人が死のうとしたのよ!』と中本有紗さんに声を掛けられました。
完全に心を残さず読まれてました。僕は罪から免れたと喜んだ…つまり、また心で罪を犯したんです。逃亡犯みたいな者です。
大学は教育大に行ってたので、学校や中学生と関わる事が多かったのですが、その後は償いの為に虐めに取り組みました。生徒とも向き合いました。
でも、上手く行きませんでした。生徒の問題に取り組む先生に恵まれなかった事も理由の一つではあります。
そして、いまの中学に来ました。僕が罪を犯した時の担任の中里智恵子先生が僕の指導に当たりました。
『なんでここを志望したの?』と聞かれて、
『思い切り生徒と向き合いたかった。生徒の問題解決の力になりたかった』と言った事は誉められましたが、『板橋さんに償いたいから』と言ったら怒られました。『ここの生徒は貴方の償いの為にいるのではない。生徒そのものと向き合わないとやっていけない。償いは自分でやりなさい』と。至極真っ当な返答でした。
その後生徒達と絆が出来てきて、そして凛も生まれ我が子の大切さを知りました。そうすると…藍香さんやご両親には…どんなに酷い傷を付けたのだろう…、後ろ足で何度砂を掛けたのだろうら何度僕は逃げようとしたのだろう…と更に感じる様になってました…。
僕の長い話を聞いて下さってありがとうございます。只々申し訳なく思います。許すか許さないか…判断はお任せします」
と健斗は再び頭を床に擦り付けた。
藍香かかつてシスターに教えてもらった100匹の羊の話を始めた。
「ご存知ですか?聖書の中にある100匹の羊の話。これは罪人が悔い改めて帰って来た事を救い主が喜んでいる様子を分かりやすく例えた話です。
『ある羊飼いに100匹の羊が居たとする。そのうちの1匹が迷い出て居なくなったとしたら、羊飼いは残りの99匹を野原に置いて 山や絶壁等を探しに行かないはずがない。そして見つけたなら、帰ってから喜んで 一緒に喜んでください。居なくなったと思っていた羊を見つけたのですから。と言うに違いないだろう…。と書いて有ります。
貴方はその迷い出て帰ってきた羊なのかも知れません。『よく帰ってきた』と羊飼いに喜ばれてるかもしれない…。
でも私は残った99匹の羊の中の1匹。しかも貴方に噛まれたことのある…。残りの羊達が羊飼いがあの町の人達だったとしたら…、仲間だと思ってた仲間達に噂されて、好奇の目で見られ続けた…。そんな羊の群れの中でただ1人…中本有紗さんが、噂する羊達を批判する羊達を気にせず私の傷を哀しんで舐めてくれたんです。父と母は この羊の群の中に居るのは良くない、違う羊の群れに入れた方が良いと、違う群れ探しに翻弄してくれました。新しい群れの中で『痛いだろうに、早く治る様に』と父と母、学校で手当を受け傷は癒やされました。感謝して喜びを大切に暮らして来ました」
そう言って、あんなと凛を見た。さっきまで 仲良く遊んで喜んで居た2人は、仲良くスヤスヤ安心して眠って居た。
「古傷を持った羊飼いに従順だった99匹の羊の一匹が私だとしたら…。噛みつかれた過去を払拭させて生きる術を見つけた中で、貴方が帰って来た。恐怖も舞い戻りそうな気持ちを持つ私の気持ち、分かりますよね…。でも、羊飼いの御心に従って貴方が噛み付いた事への謝罪を聞いた。…彷徨った崖の中で、生きたり死んだりして来たのだと思います…」
こう話すと藍香は沈黙した。デイビッドは藍香の肩を抱いた。藍香はデイビッドの顔を見て頷いた。
「今の私の羊飼いは、汚れの無いこの2人娘達なのかも知れませんね」
あんなと凛の健やかな寝顔を藍香が見ると、他の3人も目をやった。可愛らしい清らかな寝顔…。愛おしく4人は羊飼いを見つめた。
「2人の羊飼いの笑顔を守る為に…。古傷が疼いても、もう過去は捨てます。このノート…。燃やせる場所はございませんか? 」
と樹理に向かって聞いた。
「はい。屋上にバーベキューコーナーがあります」
眠っている子供達をデイビッドと健斗は、起こさない様にそっと抱き上げて皆んなでバーベキューコーナーに向かった。
藍香は主要な文を書いてる1ページ目をちぎり火の中に入れた。
泣きながら書いた14歳の頃の出来事の内容を火が追い掛けて燃えカスとなった、2ページ目…3ページ目…4ページ目…5ページ目…。焚べて行くと火は、藍香の無くしたかった過去と涙の跡を燃やして燃えカスにしていってくれた。
文章の無いページも、藍香は燃えやすい様にちぎって燃やし、ちぎって燃やし、ノートの表紙も燃やし終えた。火が消えた燃えカスに触れると かすかに紙の形状が残っていたものの、粉々に砕けた。
これで十四歳の少女を苦めた過去は終わりを告げたと、藍香は晴れやかな顔で皆んなに振り返った。
外田夫婦は、また屋上の床に頭を擦り付けようとした。健斗は凛を抱きながら跪こうとした。平川夫婦が肩に手を当て静止した。藍香は
「樹理さん、貴女が居なかったら健斗さんは償う思いに至る事ができなかったでしょうね。そして私もノートを燃やす事が出来なかったと思います」
と樹理の手を握って言った。
樹理は涙を溢れさせながら藍香に慰められながら
「ありがとうございます。ありがとうございます」
と何度も繰り返した。
デイビッドは
「外田先生。私もスクールカウンセラーをして居るので仕事上で貴方の頑張りは耳にしてます。若い時の事と聞いていても、妻にした事は許せません。僕ら夫婦は許すと決めましたが辛い決断でした。
でも、憎しみに変わりそうな物を抱えているのも負担なのです。きっとその気持ちは貴方も理解できるでしょう。
でも娘達は人の蟠りを解かす力がある様です。ただ貴方が気の毒だったのは、反省すべき時に 貴方達の罪に向き合わず、大人達に有耶無耶にされてしまった事だと思います。直ぐに対応していれば、反省や謝罪をして多くの学びがあった筈なのに…。
外田先生、貴方は有耶無耶にせず全ての生徒達と向き合って行って下さい」
と健斗に声を掛けた。
「ありがとうございます。こんな私に…。貴方の大切な奥さんに辛い思いさせた僕に…。ありがとうございます。これから生徒達と向き合い続けます。学校が生徒達の故郷で居れる様に生徒と関わって行きます」
10年を経て健斗が潜って来たトンネルに光が見えて来た。
藍香が背負って来た古傷は我が子が癒し、人の痛みを理解する為の物として揺るが無い物となった。
樹理は健斗の本当の晴れやかな顔を始めて見た様な気がした。
デイビッドは藍香があんなを通して、強く変わっていく事に尊敬を覚えた。そう言えば自分の屈折した心を大切にしてくれたのも藍香だった。これからも2人で…いや、あんなも一緒に3人で歩んでいく事への喜びを感じて家路に着いた。
帰り車中、藍香が吐き気を感じた。
「大丈夫かい? 」
車を路肩に寄せて胃の不快感を感じている藍香の背中にデイビッドは手を当てた。しかし具合悪い筈の藍香は喜んだ顔をして居る。
「貴方!産婦人科へこのまま連れてって! 」
と藍香はデイビッドの手を握った。
「oh…oh…really⁉︎」
「Yes!that's light!」
思わずハグし合った。
そして産婦人科に急いだ。保険証を出し、問診票を書き、そして診察室に呼ばれた。
エコーを見てみると、赤ちゃんの小さな心拍が見えた。
「新しい命が来てくれた…」
藍香の目が潤んだ。
「そうだね。藍香…ありがとう。本当にありがとう…。あんな、お姉ちゃんになるよー」
デイビッドは、あんなを抱き締めながら喜んだ。
平川家は 人じゃない。4人で歩いていくんだ。
藍香はこれからも素敵な笑顔と、綺麗な涙を流しながら強く優しい母になっていくのだろう。
僕の妻は最高の妻だ。とデイビッドが思った瞬間、
「貴方は最高の夫よ」
と藍香が言った。
あぁ、先に言われてしまった。でも同じ事を考えていたんだ…。そう思うと嬉しくなる。
「 I love you、」
「me too.I love you、」
そしてデイビッドと藍香は思った。4人で私達はどんな風に成長して行くのだろうかと…。




