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僕は償えない  作者: いりこ
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母親達

 ある天気の良い日、樹理は凛をベビーカーに乗せて近くの公園に行った。

 凛を抱っこしてベンチに座ると、もう一組の母と赤ちゃんが来た。同じく我が子を抱いた母親はベンチに座った。

 もう一歳半になっている様に見えた。ピンクのギンガムチェックの可愛い服を着て麦わら帽子を被った、良く笑う可愛らしい赤ちゃんだ。母親も赤ちゃんの『ママ』と呼ぶ声に頷いて返事をしている。微笑ましい母と子だった。

「一歳何ヶ月くらいですか? 」

樹理が話しかけた。

「1才7ヶ月なんです」

と笑顔で母親は答え

「そちらの可愛い子ちゃんは4ヶ月?位ですか?」

と尋ねて来た。

「はい、4ヶ月です」

赤ちゃんの子育て中の母親同士、話は自然と弾んだ。

 首の座ってからの話、百日のお祝い、写真撮影、時期に迎える一才の誕生日、日々の子育て、成長、自分の時間作りが難しい、祖父母の事等 話は尽きなかった。

 樹理が、

「夫の実家が田舎で農業をやってるんです。だから新鮮な野菜をいっぱい食べて、良い母乳を出しなさいって沢山持って来てくれるんです」

と話した。

「それは嬉しいですよね。新鮮な野菜食べてお母さんの栄養を赤ちゃんに上げたいですよね。赤ちゃん、何て名前なんですか? 」

と聞かれ

「外田 凛です」

と凛の手を上げながら樹理は答えた。

 すると一瞬、その母親の顔が強張った。そして直ぐに笑顔を戻した。

「ごめなさいね。私の中学時代の同級生で同じ苗字の人が居て…。その人の両親が農家さんだったからビックリしちゃって」

と答えて笑った。

 中学生…同じ苗字…両親が農家…樹理はこの母親が藍香ではないかと咄嗟に思った。

「失礼ですが…坂橋藍香さんですか…? 」

尋ねると

「あっ…はい。…今は平川ですが…」

 この女性が藍香と知り、樹理は顔色を蒼白くして、ベンチの座面に両手と額を擦り付けて、

「申し訳ございませんでした。私の夫は外田健斗です」

と謝り何度も『ごめんなさい』と繰り返した。藍香は身体を遠ざけながら、我が子を守る体勢になった。ひたすら謝る樹理を見て、心が痛んだが、もうあの過去が蘇るのを身体が拒んだのを感じ、気付くと樹理を置いてあんなを抱きしめながら走り去っていた。


 帰宅後、藍香は貪る勢いで家事を始めた。洗濯物を取り込み、凄いスピードで畳み、あんなが話しかけてくると、頭の中の事を振り落とす様に一緒に遊び、晩御飯の支度をガチャガチャと用意した。

 振り払っても振り払っても心が騒いだ。

帰宅して夕食を食べていたデイビッドも、藍香の様子を見て何かを感じた。

「藍香、何かあったのか? 」

「……やっぱり…怖い物は怖いのよ…」

「何がだい?どうした?僕は力になりたい。話してくれないかい? 」

「うん、あのね」

と藍香は言葉を発し始めると涙を浮かべた、デイビッドはダイニングの椅子から立ち箸を持ったまま涙を浮かべている藍香の背中を撫でた。あんなはスプーンを握ったまま眠って居る。

「今日少し遠い初めて行く公園まで行ったの」

「うん」

「4ヶ月の可愛い赤ちゃんとお母さんが居て、楽しく話し始めたのよ」

「うん、それで? 」

「話をして居る内に、その赤ちゃんとお母さん…昔私を襲った…襲った人の内の1人の奥さんとお子さんだと分かったの…。奥さんは事情知ってた様で…。凄く謝ってたけど…。あの頃に戻りたく無くて…逃げてきてしまったの…。父にも母にも助けられて…。学校も転校して、先生や仲間に助けられて…。貴方もあんなも居るのに…。肝心な時に怖くなって…私…」

「大丈夫だ‼︎ぼくが守るから‼︎心配無いよ。怖くても仕方ない。でも君は恐怖の中に留まったりしない人間だ。あんなも居眠りしてる。今は思う存分泣いて良いから」

藍香はデイビッドの胸で思い切り泣いた。長い時間泣いた後スッキリした顔で

「ありがとう」

と微笑んで、あんなをペッドにそっと運んだ。



数日後の晴れた日、あんなが

「公園!あーちゃん!」

と駄々を捏ねた。藍香は宥めすかしたが、あんなは収まらなかった。

 藍香は、あんなの母親の心を振るい立たせて覚悟を決めて行くことにした。あんなは大喜びで 歩いた。


 公園に着いた。きっと外田親子もきて居るだろう。もう動じたりはしないと心に決めて、この前のベンチに走るあんなを見守った。

 ベンチが見えてくると、健斗の妻と赤ちゃんが居るのが見えた。

「あーちゃん」

と辿々しい言葉で、あんなが駆け寄った。あんなを追いかけて藍香がベンチに着くと樹理は、驚いた顔で藍香とあんなを見て口に手を当てた。

「先日は突然すみませんでした。もうお会いできないと思ってました」

と深く頭を下げた。

「貴女が悪い訳ではありません。頭を上げて下さい」

と藍香は声を掛けた。あんなは凛にいないいないばあを連発して居る。


 樹理は話し始めた。

「夫と一緒に罪を償うと約束したんです」

と声を震わし涙ながらに振り絞る様に答えた。

「話を聞かせてください」

と藍香が声を掛けると樹理は深く深呼吸をし、そして話し出した。

「私達が結婚を考え始めて、プロポーズ受ける前に夫が貴女にした事を自ら私に告げました。

 夫は若さと言えども愚かだったと思います。まして、結婚を考える様になっても、その事を言い出せなかったなんて…。高校からの付き合いなのに…弱虫です夫は。

ただその長い間夫は、自分の罪の重みから逃げられないかと思う事もあった中で『償いたい』との思いがつのり模索していました。藍香さんの事は一度しか聞いてません。でも、教師の道を選び、その後凛も生まれて父となって尚更強く罪の意識を持つ様になったと私は察してます。

 高校の時、私と付き合ってるのに当時の彼は 美人のカフェのアルバイト店員さんをナンパしに行こうとクラスメイトに唆されて、行った事があったんです。次の日の彼の様子を今になって思うと…藍香さん、貴女がその店員さんだったのでは無いのでしょうか?元気そうな貴女を見て夫は ホッとしたのだと思います。でも許されてない事がハッキリと分かって帰って来たのだと思いました。何かガックリとしてましたから」

 樹理は健斗の多くを把握していた。樹理の懐の中で健斗が見守られているのが手にとる様に分かった。

「はい、私がそのアルバイトの店員でした。健斗さん私の顔を見て驚いてました。でも、 貴女が仰る通り私が元気なのを見て『心配して悔いいるほどじゃなかった』と思った様な態度だったので私が相手にしなかったんです。その時に肩を落として店を出た様子でした。私は仕返しした気持ちになった自分をその時攻めました。人の痛みを知っているのに何故、心を痛めた人の事を喜ぶのかと…」

「本当に申し訳ありませんでした…。夫が傷口に塩を塗る様な行動をして…」

と樹理は俯いた。

「何故健斗さんは罪の意識を持ったのですか?当時学校では健斗さんと仲間達は、何も問題ないとの処理をして終わったのに」

「分かりません。何度も心が揺れ動いたと思います。でも、きっかけが何かあったのでしょうね。

凛の存在も勿論…生徒達と接していて感じた事もあったと思います。…それと…良く分かりませんが、夫の故郷の町長さんが自殺未遂した事が何が関係ある様な気がするんです」

「町長の息子さんも私への加害者でした…。町長の息子さんが関わっていたからと、私の件は無かったことにされました。でも…数年後、息子さんがまた町から離れた地域で犯した事へは町長も助ける事が出来なかった…。私の件も時効になっていない頃だったので被害届を出そうとしました。でも出す前に町長は自殺未遂をして…。何か弱ってる人に鞭打つ様で被害届を出せなくなってしまったんです」

と当時の事を遠い目で藍香は話した。

「長い月日苦しんだのに…戦おうとしたのに…飲み込んだのですね…。本当に申し訳ございません」

樹理は頭を下げた。苦い思いを甘んじて受ける覚悟が終始、樹理から見えて来る。そして樹理は 手紙を差し出した。

「夫からの謝罪の旨です。貴女がこれを受け取るのは戸惑いが生じて不思議では無いと思います。謝罪したいと心から私達夫婦は願ってますが、貴女がその事で辛い過去を思い出して苦しむので有れば、謝罪は私達の自己満足でしかありません。十字架を夫婦で背負って行くと決めたのです。これからも背負うつもりです。貴女がもし良ければ…手紙を受け取って欲しいのです」

 あんなと凛が無邪気に笑って居るのを見つめた後、藍香は手紙を受け取った。


 藍香は帰宅後、洗濯物を取り込み晩御飯の支度をしながら、あんなの世話をした。

 ひと段落した後、手紙を手に持ち瞼を閉じてため息をついてから封を開けた。

「拝啓

 

 貴女にとって、とてつもなく害でしか無い僕がペンを走らせる事をお許し頂けたら幸いです。

 当時貴女に酷く傷つけた僕は、本当に愚かだと思います。言い訳の余地も有りません。

 謝罪もせず逃げてばかり居て、しまいには自分の罪から逃げて人間として余りに酷い態度を貫いた事、自分でも目を覆いたくなる思いです。

 もし貴女に謝罪する事が出来たなら…と思いますが、貴女の苦痛を考えると、僕が姿を見せて良いのか…と辛い事を思い起こさせて良いのかと答えが見つかりません。どうか、もし宜しければ 謝罪の機会を与えて下されば…と願い手紙にしました。

 勝手な思いばかり綴り申し訳有りません。

                 外田 健斗」

 更に連絡先も記入されていた。

 読み終わると引き出しからセピア色に染まっている忌々しい過去が綴られたノートをテーブルに置いた。それらを眺めて居るとデイビッドが帰宅した。

「ただいま」

「おかえりなさい」

藍香の声で公園に行って来た事を察したデイビッドはら藍香を優しく抱きしめた。そして藍香ぎ話出すのを待った。

「私は加害者と関わらずに済む様に、幼い頃の町を捨てた。でも巡り逢ってしまった。

あんなも人生の中で、またあちらの娘さんと再び出会うかも知れない。仲良くするのかも知れない…。悪意無く…。なら私の過去はどうあっても、向こうが罪を持っていて償おうとして居るならば…子供達の出会いを大人の都合で妨げてはいけないのよね…。

 だけど私の傷跡は大きい…。幸せを感じながら生きて行く方法も見つけた。あなたも、あんなも居る。でも傷を思い出したら…辛くない訳ないわ。

 けれど向こうは悔いてる…。そして誠意を持っている…。それで謝りたいって…。私の古傷が疼く中で顔を合わせて当時の話をしなければならないのよ。出来るなら避けたいの。

 でも子供達の未来を私の傷のせいで邪魔になってはいけないわ。だから…謝罪を受け入れても良いかしら…」

心の中の不安と、やるべき事を全て話した。デイビッドは藍香の背中に手を当てながら、優しく真っ直ぐな目で見つめて受け止めた。

「辛いね。本当に古傷が疼くね。出会いたくなかったね。でも…母親なんだね君は。謝罪受けるのは正しい判断だと思うけど、断っても君を誰も責めないよ」

お答えた。

「あなたに一緒にその時居て欲しいの」

「謝罪受けると決めたんだね。分かったよ。側に居るよ。藍香」

「だから何があったか貴方も詳しく知って置いた方が良いと思って…当時の日記、読んでくれる?」

古ぼけて涙でふやけたページの波打ったノートをデイビッドは開いた。父と母と同じ様に、読み進めるデイビッドの顔が辛さで歪んでいった。藍香は

神妙にデイビッドが読み進める様子を眺めていた。

「藍香、こんなに辛い中から立ち上がったんだね」

と囁いた。

そしてデイビッドは外田健斗と云う名前を見て、ふと気付いた。

「藍香?外田健斗って…今学校の先生になってると思う。僕もスクールカウンセラーの仕事の関係で、不登校や問題を抱えた生徒へのケアが得意な『新星中学校』って言う中学校に時々行くんだけど、外田先生って居るんだ。本当に改心しないと勤まらないと思うから、本当に反省したんだと思うよ。

 でも、藍香の気持が1番大切だから」

「正直言って怖いわ。でも決めた以上は受け入れる」

「君は素晴らしい僕の妻で、あんなの最高の母だ」

とデイビッドは再び藍香を抱きしめた。藍香はデイビッドにしがみ付いた。

 その後、謝罪を受ける為の日時を手紙に書いてある連絡先に送った。


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