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僕は償えない  作者: いりこ
22/41

るか

 るかは家にいた時に犬を飼っていた事もあり、飼い方やしつけの仕方を知っていた。葵は数週間程でトイレを覚え、人懐っこく育って居た。その内お手や待て等も出来る様になり、寮生やシスターからも葵は愛された。

 葵が来てから、人を寄せ付けなかったるかの部屋に寮生がチョクチョク来る様になった。葵と触れ合う事で、るかと寮生達の交流が少しづつ始まり絆が芽生えた。

 るかも拘置所の方角を、死角に隠れる事なく寮生の通る廊下の窓から葵を抱きながら気兼ねなく見つめる様になった。

 葵を校庭で散歩させる時は、他の寮生も付いてくる事もあった。夕飯の支度の時には、るかが料理の仕方を他の寮生に教える事も増えた。葵がるかに何かをもたらしたのか…るかの元々持っていた優しさが葵を通して変化を与えたのかは分からない。

 兎に角、本来のるかの姿が少しづつ現れ始めた。るかには葵と言う守る物が出来た。シスターの咄嗟の計らいにより今のるかの心を開くれてたきっかけになり、るかに生えていた棘が抜け落ちたかの様だった。そして、一度心を開いてみると他の寮生も決して敵では無い事が肌で分かる様になった。

「1人では無い」

それを噛み締めて雪解けの春の様に、硬い心が融けて行くのをるか自身も感じて、寮生活で初めて感謝の気持ちを待った。


 そんなある日、シスターは事務室にるかを呼んだ。るかは脚にまとわりつく葵を抱いて事務室の扉をノックした。

「どうぞ」

シスターは扉をいつもの様に開けて、るかを招き入れた。

「葵が付いて来てしまって…一緒でも良いですか? 」

「勿論よ」

と言いながらシスターは、葵のミルクとるかのハーブティーを用意した。

「あのね、大切なお話があってね」

「話ですか? 」

「ええ、凄く悩んだけど話した方が良いと思って…お母さんの事」

「お母さんの事…ですか? 」

「ええ、固くお母様から口止めされていたの。でもね、今話さないといけないと思って。

 色々複雑な思いをすると思うけど、しっかり聞いて欲しいの」

るかは肩に力が入りながら

「はい、教えてください」

と言うと着席した。シスターは一度深く息を吸って静かに吐いた後、話し始めた。

「貴女がここに連れてこられる前の話よ。お母様とお話ししたのは…。お母さんが1人でいらしてね」

シスターは当時の、るかの母の話をし始めた。


『娘のるかをここで預かってください。どうか高等部を卒業するまで。費用は今支払える様に卒業迄の分を用意して来ました』と紙袋に用意されていた。

『事情を聞かせて頂けますか?』と聞くと、母親は説明し始めた。

「夫は元々誠実で優しい人間でした。病に倒れ…麻痺は無かったのですが…。後遺症で性に執着し理性を失い、暴力的になりました。娘のるかにも私にも殴りながら襲いました。症状が安定して居る時に夫は

『俺を施設に入れてくれ。家庭をダメにしてしまう!』と言い出したんです。丁度私も施設に入ってもらった方が良いのではと思って居た頃でした。

 ケアマネージャーに相談したのですが、ケアマネージャーが訪問した時は問題なく家で看れるレベルと判断され、施設に申し込みはしましたが『緊急性は無い』との事で空き待ちの200人の最後に回されて、入所は夢になりました。

 その後夫が不調の時…夫が…妊娠させた娘を流産させる為に物凄い剣幕で気絶するまでお腹を蹴りつけました。娘は出血と吐血で死ぬかと思いました。娘が死なない様に……死なない様に…」一度涙で言葉を詰まらせながら

「私は夫を刺し殺しました。法律はよく分かりませんが、私は情状酌量となるかも知れません、でも娘は殺人犯の娘と言う謂れのない罪を背負う事になります。娘がその荷を背負う事ない様、私は娘を捨てて親子の関係を法律上も断ち、今警察へ向かいます。

 どうか娘の面倒を見てやって下さい。私が愛情を掛けれない分、娘を愛して上げて下さい。

 娘は心優しい子です。私が捨てない限り私と縁を切る事は無いでしょう。

 『娘を捨てた酷い親』のままで居させてください。そして、自分で幸せを掴んで生きていける力を備えさせてやって下さい」

と言ってシスターの静止を振り切って出て行った。

 その事をるかに話して聞かせた。

 

「るかさん分かるわね、貴女は捨てられたのでは無い。お母様が考え抜いたの。貴女の重荷を減らす為の苦肉の策だったの。お母さんは貴女を守りたかったのよ。確かに貴女は辛い思いをしたけど…」

「……私を捨てて居ない…。重荷を無くする為…。お母さんらしい…。私…捨てられてなかったんだ…。守られてたんだ…」

 るかは今までの張り詰めた警戒心を忘れて、ハラハラと涙をこぼした。ここに来て初めて泣いた。シスターはるかを抱きしめた。

「1人で良く頑張って来ましたね。まだ16歳なのに…。多くを背負って辛かったでしょうに。もう1人じゃ無いですよ。貴女は捨てられてないのですよ」

るかが泣き止むまで抱きしめた。

 落ち着くとシスターはるかの目を見て、更に話した。

「そして何故この事を話したかと言うと…。るかさん、時間が無いの。お母さんが拘置所で倒れてね。全身に癌が広がっている事が分かったの。後悔しない様にお母さんに会いに行って来なさい」

と真っ直ぐ見つめて言った。るかは止まらない涙を拭きながら、

「母は何処に居るんですか? 」

と聞くとシスターは病院の住所と電話番号を書いてあるメモをるかに渡した。

「すみません、行ってくる間葵を見ていて貰って良いですか? 」

「ええ、勿論よ」

「葵、シスターとお利口にしててね。ちゃんと戻るから」

葵を撫でながらそう言い聞かせて、るかは力の限り走った。病院をスマホナビで見ながら、1秒を競う様に走った。病院を見つけて飛び込むと総合受付で尋ねた。

「すみません西本千鶴の娘ですが、母の病室は何号室ですか? 」

「西病棟の8階の821室です」

「ありがとうございます! 」

吊るされている案内を辿りながらエレベーターに乗り、8階のボタンを押した。エレベーターの動きが遅く感じもどかしかった。8階に着くとすぐ目の前にナースステーションがあった。

「すみません、西本 千鶴の娘ですが」

と口早に言うと

「あっ、娘さんですね。こちらです」

と看護師に案内された。看護師がドアをノックし、

「西本さん」

と声をかけると弱々しく

「はい…」

と母の声が聞こえた。

「お母さん! 」

部屋に飛び込んだ。久しぶりに会う母は骨格が解るほど痩せて、鼻に酸素を送る管を付けて居た。しかしるかの声に目を大きく見開いて素早く振り向いた。 

「来ちゃいけないって…お母さんの事はもう放って起きなさいと言ったのに…。全部聞いたのね」

「お母さん」

言葉にならないるかは母の手を握って居た。母の手も腕も細く折れそうに見える。手の甲や腕には点滴針の跡が青く又は茶色くあちこちにあり、痛々しい姿だった。

「学校で1人で頑張ってたのね。ごめんね…。重荷を負わせたわね。1人で辛かったでしょう。ごめんね」

母はそう言いながら、るかの頬をもう片方の手で撫でた。

「お母さん…。こんなに痩せて…」

るかの涙が母の手も濡らした。言葉少なく母と娘の時間を大切に過ごした。長い沈黙の中、2人の啜り泣く声が病室に響いた。しかし大切でかけがえのない時間だった。

「また来るね」

とるかは言って病室を出た。あふれてくる涙をハンカチで何度も拭きながら寮に向かった。

 寮に着き、事務室のシスターに声を掛けようと扉に近づくと、葵が扉の前で待ちきれなくてドアを前足で擦る『カサカサカサカサ…』と音が聞こえてきた。

「あら、大好きなるかさんが帰ってきたの分かるのね」

と声が聞こえて来たと同時に、シスターがドアを開けた。葵が凄い勢いでるかに飛び込んだ。るかはしゃがんで葵を受け止めて抱き上げ頬ズリをした。葵はるかの頬をペロペロ舐めた。

「お帰りなさい。葵ちゃんご飯食べてたのだけど、るかさんが帰って来たのを察したら?直ぐドア迄行ったのよ。ご飯よりるかさんが良いのね」

「シスターありがとうございました。母に会えました」

葵を抱いたまま頭を深く下げた。

「良かったわね、本当に良かった」

シスターはるかの肩を撫でた後、事務所の中に入る様に手を差し伸べて

「休んで行って」

と声を掛けた。

「はい」

るかが部屋に入り椅子に座ると、葵は残りのご飯を食べ始めた。

「シスター、母はとても痩せて弱々しかったですけど…心は昔ながらの優しい母でした。そして私を愛してくれて居ました」

「そう。親子に戻れたのね」

「はい、戻らずには居られなかったんでしょうね。私達残りの日々は少ないけれど…。心の氷は解けて大切な時間を逃さずに居られました。シスター、ありがとうございます。また母に会いに行きます」

「良かった…間に合って。親子に戻れて」

シスターがくれた紅茶の温もりが今の2人に更に心を熱くさせるものだった。

 ご飯を食べ終わった葵がるかの膝の上に飛び乗り、アクビをしてスヤスヤ眠り出した。葵の重さと温もりが、るかは愛おしく感じた。

「るかさん、お母さんも今の貴女と同じ思いで、幼い貴女の寝顔を見つめたのでしょうね」

「そうですね。沢山沢山愛を与えられて私は育ったんです。

この前まで傷の中に閉じこもってました。でも私、愛を受けていた年月の方が物凄く長かったんですよね」

「そうね、貴女を見ていると素敵な家族の中で育ったのだと感じるわ」

「シスター、今日はありがとうございました。葵が寝たので部屋に行きますね」

葵を起こさない様に静かに抱き上げて、るかは席を立った。

シスターも忍足で静かに扉を開けて、

「おやすみなさい」

と小声で言った。

「おやすみなさい」

るかも小声で返して自分の部屋に戻った。

 

 それからの毎日、学校の授業が終わるとるかは母の見舞いに行った。

 それから一週間後、母は危篤となった。授業中に連絡を受けたるかは病院に駆けつけた。

 病室に着くと、母は意識朦朧として顎をガクガクさせながら呼吸していた。血圧の数値が後僅の命の灯火を表していた。

「お母さん! 」

病室に入ったるかの声に、奇跡を起こすかの様に母は薄目を開き

「るか、…生まれて来てくれて…ありがとう」

と小さな声を振り絞る様に言った。るかは折れそうな母の手を握っておでこを撫でた。母のまつ毛は薄っすらと涙で光って居た。

 るかは握った母の手を自分の頬に当てた。母の手も自分の手もるかが流した涙で濡れた。

 数十分後、医師が

「14時52分。永眠です」

と死亡宣告をした。るかは言葉を発せないまま泣いた。それが暫くして嗚咽に変わり、長く長く泣いた。

 幼い頃の様に、母にしがみついた。まだ温かい母…。でも動かない母。愛を注いでくれた母。るかが何が好きで何が苦手か良く分かっている母。必死で守ってくれた母。守ってくれたからこそ辛い時があった…。でも愛し続けてくれて居た母。…そして、やはり動かない母…。

 母の愛を取り戻しても、母の命は消えて行った…。心に沢山の想いを巡らせて、るかは泣いた。

 ふと握った母の手を見ると、指先が少し握る様に曲がっていた。

「握り返そうとしてくれた…。呼吸するにも必死なのに…握り返してくれた。意識も無かった中で…。お母さん、愛情で答える為に力を使い切ってくれたのね…。お母さん…。ありがとう、ありがとう」

るかの様子を見て、1人の看護師も涙を浮かべていた。


 その後母の遺体は学校敷地内の礼拝堂に運ばれて、寮生とシスターにより告別式を執り行われた。

 るかは葵を抱き

「お母さん私の同僚よ。とても良い子なの。お母さん私を守った後、私の生きる術を用意してくれてありがとう。幸せに暮らしてるよ。生きる力、付けてるよ。お母さん、聞いてる?届いてる?」

「届いてますよ。お母さんはちゃんと聞いてますよ。聞かない訳無いじゃないですか」

シスターの返答に寮生も涙ぐみながら頷いた。

 美しく哀しげな賛美歌と祈りにより、るかの母は天国に送られて逝った。

 

 その後、裁判所からの通知が届いた。るかが開封すると。

『西本千鶴被告には情状酌量により、執行猶予5年とする』と書かれていた。

「お母さん、お父さんと仲良くしてるよね。私もこっちで頑張るから」

父と母の遺影に向かい、るかは囁いた。


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