3話。仮想敵に関する考察
中国。正式名称は中華人民共和国。
かつて広大な土地と大量の人口によって生み出される生産力や経済力を以てアジアの覇権国家を標榜していた国家である。
ただし、その力が認められていたのはあくまで過去のこと。
2020年代の今、彼らは国内で増え続ける異界に対応できておらず、数年以内に分裂するのではないかとまで言われているほどに弱体化していた。
覇権国家を目指した彼らが異界に対応できない理由はいくつかあるが、最大の理由は20世紀半ばに中国共産党が行った政治闘争兼改革運動、文化大革命にあるとされている。
文化大革命の内容を語るとそれだけで結構な時間がかかってしまうので、今は文化大革命によって引き起こされたことの概要だけを語ることにする。
まずこの運動で中国国内に「旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣を徹底的に除かねばならない」という、後に破四旧と呼ばれる思想が生まれてしまった。
この思想は暴徒化しつつあった若者たちに、暴力を向ける矛先と大義名分を与えてしまった。
紅衛兵を名乗った彼らは、彼らを使役して政敵を封殺していた共産党の幹部たちでさえ統制がとれなくなるほどに暴走した。
彼らは自分たちの生みの親である中国共産党に噛みつくだけでなく、多くの知識人や宗教関係者などと言った、長きに亘って文化を継承してきた人々を弾圧してしまった。
最終的に暴徒たちは人民解放軍によって鎮圧されたものの、十年以上に亘って行われた宗教関係者への弾圧と殺戮は中国国内に大きな傷跡を残した。
それだけではない。宗教を敵視していた彼らは、多くの【動かしてはならない石】や【壊してはいけない社】などを意図的に破壊してしまっていたのだ。
これにより中国国内の地脈や霊脈は大いに乱れた。
結果として、かの国は今も多くの自然災害や霊的災害に見舞われる災害大国となってしまったのである。
『絵にかいたような自業自得よな』
正しくその通り。
さらに彼らは世界各国に一つの得難い情報を教えてくれた。
それ即ち”異界を放置すればどうなるか”ということだ。
別に引っ張ることでもないので答えを言おう。
妖魔が外に出てくるのである。それも大量に。
『そら妖魔が異界を創造するのは、魔力やマナと呼ばれる霊的なモノを効率的に得るためじゃもの。おこぼれを狙う妖魔が増えれば外に出すわな』
神様曰く異界の主にとって、自分以外の妖魔はおこぼれ狙いの雑魚らしい。
それでも一定数の居住を認めるのは、彼らに警備員的な役割があるからなんだとか。
実際は少し違うのだが、無理やり人間の関係に当て嵌めるなら、彼らの関係は霊的なモノを貰って警備をする従業員と、それを支払う雇用主のような関係だと思えばわかりやすいかもしれない。
雇用主からすればたくさんの警備員が居た方が安全を確保できるのは確かだが、そもそも得られる収入には限りがあるので一定以上の数は雇えない。
そこで彼らは雇えない妖魔を外に出すのである。
外に出されるのは新入りや使えないと判断された妖魔だけでなく、新たに異界を創造できる程度の格を得た妖魔やそれに従うと決めた妖魔も一緒に放出されるそうな。
『この場合追い出すというよりは暖簾分けみたいなもんじゃな』
なんとも殺伐とした暖簾分けを行う妖魔たちの内情はさておいて。
外に出てくる妖魔の数は、元居た異界の深度や新しく主となる妖魔のレベルに応じて変わるが、深度2程度の異界であれば大体100~200体くらいが出てくることがわかっている。
この現象は、異界から妖魔がぞろぞろと出てくる様子がまるで行進をしているように見えることから、一般に【妖魔行進】と呼ばれている。
100体単位の妖魔が一斉に出てくるというだけでも十分ヤバい事態なのだが、さすが中国は桁が違った。なんと、ほぼ同時期に沢山の地域でこの妖魔行進が発生したのである。
『そら、社やら要石が破壊された時期がほぼ同時期なんじゃからそうなるわいな』
不幸でも天災でもなんでもなく、起こるべくして起こった災害によって発生した妖魔の数は数万単位に上ったそうな。
本来であれば鎮圧に動くはずの退魔士はすでに殺されており、生き残っていた退魔士たちも自分たちを弾圧していた連中の為に命を捨てるつもりはなかったため、早々に逃げ出したらしい。
放置された妖魔たちは思い思いに国土を蹂躙し、力を蓄えた後で異界を創造した。
当然その新たに造られた異界にも対処できないので、また新たな妖魔行進が発生し国中が蹂躙されるという負の連鎖が発生していた。
荒れに荒れる国を見て「このままでは我が国が滅亡してしまう」と考えた共産党首脳部は各国に応援を要請した。
それが今からおよそ10年前のことである。
当時の彼らが期待したのは隣国の大国。日本であった。
彼らからすれば、日本という国は大戦中に散々非道な真似をしたならずものの国家である。
当然何をしたところで赦すつもりなどないが、貸しを返す機会を与える程度の慈悲はあった。
尤も、本来であれば「助けさせてください」と頼み込んでくるのが筋だし、なんなら「ここまで被害が出る前に動かなかったのは何故か」と、その愚鈍さを叱責したいくらいの気持ちもあったが。
だが、大人な共産党員は我慢した。
我慢した上で彼らはこう言った。
「諸々のことを黙認してやるから、罪なき人々の為にさっさと退魔士を派遣しろ」と。
「ついでに世界の為に貴様らが開発した技術を無償で提供しろ」と。
舐め腐った言い様にさしもの日本政府も反発するかと思われたが、そうはならなかった。
なんと彼らから接待を受けていた日本の政治家や役人たちはその声に率先して応えようとしたのだ。
だが彼らの目論見は失敗に終わる。
まず退魔士の派遣だが、これは当の退魔士たちが拒否した。
『人命救助を謳いながら、求められたのは共産党員の保護じゃもんな。誰がそんなもんの為に行くかって話じゃ』
ですよね。
勝手に援軍を約束した政治家や政府の役人が「援軍に向かわないのであれば助成金を減らす」などといった脅しをかけたらしいが、行けば死ぬとわかっている場所に行く阿呆はほとんどいなかった。
『逆に言えば少しはいたんじゃな』
断れなかったんでしょうねぇ。
昔の自分たちの境遇を思えば、政府に逆らうことができなかったというのも理解できる。
だが、金や脅しに負けて大陸に渡った退魔士たちは上陸してから数分後に消息を絶った。
何があったかは分からない。ただ、その中の一人が親族に向けて送ったメッセージは「ここは地獄だ。絶対に来るな」というものだったそうな。
狭い業界なのでこの話はすぐに広まり、猶更大陸に渡ろうとする退魔士はいなくなった。
一向に状況が改善しないことに業を煮やした中国は何度も催促をした。
催促をされて焦った政治家や役人はさらなる脅しをかけた。
だが、状況は芳しくなかった。
それどころか、あるとき脅迫されたとある退魔士が「死なばもろとも」と言わんばかりに脅迫されたことを公表してしまった。その結果、彼らは不特定多数の退魔士から呪いを受けた挙句、国民からも「護るべき存在を死地に追いやろうとした」と責められ、罷免されることとなってしまう。
このとき罷免された政治家や役人たちの呪いを解く退魔士は誰一人としていなかった。
彼らの最期は文字通り筆舌に尽くし難いモノだったそうな。
事ここに至って、ようやく政治家たちも大陸に退魔士を派遣することは不可能であると判断した。
その後は退魔士と政府の間で交渉が持たれたらしく、数か月後に特別な場合を除いて海外へ退魔士を派遣しないという法律、いわゆる退魔士派遣法が成立している。
ここまでが退魔士と政府の問題である。
これで終わればまだ救いがあったのだが、残念なことにそうはならなかった。
政府与党の中に中国との繋がりを絶ちたくない政治家たちが数多く残っていたからだ。
彼らは退魔士の派遣を諦めたものの、中国が出してきたもう一つの要望に応えることで中国との繋がりを保とうとした。
もう一つの要望、すなわち『技術の漏洩』である。
さすがに退魔士たちが抱える技術を流すことはできないが、国が研究して確立した技術であれば話は別。
もちろん国防軍は反対した。宮内庁も反対した。だが、彼らの抵抗は政治家たちが放った伝家の宝刀『人命救助』という大義名分の前に脆くも敗れ去ってしまった。
こうして国防軍が開発した退魔弾や護符といった諸々の技術や、宮内庁が抱えていたいくつかの技術があっさりと他国へと渡ってしまったのであった。
『めでたしめでたし』
脅しをかけていた中国共産党や、彼らとの繋がりを重視していた政治家からすればそうでしょうね。
だが国防軍とて馬鹿ではなかった。
彼らは本当に秘匿すべき最新技術を表に出さなかったのだ。
それこそ政治家が何を言っても「研究中の技術ですので安全性が確認できておりません」の一点張りであったそうな。
中国側や政治家たちがそれを苦々しく思っていたことは想像に難くない。
『連中の狙いはそれかの?』
可能性は高いですね。
通常の研究内容であればわざわざ密入国するまでもない。
なにせ黙っていても日本政府が献上してくるのだから。
にも拘わらず彼らは密入国してきたし、彼らに味方する勢力によって国防軍の捜査員が殺されているという事態が発生している。
なればこそ、彼らは通常では得られないナニカを求めてきたと考えるのが妥当だろう。
そのナニカが気にならないと言えば嘘になる。
だが、それを探るのは俺の仕事ではない。
軍からの依頼は飽くまで『怪しい奴から解呪の依頼が来ても引き受けないこと』である。
元々政治家連中に関わるつもりなどないし、軍が大義名分を用意してくれているのであれば、俺に拒否する理由はない。
「了解しました。県警や大使館から解呪の依頼が来ても拒否しますのでご安心下さい」
当方は造反にこそ道理ありの精神で、政治家先生のご意見を無視させていただきます。
閲覧ありがとうございました