3章1話。プロローグ的なお話
この小説はフィクションです。
実在の人物や団体などとは関係ありません。
「……タレコミの情報が確かなら、ここが例の場所だな」
「……ですね」
5月中旬のある日。とある筋から警察庁や外務省よりも早く『国際指名手配されている人間が密入国し、とある物品の取引を行う』という情報を得た国防軍は、指名手配犯による取引が行われると予想される地点に対し、彼らが持つ最高戦力の一つである特殊作戦群心霊災害対策課に所属している新庄軍曹と西川中尉という二人の退魔士を派遣した。
派遣された方からすれば「そんなのは警察か入国管理局の仕事だろう」と思わないでもないが、上司から命令だと言われては反論できるはずもない。
そもそも彼らが派遣されたのは、基本的に退魔士はそうでない人間と比べて身体能力が高いし、なにより鍛えられた退魔士は通常兵器による攻撃が通じにくいという特性があるからだ。
この特性があるため、侵入者と争うことになっても警察や入国管理局の人間であれば負傷するケースでも、退魔士であれば無傷で抑え込めるという利点がある。
また、敵が退魔士だった場合は警察や入国管理局では手に負えないので、いざというときのために退魔士を用意しておくのが常道となっているのもある。
もちろん国防軍とて抱える退魔士の数は有限なので、いつでもどんなときでも彼らを派遣するというわけではない。
今回は相手が国際的な指名手配犯であるだけでなく、退魔士としての力を有していることが判明していたからこそ、彼らが派遣されることとなったのだ。
もちろん今回用意されている人員が彼ら二人だけということはない。
「応援は?」
「さっき課長から連絡が来た。『すまんが現地の警察を待ってくれ』だとよ。どうやら上に嗅ぎつけられたらしい」
応援として本来こういった任務に就くはずの現地警察もまた人員を配備することになったらしい。
――それが良いことかどうかは別として。
「現地のって、神奈川県警ですか? 国防軍ではなく?」
「……あぁ」
「その。大丈夫なんですか? 色々と」
「……その気持ちはわかる。わかるが、表情に出すなよ」
「すみません」
「いや、いい。再度言うが、お前さんの気持ちはわかるからな」
国防軍所属の二人は建物の影に隠れながら揃って苦虫を嚙み潰したような顔をしてしまう。
特に若い方こと新庄軍曹の口調には不満や不安だけでなく嫌悪感までもが滲み出ている。これだけで彼が『応援』として派遣されてくるという神奈川県警をどう思っているのかがわかるというものだ。
通常であれば援軍に対してこのような態度を取ることは許されない。
故に西川は上司として新庄を咎めなければならないのだが、当の西川もまた新庄と同じ気持ちを抱いていたため、新庄に対する説教はしたものの、その内容はかなり弱いものとなっている。
というか、普通に同調していた。
彼らがこのような態度になるのはそれなりの理由がある。
それというのも、元々外敵を払うために存在する国防軍と国内の治安維持を第一とする警察庁の仲はあまりよろしくないこともあるのだが、それ以上に今回彼らが協力をすることになる神奈川県警という組織が、度重なる不祥事や検挙率の低さをネタにされても反論できない程度には治安維持組織として問題がある組織として認識されているからだ。
その理由の一端として挙げられるのが、横浜にある中華街に潜む大陸系マフィアの存在である。
彼らを捕まえるどころか、逆に彼らから莫大な献金を受けている政治家や地元の警察などが、彼らに対して常識では考えられないほどの忖度をしているというのは、もはや一般市民すら知る公然の秘密となっているほどだ。
(連中を裁くのではなく、おこぼれを貰おうと擦り寄る連中が後を絶たねぇってのがな。いろいろと終わっていやがるぜ)
神奈川県警が他の警察とくらべて密入国犯を検挙することに消極的……どころか、逆に密入国者を積極的に受け入れているという噂も西川の耳に届いている。
というか、それは噂ではなく事実だ。
その事実を知る西川からすれば、新庄が協力者である神奈川県警の能力と意欲に疑問を抱いたことを叱るつもりはない。
むしろ西川から指摘される前から気を抜いていない新庄に頼もしさを覚えるくらいだ。
同時に、それを表情に出すのは頂けないとも考えているが。
ともかく、今回二人に与えられている任務は、密入国をしてまでやってくるとされている国際指名手配犯の殺害とその取引相手の確認と排除及び取引をする物品の回収である。
密入国をする理由? そんなのはどうでもいい。
警察としてはそれを探るために生け捕りにしたいらしいが、生け捕りと殺害ではその難易度の桁が違う。そもそも優れた退魔士を生け捕りにすることは不可能に近い。
不可能なことをするために犠牲を払うのは無駄である。
よって即殺せよ。それが国防を担う組織の当たり前であった。
それを知りながらも警察関係者が生け捕りを望むのは、当然指名手配犯が持つ情報を得るため……ではない。
(どうせ、生け捕りにした後は人知れず釈放するつもりなんだろうが、そうはさせねぇよ)
生け捕りにした場合は間違いなく治療をした上で解放する。それは疑惑ではなく確信であった。
元々そういう計画なのかそれとも不法侵入者たちに恩を着せるためなのかは知らないが、国防のための任務に従事する彼らが神奈川県警の上層部や神奈川を地盤にしている政治家に配慮する理由などない。
もちろん、県警の上層部や政治家も国防軍の自分たちに配慮するつもりがないことは承知している。
だからこそ彼らは現地の警察を差し向けてきた。
それも裏からの圧力などではなく、正面から、正式な命令を抱えた上で。
「なんともやりづれぇことだ」
「ですね」
国防軍は無頼の組織ではない。
国家に根差す正規の軍隊だ。
そうである以上、法に則って派遣されてきた援軍を拒むことはできない。
なにより日本という国に於いて、国内の治安を維持する為の行動を主導するのは、特別な事情がないのであれば国防軍ではなく警察である。
そういう法がある以上、彼らが警察よりも先に動くことは許されないのだ。
尤も【警察の到着が不自然に遅い】とか【警察が来る前に犯人が逃走した】などといった、所謂付け入る隙が生じた場合であれば、西川たちが警察を待たずに現場に突入するなり、犯人を確保せずに殺害することもできるのだが、残念なことに今回はそのどちらでもない。
結果として彼らは、足を引っ張られないようにするために警察よりも先に現地に到着していたにも拘わらず、これから数分もの間、不祥事と疑惑のデパートこと神奈川県警が派遣して来る『応援』を待たねばならなくなってしまっていた。
「わかっていると思うが、神奈川県警を味方だと思うなよ」
「はい」
西川は静かにかつ真剣に口にする。
神奈川県警の上層部は国防軍の味方ではない。
市民の味方だ。
尚、市民の国籍は関係ない。
そして上層部の人間にとって、何も知らない下っ端の警察官を暴走させることなど容易いことだ。
「取引によって被害を被るかもしれない市民を護るため、有無を言わさず取引の現場に突入して場を混乱させる程度のことはしてくると思え」
「はい」
これの厄介な所は、現場に出てくる警察官が本気で『自分は正義の為に動いている』と錯覚しているところにある。
そんな彼らが暴走して現場に突っ込む……だけならまだいい。
最悪、西川たちを敵と見做して襲い掛かってくるかもしれない。
こちらが国防軍だと言っても、そんなのは上司が『それは嘘だ』とか、突入前から『敵は国防軍を名乗る可能性があるが、聞く必要はない』とでも言っておけば簡単には信じないだろう。
事後に指示を出した人間を問い詰めても『そういうタレコミがあったからそう指示したまで。意思の疎通ができなかったことは双方の問題だ』と開き直るだろう。
もちろん退魔士である西川も新庄も、暴走した警察官程度であれば簡単に鎮圧することができる。
しかし西川とて国防軍と警察の間にある軋轢を広げたいわけではないし、なにより正義感に燃えているだけの下っ端警察官を傷付けたいわけではないため、どうしても手が鈍ってしまう。
そうやって場が混乱すれば、密入国者やその取引相手は自分たちの存在をあやふやにしつつ、その場を離れることができるという寸法だ。
なんなら手間賃として何かしらの物品を残していくかもしれない。
警察側はそれを押収し、上層部で山分け。なんてことも考えられる。
「だから、もし連中が暴走したとしても相手にすんな。俺らの狙いは飽くまで国際指名手配犯だ」
「了解です」
同じ国家に仕えている西川にここまで疑われ、それを聞いた新庄も反論しない。
そのくらい信用が無いのだ、今の神奈川県警は。
そして、彼らが抱いていた疑いは間違っていなかった。
『シネ』
「……! 西川さんッ!」
「新庄っ!?」
ドンっ。と低い音が響いたと同時に、西川を押し出した新庄の体が崩れ落ちた。
「なっ……狙撃だとっ!?」
いきなり押し出された形になるが、西川とて熟練の軍人だ。
自分が何から庇われたかくらいは察知できる。
自分を庇い負傷した新庄の腹部は1/3ほどが吹き飛んでおり、欠けた部分から赤い液体が止めどなく溢れているのが見て取れる。
(傷の程度は不明。治療をすれば助かるかもしれない。だがこの状況ではっ!)
狙撃手に狙われている今、応急処置をする余裕はない。
(まさかここまで腐っていやがったとはなっ!)
なぜ自分たちが狙われた?
たまたま警戒していた狙撃手に見つかったのか?
そんなはずがない。
基本的に狙撃を行うためには入念な準備が必要だ。
標的の位置。標的の数。標的の質。
自分の位置。自分の装備。天候。風向き。
どれか一つでも不足していれば狙撃は不可能となる。
また、Bランクでも上位に位置する力を持つ退魔士の新庄を一撃で沈める狙撃となれば、使用された弾丸だって特注品だ。狙撃手の中でも相当信頼された人間でなければ手に取ることさえできない貴重品である。
当然、反撃で使い潰されても良いような人間に持たせることはない。
つまり件の狙撃手は、こちらの人員が二人であることと、こちらが潜んでいる大まかな場所を知っていなければならない。
現時点でそこまでの情報を持つものは限られている。
即ち西川たちの上司である課長か、作戦を聞きつけて『応援』を差し向けてきた県警の幹部だ。
当然、課長が西川と新庄を売る理由がない。であれば答えは一つ。
(くそったれどもが! 不法侵入者の幇助どころか、俺らを売りやがったっ!)
西川も、彼らを派遣した課長も、県警に任務を妨害されることは考えていても、まさかここまで直接的な行動を取るとは思ってもいなかった。
これを油断というのは些か酷かもしれないが、世の中とは現実に起こっていることが全てである。
現在進行形で狙撃手から狙われている西川にとって、予想外だったという慰めに意味はない。
(敵の数も不明。隠れている場所も不明。逃走経路の確保も無理、か)
反撃も回避も防御も逃走も不可能。であれば今の自分にできることは一つしかない。
(すまんな新庄。俺もすぐに逝く)
すでに眼から光が消えている部下に謝罪をしつつ西川は行動を起こした。
「ただでは死なん! 貴様も道連れだ!」
西川はそう決意すると共に、これ見よがしに左手を掲げると同時に宣言する。
もちろん狙撃されて即死しないよう右手で頭部を庇いつつ、魔力を纏わせることを忘れない。
『……』
「ぐっ!」
それを見た狙撃手は、守りの固い頭を飛ばすことを諦めたかそれとも反撃を封じることを優先したのか、高々と掲げられた西川の左腕を撃ち抜いた。
左腕が爆散したことで最期の手段であった術式を封じられた西川の表情が絶望に染まる……ことはなかった。
獰猛な笑みを浮かべる西川。その右手には一枚の符が握られていた。
次の瞬間。狙撃手はそれが西川の狙いであったことを知る。
「かかったな阿呆が! 慎みて五陽霊神に願い奉る! 急急如律令!」
『……!?』
西川は爆散した己の左腕から出た大量の血肉を贄として、数体の使い魔を召喚したのだ。
そう。西川は己が生き延びることではなく、仲間たちに情報を伝えるためにその命を使うことを決めたのである。
(神奈川県警の裏切りとBランクの退魔士を即死させることが可能な装備を持つ狙撃手の存在を知らせる。さらには狙撃手に対して【俺に攻撃をした】という縁から呪いを刻む!)
『!!!』
「もう、おせぇ……がっ!」
『クッ!』
発動した術式に対する焦りか、それとも裏をかかれた怒りか。狙撃手は術を発動して脱力した西川の頭を撃ち抜きその命を奪うことに成功したものの、彼が最期に用いた術式を消すことはできなかった。
元々狙撃手は、西川が命乞いをするか、生きて情報を伝えるために逃走すると考えていた。
命乞いをしたならそのまま撃ち抜くし、逃げるために背中を見せたならばそこを狙い撃てば無傷で勝てる。
そう考えていたのだ。
しかしながら、西川の決断は違った。
まだ余力のあるうちから生を諦め、死して尚情報を伝えるための術式を使ったのだ。
特権階級にあるはずの退魔士が簡単に命を捨てる。
それは狙撃手が生まれ育った国では考えられない行為であった。
狙撃手は思い出した。
この国では、自分が生き残るために家族や友人を捨てて命乞いをするような行為は醜い行為と見做されるのだと。
己の名誉と家族の命を守るため、己が腹を切って死ぬ行為こそが美しい行為とされるのだと。
これまで俗物しか見てこなかった狙撃手は、このとき初めてこの国に生きるホンモノの怖さを知ったのであった。
―――
日本で退魔士を名乗る人間は必ず下記のことを教わる。
退魔士は追い詰めてはならない。
命懸けで反撃するからだ。
命懸けで行われた反撃は、力量差を覆す呪いを生み出す。
よって、敵対するのであれば即殺すべし。
殺さぬのであれば何よりも先に術を封じるべし。
即殺することができなかっただけでなく、最期の術まで使われてしまった狙撃手が辿る未来は……。
閲覧ありがとうございました。